Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「ラストレター」

2020年01月25日 00時26分08秒 | 映画(2020)
想いが染み込むから。


岩井俊二、56歳。同郷で同じ高校の出身、少し上の世代。共通するツボはあるような気はしたが、彼の人気が大きな高まりを見せていた90年代には彼の作品をじっくりと味わう機会はなかった。

今回も、彼が初めて故郷の宮城県を舞台にした作品を作ったというので映画館へ足を運んだ次第であり、特別な思い入れもなくニュートラルに映画へ入ったのだが、なんか途中からやられた。ぐいぐいと引き込まれた。

姉・未咲の葬儀のために実家に帰った裕里は、姉宛ての同窓会の案内を受け取る。事情を説明するために会場へ行った裕里は姉と間違われ、登壇して代表のあいさつまでさせられてしまう。

やや強引だけどインパクトのある導入。そこで出会うのが同じ部活の部員だった乙坂鏡史郎だ。鏡史郎はかつて未咲に恋心を抱いていて、裕里は彼が書いたラブレターを運ぶ役目を負っていた。

25年ぶりの出会いは二人を昔へと引き戻す。しかし裕里は自分を未咲と偽っているから、そこに微妙なズレが生じる。ドラマが生まれる。

二人をつなぐキーアイテムがタイトルにもなっている手紙である。SNS全盛のこの時代にどうやって手紙を軸にした物語を作るのか。しかしそこは違和感なく二人が手紙でしか連絡をとれないような展開に持っていく。

良し悪しを言うつもりはない。電子メールだってSNSだって心のこもったメッセージを送ることはできる。しかし、本作の登場人物たちが手紙のやりとりをすればするほど、この古いスタイルのコミュニケーションツールの味わい深さを再認識する。

受け取るまでに時間がかかる。相手が受け取ったかどうかすぐにはわからない。そして書いた文字はすぐには消せない。

伝達手段としてはデメリットでもあるこれらの特徴は、不便な分だけ余計に人の感情を揺さぶる。待ち焦がれた返事が届いたときの喜び、自分が思いを込めた手紙が相手が読んでいなかったと知ったときの落胆、そして一度受け取ればいつでも自分を勇気づけてくれる温かい文字。

本作はこれらの要素を実にうまく物語に溶け込ませている。さらにそういった感情が、時間を超えて、世代を超えて受け継がれていくところも特筆すべき点だ。未咲の娘・鮎美を元気づけていたのは、かつて鏡史郎が未咲に宛てて書いた手紙の束であった。

ラブレターを書いたりもらったりした経験があるのって、どの世代までなのか。監督と世代の近い我々は少なからずノスタルジーを感じながらこの映画を観るはずだが、若い人はどう感じるのだろう。

鮎美と裕里の娘・颯香は鏡史郎から送られてきた手紙に興味を示し、彼との文通を楽しむ。メールやSNSのスピード感に慣れた人たちにとっては、物足りなく感じるか、逆に新鮮に捉えられるのか、はっきりと分かれるのかもしれない。

50代としては、特に主人公たちの昔の話には強い共感を抱く。広瀬すず森七菜のツープラトンの破壊力が凄まじいが、高校生の裕里が鏡史郎に手紙を渡す場面は限界を遥かに超えた。背もたれがなかったら後ろにひっくり返っていただろう。

現代の裕里と鏡史郎の関係も良かった。鏡史郎が福山雅治だから絵になる話ではあるのだけれど、「センパイと握手できたー!」と喜ぶ松たか子のかわいらしさも微笑ましかった。

そんなこんなでノスタルジックなエピソードと華やかなキャストに彩られた2時間を十二分に満喫することができた。そのうち時間に追われない生活ができるようになったら、昔に妻からもらった手紙を1通ずつ読み返してみよう。

(85点)

※番外
初めて宮城県を舞台にしたというからどの程度出てくるのかと思ったら、かなりの量でしかも露骨に登場していて驚いた。
白石城や泉区の住宅街(パークタウンだろうか)は主人公たちの家が建つ場所として登場。散歩するのが広瀬川の河川敷っぽいのはご愛嬌か。
ほかにも宗さんが同窓会で登場したり、飲み屋の場面ではイーグルスの野球中継が流れて、しかも延長12回で茂木のサヨナラHRだって。
後で調べたら2年前の夏に本当にあった試合だった。扇谷商事後援の試合って地元パチンコ屋の名前まで出てくるって協賛金支払ったんだろうな。
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「マリッジストーリー」

2020年01月19日 16時34分46秒 | 映画(2020)
気付いたら、きりもみ回転。


チャーリーとニコールの夫妻が互いにパートナーの特徴を紹介する冒頭。相手は自分にないものを持っていて、それでとても助かっている、というナレーションの背景で、息子のヘンリーを入れた賑やかで幸せな家族の光景が流れる。

しかし現実に戻ると、それは離婚調停に向けての過程において弁護士に列挙させられた相手の長所に関する記述の下りだったということが分かる。

相手の長所を探してみれば結婚当初の気持ちを思い出して違う展開が訪れるかもしれないという弁護士の思惑は外れる。ニコールの感情は既に臨界点を越えていたのだ。

夫婦に限らず血縁者であっても他者と生活を共にするのであれば少しずつの我慢は必要だ。そして相手の気遣いを理解し、常に感謝の気持ちを忘れないことが共同生活の基本である。

チャーリーもニコールも頭では分かっているし、相手の配慮にまったく気付かなかったわけではない。だからこそニコールはまずは一旦離れてLAでヘンリーと生活させてほしいと申し入れたのだ。

しかし、LAで新たに敏腕の弁護士と話をする機会を持ったことから二人の、いや家族の関係はまったく計算していなかった方向へ動き出す。弁護士は冷徹に客観的にニコールの立場を捉え、彼女が有利になるよう徹底した策を練る。

少なからずチャーリーへの配慮の気持ちがあるニコールにはとてもできない戦術に最初は戸惑うが、それ以上に彼女は疲弊していた。とにかく任せることが最善だと言い聞かせる。

となると困惑するのはチャーリーである。個人で弁護士を雇うなんて聞いていなかった中で、いついつまでにこちらも弁護士を雇わないと欠席裁判でヘンリーの養育権をはく奪するといきなり脅しのような連絡が来たのだ。

適正な司法が存在する社会においては、客観的で公正な結果を求めるのであれば裁判がベストであることに疑いはない。それでも弁護士を介した夫婦の主張は、時に必要以上に鋭くお互いをえぐる。

手続きが進む間にも夫婦だけで会う時間は訪れる。会えばお互いの気持ちが分かる。傷つけ合うのは本望じゃない。「やっぱり私たちは話し合いが必要」と言って自分の気持ちを正しく伝えようと話し出すが、図らずも感情的な口論に発展してしまう。

どちらが悪いのか、ではない。何がきっかけでこうなってしまったのか、でもない。愛情も思いやりもあって、周りの人と良好な関係を築いていける人であっても、何かのタイミングで急速に関係が壊れていく様子は、もはや不条理でしかない。

脚本はどちらにも過度に肩入れすることなく、双方の良い面も悪い面もフラットに描いている。

ニコールがLAで弁護士を雇ったことが直接の契機だっただけに、はじめはニコールがもう少し我慢すればいいのにと見ていたものが、段々とチャーリーも良くないよねという面が見えてくる。

相手の弁護士に責められたこともあって、チャーリーはまったく余裕をなくしてしまう。その時彼は初めてニコールが感じていた息苦しさを体感することになる。NYへ戻った彼が夜のクラブで歌う姿の悲壮感は心に刺さる。

夫婦の関係に徹底して焦点を当てる中で、矢継ぎ早に訪れる悲しみと怒りとやるせなさをS.ヨハンソンA.ドライバーが全力で演じる。これだけの感情むき出しはアクション映画より疲れるのではないかと思うほどだ。

二人はオスカーの主演賞にもノミネートされている。ネット配信作の目玉となるか期待するところである。

(75点)
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「ジョジョラビット」

2020年01月18日 00時27分01秒 | 映画(2020)
見えない境界線を越えてしまわないように。


第二次世界大戦も佳境に差し掛かった時代のドイツ。10歳の少年・ジョジョは兵士を育成する少年のグループに入り、訓練の日々を送っていた。

わが国もそうであったように、戦時下のドイツはガンガンいこうぜ、ナチス一色に染まっていた。ジョジョもナチスの兵士として戦うことこそが正義と信じ込み、部屋にはヒトラーのポスターを貼って一人前になることを夢見ていた。

しかし理想とは裏腹にジョジョは、はじめは勇ましい言葉を発するものの、すぐに臆病風に吹かれてしまう心優しい子であった。挙句に付けられた呼び名は「ジョジョラビット」。不慮の事故もあって、ジョジョは訓練生から外れてしまう。

臆病な自分を鼓舞するために、ジョジョが頼りにするのは空想の友人・アドルフヒトラーであった。そんなある日、ジョジョは家の奥にある異変に気が付く。物音がする方向を辿っていくと、そこにはなんと敵視すべき存在のユダヤ人の少女が匿われていたのであった。

戦争が多くの人の運命を変えたことは間違いない。しかも敗戦国であれば、そのほとんどは取り返しのつかない悲劇となってしまったはずだ。

10歳の少年には選択する権利があったとしても圧倒的に知識が足りない。自分の性格に合っていようがいまいがナチスのために戦うのが唯一の道となるのは残念だが致し方ない。

しかしジョジョの運命は変わる。出会うはずのないユダヤ人少女・エルサとの交流が、もともと持っていた心優しさに火を灯すのだ。そのエルサを匿ったのはジョジョの母。戦争の悲劇からわが子を守りたい母の愛は叶うのか。

物語は、ジョジョの目線だけで描かれるわけではないが、彼のごく近くで起きていることだけを追って進んでいくので、実際にドイツが直面している状況は風景や他の人の様子から判断するしかない。しかしこれが実によくできている。

冒頭の場面で既にドイツは敗色濃厚になっている。それは、訓練グループの教官である大尉が漂わせるやる気のなさから明確に伝わるのだが、ジョジョがそれを感じ取ることはない。それは母親の日中の怪しい行動についても同じだ。

エルサとのふれあいが日に日に強まるのを見かねて、空想の友人・アドルフは警告する。10歳の少年に初めて葛藤が生まれるとほぼ同時にジョジョに新たな展開が訪れる。

やって来たのはゲシュタポであった。ここでも説明はない。10歳のジョジョはおろか、観ている側も何が起きたかよりも、まずエルサがどうなるかに神経が集中する。さらにそこに大尉がやって来た。

一連の後で我々はわかる。なぜゲシュタポや大尉がジョジョの家に現れたのか。既にジョジョの運命が大きく変わっていたこととともに、ジョジョの家族や大尉がどんな思いでジョジョを見守っていたのかを知るのである。

すべてを理解してしまったらあまりに切なくて感傷的になりそうなところだが、これもジョジョははっきり飲み込めないから、攻撃が続く街の中を夢中で走り回る。

戦時下を舞台にした映画にしては全体的に明るいトーンなのが印象的だが、その中でユダヤ人の処刑や少年兵への自爆強要といった場面がさらっと登場するところが余計に怖く感じられた。

最初は母と一緒のときにただ見つめるだけだった処刑場だが、二度目は吊るされているユダヤ人の遺体にすがりついて嗚咽する。ジョジョの意識の変化と人間としての成長を象徴する最大の場面であった。

さらに印象的だったのが、ずっと臆病な少年だったジョジョが最後に見せる表情。この年令にしてなかなかの役者ぶりに驚いた。

ジョジョの周りを固める演者も、S.ヨハンソンS.ロックウェルが上記のとおりジョジョを温かくそしてさりげなく見守る役を好演。さらには監督のT.ワイティティはアドルフ役でも活躍。多才だ。

(85点)
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「パラサイト 半地下の家族」

2020年01月13日 14時09分44秒 | 映画(2020)
助け合う社会、足を引っ張り合う社会。


昨年のカンヌ国際映画祭で韓国作品としてパルムドールを初めて受賞した話題作。世界中で格差を原因とする騒乱が巻き起こっている今、これほどうってつけの映画はない。

主人公のキム一家は仕事もなければ財産もなく、古びた建物の半地下でホームレス同然の生活を送っている。そんな中で長男のギウは、旧友の大学生から家庭教師のアルバイトを紹介される。

アルバイト先のパク家は高級住宅街に豪邸を構える。大きな庭、住み込みの家政婦、小洒落た犬が3匹。同じ一男一女の4人家族でありながら、キム一家とは何もかもが違っていた。

本来であれば触れる可能性がなかった世界に足を踏み入れたギウはあることに気付く。パク家の防備はあまりにルーズであったのだ。一家の盲点を見つけては、そのケアのためにと家族を運転手や家政婦へと送り込んでいく。

そこに悪意はない。ただ生きるために必要だったからだし、実際にパク家の役に立っていた。ウィン・ウィンだったはずの完璧な計画は、やがて思わぬ方向へ転がり出していく。

2つの家族が生きる世界が徹底して対照的に描かれ、強く印象に残る。

山の手と裏路地。常にどこかにゆとりがあって、ゆったりとした時の流れを刻むパク家に対して、小便を垂れる酔っ払い、屋内に吹き込む消毒剤の霧や雨風の脅威に晒され続けるキム一家。

格差問題では攻撃対象となる富裕層であるが、パク家の人たちは基本的に善人である。奥さんに至っては、むしろお人好しの世間知らずとして描かれる。少しでも調べれば粗が見えるギウの計画にもツッコミを入れない。

しかし時折パク家の人たちから発せられる言葉にギウたちは心中穏やかでなくなる。彼らは何か変な臭いがする。それもみんな同じ臭いだ。

自分はこの家に似合う人間なのだろうか。ギウが教え子に語った一言は、旧友からもらった石のように心にへばりつく。

子供の誕生日パーティーが華やかに開かれる庭に、地下から怨念の塊が上ってくる場面がクライマックスになる。

2階の窓からパーティーを見れば落ち着いて客観的に考えることができるのに、地下から命からがら這い上がってきた者にそんな余裕はない。周りは現在の恵まれない自分すら脅かす存在に映り、攻撃するしか選択肢がなくなってしまうのだ。

社会問題を描くときには、敢えて分かりやすく勧善懲悪を誇張することもできるが、本作の登場人物は誰もが長所と短所を持つ普通の人間と捉えられる。違うのはたった一つ。生まれついた家だけである。

それだけに事件が一段落した後のキム一家の父が辿る道が切ない。格差は乗り越えられないのか。乗り越えてはいけないものなのか。

問題の根の深さが強く刺さるのは、B.ジュノ監督らのバランス感覚に長けた脚本によるところが大きい。

(90点)
コメント (2)
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