情けない人たちに幸あれ。
「レイニーデイインニューヨーク」以来、3年半ぶりにW.アレン監督の待望の新作が劇場公開された。・・・と思ったら、調べてみると本作の製作は2020年、前作の次の年にはもうできていたらしい。
コンプライアンス遵守が必須とされる時代に、名うての俳優たちがこぞって出演を希望したかつての面影はなく、本作の主演はアレン作品の常連俳優のW.ショーン、御年80歳。
他に名前が知れているのは、妻役のG.ガーション、死神役でちょこっと出てくるC.ヴァルツ、久々に名前を聞いた「ポリスアカデミー」シリーズのS.グッテンバーグくらい。キャストで映画の善し悪しが決まるわけではないがなんとも寂しいかぎり。
物語は、例によって神経質で小心者の主人公が繰り広げるコメディである。
大学で映画について教えていたモートは、年の離れた妻・スーの浮気を疑っている。スーは活発な性格で、映画の広報の仕事をしており、新進気鋭の映画監督・フィリップと気が合う以上にべったりした関係に見えて仕方がない。
スペインのサンセバスチャンで開催される映画祭について行ったモートだが、目にするのはフィリップの溢れる才能と活力、そして自信に満ちた所作や言動。少しでも嫌味っぽい言葉を口にすれば、ますます彼との差が広がってしまう状況に居心地は悪くなるばかり。
そう、彼は薄々気づいていた。自分がどういう目で周りから見られているのかを。自分の好きなものや自分の考えが間違っているとは思わないけれど、以前好きだった女性が弟と結婚するなど、結果を見るとどこかがズレているのである。
フィリップと妻を見てその気づきは一層強くなり、モートは妄想を見るようになる。
ここで出てくるのは、フェリーニやゴダールといったヨーロッパの名匠たちの映画である。寝ている間の夢の場合もあれば、歩いているときにふと思いを馳せる時も。画面が突然モノクロになり、81/2など有名な曲がバックに流れてくる。
ただ、そこで繰り広げられるのは、元ネタとは関係なくモートやスーやフィリップがモートの脳内の混乱を具現化したやりとりである。過去の名作は(おそらく)シチュエーションだけを借用したものなので、これらの作品をよく知らなくても問題ない作りになっている(はず)。
混乱が重症化してきたモートは、現地の医者の診断を受けようと知人に紹介してもらった診療所へ行く。と彼は、そこで診察をしてくれた女医のジョーに惹かれるようになる。まったく具合が悪くないのに何かと理由を付けて診療所の予約を取ろうとするモートは、ぷちストーカーで情けなくて危ういが、ふとしたきっかけからジョーとの距離が縮まってゆく。
妻の浮気を心配していたはずが別の女性に心を奪われ、自分の夫婦関係が崩壊寸前なのに他人の夫婦を心配するというおかしな展開に、ますますモートは自分の方向を見失いそうになるが、その先には彼が彼である必然のラストが待っている。
毎度主人公はW.アレン自身の分身と捉えることができるが、今回のモートは相当な高齢であること、周りから何かしら疎まれていると思っていることという設定が、いつも以上に切なく感じる。10年前だったら設定や結末が違っていたかもしれないが、彼のこうした情けない主人公への思いやりは変わらない。
モートはすべてのことが終わったという前提で、セラピストと思われる人に語り掛けている。「この話、どう思う?」と訊いたモートへのセラピストの回答は聞こえないが、モートの表情は穏やかである。その心は満足か?諦めか?それとも・・・。
(85点)
「レイニーデイインニューヨーク」以来、3年半ぶりにW.アレン監督の待望の新作が劇場公開された。・・・と思ったら、調べてみると本作の製作は2020年、前作の次の年にはもうできていたらしい。
コンプライアンス遵守が必須とされる時代に、名うての俳優たちがこぞって出演を希望したかつての面影はなく、本作の主演はアレン作品の常連俳優のW.ショーン、御年80歳。
他に名前が知れているのは、妻役のG.ガーション、死神役でちょこっと出てくるC.ヴァルツ、久々に名前を聞いた「ポリスアカデミー」シリーズのS.グッテンバーグくらい。キャストで映画の善し悪しが決まるわけではないがなんとも寂しいかぎり。
物語は、例によって神経質で小心者の主人公が繰り広げるコメディである。
大学で映画について教えていたモートは、年の離れた妻・スーの浮気を疑っている。スーは活発な性格で、映画の広報の仕事をしており、新進気鋭の映画監督・フィリップと気が合う以上にべったりした関係に見えて仕方がない。
スペインのサンセバスチャンで開催される映画祭について行ったモートだが、目にするのはフィリップの溢れる才能と活力、そして自信に満ちた所作や言動。少しでも嫌味っぽい言葉を口にすれば、ますます彼との差が広がってしまう状況に居心地は悪くなるばかり。
そう、彼は薄々気づいていた。自分がどういう目で周りから見られているのかを。自分の好きなものや自分の考えが間違っているとは思わないけれど、以前好きだった女性が弟と結婚するなど、結果を見るとどこかがズレているのである。
フィリップと妻を見てその気づきは一層強くなり、モートは妄想を見るようになる。
ここで出てくるのは、フェリーニやゴダールといったヨーロッパの名匠たちの映画である。寝ている間の夢の場合もあれば、歩いているときにふと思いを馳せる時も。画面が突然モノクロになり、81/2など有名な曲がバックに流れてくる。
ただ、そこで繰り広げられるのは、元ネタとは関係なくモートやスーやフィリップがモートの脳内の混乱を具現化したやりとりである。過去の名作は(おそらく)シチュエーションだけを借用したものなので、これらの作品をよく知らなくても問題ない作りになっている(はず)。
混乱が重症化してきたモートは、現地の医者の診断を受けようと知人に紹介してもらった診療所へ行く。と彼は、そこで診察をしてくれた女医のジョーに惹かれるようになる。まったく具合が悪くないのに何かと理由を付けて診療所の予約を取ろうとするモートは、ぷちストーカーで情けなくて危ういが、ふとしたきっかけからジョーとの距離が縮まってゆく。
妻の浮気を心配していたはずが別の女性に心を奪われ、自分の夫婦関係が崩壊寸前なのに他人の夫婦を心配するというおかしな展開に、ますますモートは自分の方向を見失いそうになるが、その先には彼が彼である必然のラストが待っている。
毎度主人公はW.アレン自身の分身と捉えることができるが、今回のモートは相当な高齢であること、周りから何かしら疎まれていると思っていることという設定が、いつも以上に切なく感じる。10年前だったら設定や結末が違っていたかもしれないが、彼のこうした情けない主人公への思いやりは変わらない。
モートはすべてのことが終わったという前提で、セラピストと思われる人に語り掛けている。「この話、どう思う?」と訊いたモートへのセラピストの回答は聞こえないが、モートの表情は穏やかである。その心は満足か?諦めか?それとも・・・。
(85点)