Con Gas, Sin Hielo

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「青くて痛くて脆い」

2020年09月05日 11時15分00秒 | 映画(2020)
そこから近付く覚悟はあるか。


新型コロナウイルス感染症で世の中にすっかり浸透したソーシャルディスタンス<社会的距離>。コロナ禍では主に感染予防として適切な距離のことを言うが、広義には、人には関係性からの適切な距離感があってそれを保つべきという理念を指す。のだと思う。

「君の膵臓をたべたい」の住野よる氏原作の小説を映画化した本作。主人公の楓は「他人に近づかないこと」「誰かの意見に反する意見を口にしないこと」を守ってきた、まさにソーシャルディスタンスの申し子と言える存在だ。

そんな彼が入ったばかりの大学の講義で目にしたのが秋好という女子である。秋好は講義の最中に突然手を挙げて「みんなが力を合わせれば戦争は絶対になくなるはずなのに、なぜそうならないのか」といった場違いな質問をして教室中の失笑を買う。

青くて、痛くて、自分とは正反対の人物。しかし、教室で目が合ったことがきっかけなのか、何故か秋好が楓に声をかけてくる。「ひとりなら一緒にお昼食べようよ」。

それをきっかけに彼女と行動を共にするようになった楓。二人は「世界を変える」サークル「モアイ」を設立し、小規模な社会福祉活動を始める。

作者の住野氏は「「膵臓」で感動してくれた人の心を本作で塗り替えたい」と語ったと言う。

両作の主人公の男女の性格と出逢いの設定は非常によく重なる。他人を寄せつけない陰キャラ男子と、他人の領域へ躊躇なく入り込むおせっかい女子。見た目がかわいいからと拒絶しないでいたら、いつの間にか彼女の世界に取り込まれていたというところまでは完全に一致する。

実を言うと、これは完全に男子の理想である。何の取り得もない自分にかわいい子が近づいてくる。女子で言う「白馬に乗った王子さまが迎えに来る」と同義であり、「住野よる」って名前だけじゃ性別分からないけど、この話の筋からみると絶対男性だよなと思ったらやはりそうだった。

本作が「膵臓」と違うのはここからだ。3年経って、大学4年の楓。彼は「モアイ」を既に脱会していた。傍に秋好もいない。彼は友人に言う。「モアイ」は変わってしまった。理想の「モアイ」と彼女を奪った仕返しに、今の「モアイ」を潰すと。

ただでさえ先が読めないストーリーに「膵臓」の残影が重なり、思いがけない展開がもたらす効果は倍以上と言っていい。中盤に「モアイ」のリーダーが画面に登場した場面は、(予想は十分可能だったかもしれないが)「こう来なくちゃ」と手を打った。

後半は楓の復讐心が暴走を始める。演じた吉沢亮は「人に嫌われる役」を意識して演じたと言う。「青い」というより「どす黒い」楓だが、何故か男子としては彼にとてもシンパシーを抱くのである。

初めて目にした秋好はとても「痛い」ヤツだった。自分とは合わないし、なんて愚かなのだろうとさえ思っていた。上から見ていた。・・・はずなのに。

いつの間にか彼女は輝く舞台の上にいて、自分は取り残されて。どうしてこうなった?彼女は体よく自分を利用した?

「痛い」彼女を好きになってしまったことを認めたくなくて、自分が被害者である図式を作り上げる。「誰かに反する意見を口にしない」、他人を傷つけることは必ず自分に返ってくることだとしていた自分の殻は脆くも崩れ去った。

若い日の恋愛はみっともないもの。時には傷つかないと前には進めない。それが分かるから、たとえ「気持ち悪い」行動をとったとしても共感する。「もう一度ちゃんと傷つけ」という最後の言葉が染みる。

「痛い」から昇り詰めていく秋好も難しい役だったと思うが、杉咲花の演技は説得力があった。天真爛漫さ残酷さを併せ持つ底知れぬ怖さは、うぶな男子はきっと恐怖におののく、楓よりもある意味危険な役だったかもしれない。

この生傷がじんじんと痛む感覚はアニメだと印象が薄まっただろうと思うだけに、主役の二人の熱演に敬意を表したい。

(90点)
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