Con Gas, Sin Hielo

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「阪急電車 片道15分の奇跡」

2011年04月30日 23時20分44秒 | 映画(2011)
善き人の苦悩と心なき人の傲慢を乗せて。


子供のころ電車に乗れる生活に憧れていた。特にロングシートの車両。

県営宮城球場の野球観戦に仙台から宮城野原まで乗っただけでも、とてもうれしか
った。

そういう意味では、現在の自分は当時の夢を叶えているわけだ。今でも好きですよ
、電車。駅の近くに居を構えたことにも通じてるし。

「電車」という響きが好きだ。

関西では何故か駅の案内に「○○電車のりば」なんて書かれていたりする。「電車
」といっても車両本体のみを指しているのではない。首都圏だと「○○線」と書く
ところを敢えて書いているのだ。

おもしろいことに、「○○線」ではどうにも事務的になるところを、「○○電車」
とするだけで、そこに関わる人々の生活までもが膨らんで見えてくる。この辺りの
人情味がなんとも関西的だと感じる。

そして、そうした日常の風景を切り取る象徴的な風景として挙げられるのが私鉄沿
線である。

それほど距離がない駅間、ごちゃごちゃとして車より人の行き交いが主役である駅
前の商店街。

空気が生活臭に満たされている分、人との付き合いが暮らしやすさ、生きやすさに
直結する。

この映画、大概はベタな話だ。エンドロールで確認すると脚本は岡田惠和。納得。
ベタで都合のよい展開は「ちゅらさん」等でおなじみだが、嫌いじゃないし寧ろ心
地よい。

しかし今回ちょっと違うのは、誰のエピソードにも背後に困った人たちが存在して
いること。電車で騒ぐおばちゃんやDV男、陰湿ないじめをする小学生といった登場
人物が出てくるが、更に驚きなのが、その困った人種に改心する気配がないことで
ある。

つまり本作は勧善懲悪のおはなしではないのだ。

どうしようもない人たちがいることは事実で変えようがない。それでも自分が正し
いと思うことを信じて打開していこうという、奇跡でも何でもない当たり前の帰結
に物語は行き着く。

主演の中谷美紀が舞台挨拶で東日本大震災に触れていたらしいが、この「どうしよ
うもない人たち」を「起きてしまったどうしようもないこと」と置き換えれば、確
かに被災地の状況とも重ねられる。

人生は行き先のない電車。乗った電車が何処へどう行くかは分からない。人は乗る
電車を選び、折り合いをつけるか、下りて別の電車を探すかしかない。

(75点)
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