Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「アベンジャーズ」

2012年08月19日 05時21分22秒 | 映画(2012)
N.フューリー曰く、抑止力。


なんと久しぶりに途中で寝入ってしまった。

レイトショーとはいえ当日は昼寝もしてたんだけど。やはり原因はあれかな、3Dメガネ。2Dにしておけばよかった。

だから話の筋は実はよく分かっていない。ソーの弟が得体の知れない黒幕から命じられて、地球を支配しようとしているくらいに読み取れたが・・・。

そもそも残念ながら、MARVELのシリーズでまともに観たのは「アイアンマン」の1と2くらい(「ハルク」はE.ノートンだったし)だったので、それぞれのヒーローが抱えている環境や問題をそれほど理解できてはいなかった。まあ観ていたとしても、すべてを直前に復習するというのはハードルの高い話であるが。

そんなわけで、お祭りのような娯楽作品だし、派手な映像を楽しめばいいと自分を納得させながら観た。

アベンジャーズは7人と言われているが、「超」がつく力を持つのは、神の血統であるソーと、富と科学の産物アイアンマン、そして変身する怪物のハルク、この3人である。

他の4人は基本的に人間なので、7人が同レベルの活躍をするというのはなかなか難しい。

超の3人が力を駆使して戦闘を行うのであれば、他の4人は更にあり得ないレベルに高い能力を引き出さなければならない。少なくとも空は飛べないわけだし。

それでもよく闘っていたと思う。特におもしろかったのはアベンジャーズ同士の争いだ。

ホークアイを洗脳という形で敵方に付ける設定もあって、ほぼ全員が違う方向を向いている前半。ハルクなどは覚醒したら手当たり次第に攻撃して、まさに相手の思うつぼ。

それ故に、物理的にも心情的にも散り散りになったアベンジャーズがNYに集結するところが見せ場となる。

突っ込みどころは、あの大事になっている状況の中スクーターで現れた博士=ハルクと、集結したメンバーを突然仕切り始めるキャプテン・アメリカか。キャプテン、どさくさに紛れて序列作っちゃって。そこは年の功か。

とにかくアメリカは闘う。街が破壊されようとも引き下がることはない。彼らは世界中の何処かにいて、いざとなればいつでも闘う準備はできている。分かってるよね、他国のみなさん。

(70点)
コメント (4)
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「桐島、部活やめるってよ」

2012年08月17日 23時45分55秒 | 映画(2012)
青春のいじわる。


大きな事件が起こるわけじゃない。校内暴力が潜んでいるわけでもない。言ってみれば平和で健全な学校である。

しかし、そんな学校にも確実に存在する大きく高い壁。言い換えれば生徒間格差とでも言おうか。

脚光を浴びる者と陽の当たらない陰で暮らす者。桐島という一人の生徒の噂を通して、その残酷なまでの世界の違いをまざまざと見せてくれる。

学校生活のスターは運動部。桐島はその最上位に君臨していたらしい。

「らしい」というのは、劇中に彼の姿はまったく登場しないからであり、それは平民には手の届かないほど上位の存在であるという一種の象徴でもある。

学校の世界にある、運動部>帰宅部>文化部という固定された格差の中で芽生えるそれぞれの感情。

文化部は劣等感を携えながら、より自分の世界へ深化していく。帰宅部は運動部を醒めた目で眺めつつ文化部に対しては優越感に浸る。運動部は言わずもがなだ。

もちろんすべての生徒が100%同じ感情に浸るわけではない。運動部にいながらも人間の弱さを理解できる者もいれば、帰宅部に身を置きながらも何かしっくりこないと感じる者もいる。

桐島の噂が引き金となって、分けられた集団が更に細分化されていく様がおもしろい。

特に象徴的なのは、桐島には及ばないものの、彼女がいてスポーツ万能ながら帰宅部として過ごしていた宏樹である。

日常何気なくつるんでいた彼女や友人の代わりに、懸命に練習を続ける野球部の先輩、自分に熱い視線を送る同級生、そしてまったく異次元の世界の住人である映画部・前田の姿が視野に入ってくる。

その一方で、宏樹の彼女・沙奈の心境に変化はない。周りの微妙な心の揺れを煩わしいくらいにしか感じない彼女の近い未来が見えるようだ。

映画の序盤は、たくさんの登場人物の個性を植え付けるため、同じ日の光景を別の視点から繰り返す「バンテージポイント」方式で進む。

これはかなり効果的だった。それなりに個性豊かな生徒たちの良い面悪い面が更に際立って、感情移入もしやすくなった。

どんなに平等や公平を図ろうとしても、いかんともしがたいのは個性があるから。学校とは、個性をこすり合いながら生き方を学んでいく場なのである。

残酷な世界を描くが故に安易なハッピーエンドは必要ない。

そんな制約がありながらも、観る側がカタルシスを得られる場面を入れてきたところは巧い。夢さえ想像できれば、明日を生きる活力は蓄えられるからね。

(95点)
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「ハーフデイズ」

2012年08月16日 22時43分51秒 | 映画(2012)
決して半日の話ではない。


1組の男女が違う1日を生きる様子を並行して描くという映画。

「決断」が一つのキーワードになっているが、2つの話は必ずしも表裏一体となっているわけではない。

「イエロー」と付された物語では、女性の両親に会うのを断ってマンハッタンへ繰り出した結果、翌朝までトラブルに追い回される羽目になる。

「グリーン」と付された物語では、ブルックリンにある女性の親族宅で催されたパーティーに参加し、じっくりと家族と向き合う一日を過ごす。

「動」と「静」という対照的な話を同じ人物が同時に演じるところが本作の売りかと思うが、「イエロー」側のトラブルのきっかけとなる携帯電話の顚末があまりに軽率過ぎて引いてしまう。

「グリーン」はといえば、こちらはこちらで、何か起こるのかという思いで見ていてもまったりと微妙な空気の時間が流れるばかりで、眠気が襲ってきそうになる。

切り替わりが激しく、一方の話は基本動きっぱなしという割りには、どうにもテンポが良くないのだ。

それはやはり、巻き込まれたトラブルというよりは、自業自得の事象にもたもたしているだけという印象が強かったせいなのだと思う。

2組のもとに朝の光が射したときは、正直ほっとしてしまった。

(55点)
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「おおかみこどもの雨と雪」

2012年08月16日 22時08分12秒 | 映画(2012)
それは濃密な13年間。


東宝と日テレの多大なバックアップを受けて、細田守はいよいよポストジブリのお墨付きをもらったようだ。

そんな「国民的」看板の影響は内容にもみてとれる。

おおかみこどもとして生まれた雪と雨。

特に幼児時代の雪がやんちゃに暴れ回る姿は、コミカルでかわいく子供に大ウケしそうな一方で、懸命な愛情で子育てを続ける花の姿は、子を持つ親たちの胸に刺さる。

愛するおおかみおとことの別離まで過ごす東京郊外の街並みと、疎開した山奥の村の大自然。対照的な景色ながら、いずれも細かく丁寧な筆先で描かれて、観る側の気持ちを温かくさせる。

頑固なじいさんが現れれば、動物も出てくる。意識してかどうかは分からないが、全方位に目配せされた舞台設定となっている。

雪と雨の成長の過程も、よく書かれていると思った。

元気なおねえちゃんと、少し引っ込み思案のおとうと。

同じ過程に育ちながらも、性格の違いがその後の環境や人生の選択へと結び付いていく様は、結果としては意外ながらも、全般を捉えれば極めて自然に受け止められた。

そしてその成長を全力で支えた母の努力には、とにかく敬服するほかなかった。

ただ、最後の場面では雪が12歳で雨が11歳だったんだよね。わが家の娘、小学6年生と比べて遥かに大人だったのは、おおかみの血が混じっているからだけではないだろうな。

あと少し残念といえば、やっぱり父の描写がどうしても足りなかったことだろうか。

彼の存在が謎であるが故の物語だということは承知の上で、やっぱり花がかわいそうだと思った。

12歳にして子供が独立していってしまったわけで、これからの彼女の生き甲斐はどうなるのかと、つい余計な心配をしたくなった。

(75点)
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「トータルリコール」

2012年08月12日 05時37分38秒 | 映画(2012)
通過します。


旧作を観返したわけではないが、観ているうちに「そういえば・・・」と思い出すこと数度。

抱いた感覚の限りでは旧作と結構設定や話の筋が変わっていて、その度に「これは前の方がよかったんじゃないか」と思ってしまった。

と同時に、あのA.シュワルツェネッガーの偉大さを改めて実感した。

それは決して演技の上手い下手ではなくて、存在感というか作品との相性とでも言おうか。

近未来を描く作品にもいろいろあって、この作品というのはあまりリアリティを追求するものではないと思う。

故に、宇宙空間へ放り出されて目玉が飛び出しそうになる「あり得ない」画や、思いも寄らぬ過去の自分に関するサプライズを分かりやすく演じられるシュワ氏がハマっていたのだ。

コリン・ファレルだと、アクションの痛快さを味わうよりも何か考えさせられて胃がもたれる感じだろうか。無論、コリン・ファースより向いていることは確かだが。

舞台を地球上にし独自の世界観を映像で示そうとしたことは、おもしろい試みではあったが、効果が十分に発揮されたとは思えなかった。

特徴的なものは地核を貫いて地球の表と裏を行き来する「フォール」くらいなもので、空中を浮遊する自動車や縦横無尽に走るエレベータは、既視感がある上にアクションを視認しにくい。

そもそも手のひらに埋め込まれた携帯電話を、まるで棘を抜くように簡単に外してしまった時点でこれはダメだと思った。オバマの肖像画がデザインされた紙幣も安っぽさを倍増させるだけ。

更には、登場人物にもあまり魅力を感じなかった。

とにかく偽装妻のK.ベッキンセールが出過ぎ。とことんしつこい割りには最後は拍子抜けするほど簡単に決着がつく。

戦闘部隊はスターウォーズからの借り物のようだし、敵味方とも黒幕があっさりしていて存在が軽い。

「超」のつく大作が目白押しの中で、北米でもわが国でも埋没してしまうのはどうにも避けられないところだろう。

(50点)
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