Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「アス」

2019年09月16日 07時39分42秒 | 映画(2019)
戦略なき影の軍団。


ドラえもんに「かげとり」という話がある。

庭の草刈りが面倒くさくてドラえもんから影を切り取るひみつ道具を出してもらったのび太。何も言わずに言うことを聞く影に調子に乗ってあれこれやらせていると、やがて影が人格を持つようになり、本当ののび太が影に近付いていくという少し怖さを含んだ作品である。

もう一人の自分の存在。ドッペルゲンガー現象とも言われるが、内在的であれ物理的であれ昔からドラマを作りやすく、その大概が自分の存在が危うくなるサスペンス仕立てとなる。

本作はその恐怖の部分を際立たせた作りになっており、分身たちは恨み骨髄で敵対心をむき出しにして襲ってくる。普通の家族である主人公たちがダブルキャストとして分身たちを演じ、不気味な表情を湛える様は本当に怖い。

ただ全体的には釈然としないところが多い作品であった。

物語の発端である1986年の遊園地の事件と、クライマックスに用意されている意外な展開が繋がっており、それはいずれも主人公のアデレードに端を発するものなのだが、彼女が特別な存在であるという前提を抜いても分からないことだらけなのだ。

世界中で分身たちが反乱を起こしたということは、アデレードの分身がリーダーとなって先導したとしか考えられないが、劇中にそれを匂わせる演出はない。

そもそも彼女たちは何によって現世と隔てられていたのかが分からない。地下世界に繋がる長い一方通行のエスカレーターが出てくるが、アデレードの分身が子供のころそれを突破して遊園地のミラールームへ行ったことをみると、さほどの障壁ではない。分身に知能がないためと考えると、分身たちが一斉に反乱を起こした経緯がますますもって理解できない。

ところどころにサインのように現れる宗教的なメッセージも、分身たちが再現するHands Across Americaも、不気味さを強調する道具という部分ばかりが強過ぎていまひとつ伝わってくるものがない。

いまのハリウッドの流行から類推すれば、反トランプ、少数派にやさしい社会をということで、赤いつなぎの分身たちが延々と連なる不気味な光景は現代社会の歪みとその怖さを表現しているのだろうが、多様性を認めた先には更に歪んだ未来が待っているのではないかとうがった見方をしてしまう。

ラストのどんでん返しに至ってはとってつけた感が満載で頭を抱えざるを得ない。J.ピール監督についていけないこちらが悪いのだとは思うが、誰かにしっかり解説してもらいたいところだ。

(50点)
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「ロケットマン」

2019年09月08日 10時42分25秒 | 映画(2019)
あふれ出る才能。一部で作品完成。


好きなアーティストは誰?と尋ねられると返答に困るが、言えるのは、いつ訊かれたとしてもElton Johnは確実に3指に入るということ。

彼が書くメロディーラインの美しさは並ぶ者がいない。決して単純な作りではないのに万人の心に響く洗練性、メジャーもマイナーも、バラードもロックンロールも何でもござれの万能性。80年代は彼の新作が出るとすぐに貸しレコード屋へ行ったものだ。

"Candle in the wind 1997"が世界一売れたシングル盤としてギネス認定されるなど、記録に残る超大物アーティストであるEltonであるが、わが国国内での人気や知名度となると疑問符が付くところ。しかし今回、おそらく昨年の「ボヘミアンラプソディ」の成功の余波であろう、本作が全国拡大公開されることになった。

映画は、彼の様々な曲をミュージカル調に流しながらその激動の半生を描くというもの。「ボヘミアンラプソディ」のときも記事に書いているが、今回も挫折のエピソード自体に新鮮味はない。あるあるの域を脱することはない。

しかしそれでも、全篇を通してEltonの曲が流れることがうれしい。観る前から聞いていた話だが、曲の時系列はばらばらであり、物語と曲の絡みは完全なフィクションである。それが分かっていても、なんとなく「この曲はこの時期の彼の状態にぴったり」と思えてくるところが興味深い。

何より彼の特筆すべき記録は、1970年から30年に渡って毎年Billboard TOP40にヒット曲を送り込んできたことである。本作では、依存症や人間関係で不安定になった様子が描かれるが、そんなときも彼はずっとクオリティの高い曲を書き続けてこられた。おそらくこの記録は今後も破られることはないであろう。

その天賦の才能によって生み出された曲が山ほどあるのだから、中にはある時の状態に合致したものがあるのも納得なのである。

ただ基本的に大きくフィーチャーされる曲は彼のキャリアの前半が中心となる。80年代発表の"I guess that's why they call it the blues"、"Sad songs (say so much)"などはワンフレーズのみの登場にとどまり、しかも所属事務所の社長に即刻全否定される。なんとも贅沢な扱いに苦笑する場面だ。

黄色いレンガ道に別れを告げて、まだ自分の足で立っているよと再生を果たしたという下りでハッピーエンド。"I'm still standing"は洋楽を聴き始めたころの大好きな曲。当時創生期だったミュージックビデオの再現まであって個人的に満足だった。実際はこの曲の後も依存症の時期は続くのだが・・・。

T.エガートンが吹替えを使わず熱唱。Elton本人とは「キングスマン:ゴールデンサークル」繋がりと言える。すっかり気に入られたようでライブでのゲスト出演の映像も先日見かけた。本人に寄せるのではなく、熱量で物語に魂を吹き込む姿が清々しかった。

(75点)
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「ワンスアポンアタイムインハリウッド」

2019年09月01日 00時32分55秒 | 映画(2019)
ハリウッドのやさしいおとぎ話。


1960年代後半から70年代にかけての時代の印象は、戦争、暴力、混沌である。泥沼化したベトナム戦争、国内では安保闘争から学生運動や過激派による事件、オイルショックなど不穏な言葉ばかりが思い浮かぶ。

そんな時代の最中、1969年に起きたシャロンテート事件は、名前は聞いたことはある気がするが、詳細を知ったのは今回が初めてであった。

ヒッピーたちのカルト集団が新進の若手女優を惨殺した事件はハリウッド史上最大の悲劇と呼ばれていると言う。

その事件を題材にした映画を、なんとあのQ.タランティーノ監督が作った。しかもL.ディカプリオB.ピットという2大俳優が主演というのだから興味が湧かないはずがない。

観る前は、3人とも過激な演出がハマる顔触れだけにそれなりの覚悟をしていたのだが、始まってみるとかなりコミカルな場面が多かった。

L.ディカプリオ演じるリック・ダルトンは、50年代にテレビシリーズの主役として人気を博していた。しかし映画界へ転身しようとして失敗し、今は新たなスターの引き立て役として単発の悪役しか仕事が来ない状態である。

彼にいつも寄り添うようにいるのがB.ピット演じるクリフ・ブース。リックのスタント俳優であるとともに、彼の私生活のほとんどを面倒見るマネージャー的な役割を果たす。わがままで気分屋のリックを冷静にとりなしているように見えるが、実は彼にもいわくつきの過去があるようで・・・。

と、この二人はいずれもフィクションのキャラクターなのだが、彼らの周りを実際にあった映像作品や人物が彩っていて、観ているうちに昔のハリウッドの実話をなぞっているような感覚に引き込まれていく。

リックはもう少しで「大脱走」の主役になっていた。クリフがブルースリーにけんかを売った。そしてリックが住む邸宅の隣に引っ越してきたのが、R.ポランスキー監督とシャロンテート夫妻であった。

「ローズマリーの赤ちゃん」を世に出して飛ぶ鳥を落とす勢いのポランスキー監督がヒエラルキーの頂点とすれば、落ち目のリックは1ランク下、そのマネージャーでトレーラーハウスに住んでいるクリフはもう一つ下になる。その更に下に位置するのが路上にたむろするヒッピーたちである。

物語の序盤で画面を横切るようにヒッピーたちが歩いていく。そのうちの一人がクリフに目配せをする。

この立場の違う登場人物たちがどう交差していくのか。意味ありそうでなさそうな長いシークエンスの重なりが、緊張感を生むとともに後半への期待感を増加させる。

そしてすべてが繋がるクライマックス。この展開は正直予想していなかった。

何故この事件を題材に選んだのか、そして事件をどう描いてみせたのか。事件の背景を少しなぞっただけなのに涙があふれそうになった。更にとても爽快な気分になった。

次から次へと出てくる当時のテレビや映画の映像、人々のファッション、自動車に娯楽施設の造形。おそらく細部まで緻密に忠実に作り上げたに違いない。贅沢を味わいつつ、かつ予想外に心が温かくなる快作であった。

(95点)
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