Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「マチェーテ」

2010年11月28日 00時22分05秒 | 映画(2010)
FEO(醜い)上等!


この手の作品としては、ほぼ文句なしのデキだったんじゃないだろうか。

冒頭から飛ばす。首もぽんぽん飛ぶ。

凄いを通り越してバカバカしいくらいという表現があるが、これはバカバカしさすら越えてしまっている。

何よりも主役のD.トレホである。

一体子供のころはどんな顔だったんだ?と疑問を持つほどの彫りと輪郭。この強烈な造形はヒスパニックの先住民族には多いのだが、主役となると話は別だ。

J.アルバと並ぶと対照性が際立つ。ムチャクチャ映画の象徴ともいえる。

まあ、ほかにもR.デ・ニーロS.セガールといった重鎮もどこか楽しそう。

国境の不法入国問題自体は深刻なはずなのに、なぜか善も悪もお祭り騒ぎ。上院議員側近の娘・エイプリル(なんとL.ローハン)に至っては、おクスリが効き過ぎて革命戦士になっちゃった。

台詞もアクションも、エログロ織り交ぜながらびしっと決めてくれるから安心して笑って楽しめる。

次回作、次々回作もさることながら、グラインドハウスの予告篇を改めて観たいと思った。

(85点)
コメント (4)
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「リトルランボーズ」

2010年11月20日 23時19分00秒 | 映画(2010)
悪ガキはただ悪いわけではない。


兄が大きな移動電話を抱え、街にはニューブリティッシュインベイジョンの前夜といった曲が流れる。

そんな時代(1980年ころ)にまだ生息していた人種が「悪ガキ」だ。

悪ガキ=悪いガキんちょ。

リー・カーターのやってることは相当眉をひそめたくなるものばかりなのだが、その背景が子供じみている、言い方を変えれば純粋であるが故に世間は一定の寛容をもって受け入れる。

教師たちは口では「悪魔」呼ばわりするけれど、職員室の空気は決して重くはないのがその証拠だ。

フランスから交流と称してやって来たディディエも同じ。ファッションセンスや女性の扱いで大人びているように見えて、映画の撮影と聞いたら目を輝かせて演技に興じる。

そしてウィルも、その子供の資質を全開させる。

映画撮影に興味を持てば自らスタントを演じ、危ない大人風の世界にも躊躇せず入っていく彼は、ひょっとして3人のうち一番大物なのかもしれないと思った。

その分悪役を引き受けてしまったのは、厳しい規律を重んじる教会の信者・ジョシュア。彼らにもそれなりの言い分はあるんだろうけどね。

本作最大の見せ場は、いろいろな悪戯や事件でしっちゃかめっちゃかになってしまった映画作りがどうなったかというところである。

前半の大げさとも思える振り幅はここに来て効果を発揮する。リー・カーターと兄の関係に関し、観客が冒頭から同じように感じている必要があったのである。

ところで、最近は悪ガキはいなくなったのだろうか。

少なくとも、少年法の存在意義が問われるくらい背景が複雑化していることは間違いない。

この話はおとぎ話なのである。一概に昔が何もかも素晴らしいと言うつもりはまったくないが。

(75点)
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「劇場版3D あたしンち 情熱のちょー超能力♪母大暴走!」

2010年11月20日 22時57分15秒 | 映画(2010)
もはや何が何やら。


とうの昔に終わったアニメを、40分ちょっとの尺でしかも3D映画化!

何処かのネジが外れているかのような企画が実現した理由を確かめに(大げさか)劇場へ足を運んだが、オープニングに「東映」のマークが出てきて納得。この会社か・・・。

とは言ったものの、基本的に「あたしンち」好きなんです。かわいい絵とか、何気ない日常を描いた話とか。

でも映画化となると、前回もそうなのだが、あの個性的なルックスを持つ母が前面展開してしまうのである。母は目を引くための武器にはなるけど、押し過ぎると本質を見失うんだよね。

最後のタチバナ家が結集するところなんて「クレしん」と被っちゃってたし。シンエイ動画だからいいのか。

それでも、まあうちの子はげたげた笑ってたし、懐かしいサブキャラクターたちが大勢登場してくれたのはうれしかった。

でも、そうであれば尚更思うのである。何故43分なのか。その資金とやる気があれば、深夜でも早朝でもレギュラー放送を復活できないのかと。

(43点)
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「[リミット]」

2010年11月14日 02時12分01秒 | 映画(2010)
テレフォンボックスは遺物として埋もれる。


「SAW」シリーズで使われているソリッドシチュエーションホラーという言葉があるが、本作もその系譜に連なる作品なのであろう。何しろ舞台を狭い棺の内部に限定しているのだから、まさに極み。

冒頭、主人公・ポールが自分の状況に気付くところから最後の一秒まで、現実とは異なる俯瞰的なアングルを部分的に入れることはあっても、とにかく棺の外を映さずに貫いた姿勢は立派であった。

ただ正直な感想を言えば、やはり全篇通すのには少し辛い設定だったのではないか。

理由は様々だ。

例えば、棺が妙に都合よく広くなっていなかったか。

身体をキツそうに歪めながら転回していたけど、あれがどの程度現実味があったのかよく分からない。シネセゾンにロビーに置いてあった棺の模型に入って試してみればよかったかもしれない。

ある生き物が侵入、撃退する展開に至っては、眉唾度が更に増加。身体の柔らかさが半端ないというよりは、やはり特注のプレミアムボックスだったというほかなさそうなのは残念。

で、そのプレミアムな広さに、敢えて使える道具を散りばめているところは最大の疑問。

ソリッドシチュエーションホラーの元祖とも言える「CUBE」や「SAW」シリーズというのは(「SAW」はシリーズ後半を観ていないから違うかもしれないが)、理不尽なシチュエーションの解説がされないまま話が進むところに、底知れぬ不安と恐怖があったのだが、本作はそこが明らかに異なる。

背景がポールと通話相手から直接語られ、それはそれで動機としてはさもありなん調に聞こえるのだが、今度は敢えて道具を与えるといった余計な手間をかける必要性でつまずく。

例えば、ポールがいくら頑張っても携帯に手が届かなかったとしたら、話はそこで終わり、犯人は目的を達成することができない。そんな確率論的な状況をいくつも抱えるような手段を選ぶこと自体がナンセンスだ。

そもそも有り得難い状況に対しては、らしき背景を与えるよりも、これもジグソウのせいだったんですよという方が良かっただろう。

あとはやはりケータイである。基本的に大部分をケータイに頼らなければいけなかったのは仕方のないところであるし、動画やら言語の切り替えやら多くのアイデアを詰め込んだのには感心したが、反対に限界を露呈する一因ともなっていた。繰り返すが、ある生き物の珍入には力が抜けた。

それでも、もちろん面白かった部分は多々あった。特に、ポールを助けに向かう政府関係者や雇用側の責任者の脱力ぶりは痛烈な皮肉として効いている。米国でこれなら、いま批判の真っ只中にいるわが国はどうなることかと思ってしまったり。

いずれにせよ、狭いところは嫌なもんです。うちの犬ももっと頻繁にケージから出してあげないと。

(65点)
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「SP 野望篇」

2010年11月02日 00時19分36秒 | 映画(2010)
時間が待っていてくれた。


あの最終回から約3年。

「衝撃の・・・」と言われながらも、時間が経てば記憶の隅に追いやられるのは必然である。

しかし本作は見事に還ってくることができた。

それは何故だろう。

一つは、作り手側が変わらなかったことである。

岡田准一たちの熱意が保たれていたことは後から知ったが、まず外見的に本当に3年の月日が経ったのか分からないほど、各人のポジションに変化がなかったのが驚きであった。

例えば、誰かが突然ブレイクしていたり、下手すれば不祥事か何かで降板してしまったりなんてことがあっても不思議でないところが、脇の演者たちを含めて、まるでこの間の日々が凍結されていたかのように同じ空気が流れていたのだ。

スタッフが丁寧に作り上げた甲斐あって、画面や音楽のテンションやクオリティに至るまでのすべてにおいて、TVで流れていた再放送との継ぎ目がまったく気にならなかった。

次に、世の中の情勢である。

本作の魅力は、展開のリアリティではない。

事件の設定やアクションは極めて娯楽性を重視した演出で、言ってしまえば絵空事だ。

しかし、その背景にうごめくドラマが恐ろしくリアリティに溢れている。

こんなテロ大国のような話なんてあるわけないじゃんと思いながらも、ひょっとして何かの間違いで近い事態が起こりうると思わせる脚本の力こそが、このドラマの強みだ。

そしてそのリアリティの基盤である世間の状況はといえば、3年前に比べて閉塞感が確実に増幅している。

中国等の脅威に手をこまねいている政府への苛立ちの声が高まるなど、革命戦士がいつ現れても不思議はなくなっている。

そうした要素がハマったことで、受け手側もすんなりと3年前の世界の続きへ違和感なく入ることができた。

野望と革命。サブタイトルの軸が主役の井上にないことも興味深い。

今回の野望篇では、「?」が付いたままだった尾形の理念が、これまでの行動と決して矛盾を生じない形で示された。

最終エピソードでは、極めて複雑に入り組んだ相関図のすべてがどのように解きほぐされていくのか、そしてそれぞれがどんな結末を迎えるのか、大いに期待したいと思う。

(85点)
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「映画ハートキャッチプリキュア!花の都でファッションショー・・・ですか!?」

2010年11月01日 23時24分39秒 | 映画(2010)
おしゃれさんの種まき、土づくり。


11月恒例、劇場版プリキュアが今年もやって来た。

TVのレギュラー放送も見なくなり、もう卒業かと思っていたうちの子だが、劇場版は早々と前売券を購入。

とはいえ、映画館では「入るところを知り合いに見られたくない」と言うなど、なんとも微妙な感情を露呈。アンパンマンの卒業はもう少しあっさりしてたんだけどね。

もちろん本作のメインターゲットは女児である。しかもパンフレットの広告を見るかぎり、中心は幼稚園からせいぜい小学校低学年であろう。

だから基本的には、かわいいキャラクターが出てきて活躍すればそれでいいのであるが、毎度のことながらシリーズの設定は妙に凝っている。この辺りは制作側のプライドなのだろうか。

レギュラー放送を見ていない者にとってはにわかに理解しづらいものの、かろうじて今年のプリキュアの軸が花とファッションにあることだけは何となく分かった。

で、舞台が花の都+ファッションのメッカであるフランスとなるわけだ。

園児の時点でおしゃれに目覚めさせるというのは、商業的におそらく正しい。どうせなら、世界で一番を目指すくらい徹底してやってほしいものだとも思う。

そんな今回のプリキュアだが、おしゃれな登場人物や展開が増えているだけではない。これは全員を登場させるだけで手一杯の春の「オールスターズ」と比較すると明らかなのだが、作り込み具合が段違いだ。

物語など、おそらく幼児では理解するのが難しいと思われるくらい、それなりによく練られている。胸を打つようなものでもないのだが、取り立てて不可もないと評価できる作品になっている。

さて、話題に上った「オールスターズ」劇場版だが、またしてもラストで予告が流れた。しかし、そこで驚きの一言が。なんと来年3月をもって最終作?らしい。

同じ11月に劇場を賑わす「ソウ」シリーズも7年目で終わったことだし、プリキュアの放送も7年で大団円となるのか。

まずは来年早々のレギュラー放送の入れ替わりを待て!(と意気込むほどのことでもないが)

(60点)
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