Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「10 クローバーフィールドレーン」

2016年06月26日 04時07分36秒 | 映画(2016)
身近な恐怖>地球の危機。


数年前に公開された「HAKAISHA」とは何の関係もない話。J.J.エイブラムスは「クローバーフィールド」という響きが好きなのだろうか。

「HAKAISHA」と通じるのは、壮大なSF的な背景を匂わせながら、敢えて手造りムービーで押し通しているところ。今回は全体の8~9割が地下シェルター内で繰り広げられる人間同士の対決である。

だから、期待するところを誤った人にとっては、おそらくとてつもなく退屈な時間が続くことになる。この辺りは宣伝会社泣かせでもあるだろう。J.J.エイブラムス、金持ちの意地悪ないたずらである。

密室劇は確かに長いが、制約が数多くある中ではそれなりに巧く演出されている。

シェルターの主であるハワードが言っている地球外からの攻撃は事実なのか。主人公とともに疑心暗鬼の手探りが続く序盤。

秘密の一端が明かされて訪れるひとときの平穏から、再び主人公を恐怖に陥れる仕掛け。

上では「いたずら」と決めつけているが、予算に頼り切らずストーリーテリングを重視しようとするエイブラムスの姿勢は評価されるべきである。

シェルター脱出後は一気にテイストが変わって大味なSFモノと化すが、この変わり様も含めての作品である。評価はともかく、今後もこうした挑戦をするのなら見続けていきたいとは思う。

(60点)
コメント (2)
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「殿、利息でござる!」

2016年06月26日 03時14分54秒 | 映画(2016)
いつの世にも通じる滅私奉公の尊さ。


KHB東日本放送の開局40周年記念作品だそうである。開局と同時に、前日までミヤギテレビで放映していた番組がKHBへ移って驚いた思い出がある。歳だね。

物語の舞台は小さな宿場町、吉岡。これも懐かしい地名だ。泉に住んでいた子供時代、「吉岡」行きの宮城交通はえらく遠くまで行くバスという意識があった。

江戸時代に暮らす庶民の生活を事細かに調べて書き上げた磯田道史氏の原作が何よりおもしろい。

本作を観るまで、「大肝煎」「肝煎」という役職や「伝馬役」という制度を知らなかった。ここでは悪い意味になるが、参勤交代と同様に領土を体よく治める仕組みをよく考えたものである。侮り難し、江戸時代の日本人。

そんな権力による、いわば圧政に対して頭脳と人情で対抗した農民の話というのだから、これは痛快だ。言い伝えるうちにどこかしら脚色が加わっている可能性もなくはないが、おそらくほぼ事実なのだろう。

立場や性格が少しずつ異なりながらも、地元のためになけなしの財産をかき集めて持ち寄る人たち。時にはおかしく、時には感動的なエピソードが全篇に散りばめられている。

キャストも良い。気が小さく心の底に劣等感を抱く造り酒屋・穀田屋の阿部サダヲと、常人にはない発想と明るい性格で一目置かれる茶師・菅原屋の瑛太が中心となるが、周りを囲む俳優陣も実力者揃いである。

特に、はじめは冷徹な金貸しとして描かれる穀田屋の弟・浅野屋を演じる妻夫木聡の静かな佇まいは、この物語の大きな鍵となり、感動を倍加させている。

他方、吉岡宿の必死の申し立ての交渉相手であり、いわゆるラスボス的な存在となる仙台藩の出入司・萱場役の松田龍平も見応えがある。単に嫌がらせをする悪役ではなく、彼なりに藩と民衆の立場を鑑みて、厳しいが非常に真っ当な裁定を下しているところが、なんとも財務役人的でおもしろい。

役人といえば、直上の上司である肝煎からラスボスまで一人ずつ理解を取り付けていく経緯も、現代の会社組織と何ら変わりなく興味深い。最後の伊達のお殿様はボーナスステージといったところか。羽生結弦くんは意外と達者であった。

物語、演者、背景が揃いも揃って抜群なのだから、評判が良いのも当然といったところか。こうしたDNAを受け継いでいるはずの我々なのだから、過疎化や高齢化に苦悩する地方においても、なんとか光明を見出してほしいものである。

(90点)
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「帰ってきたヒトラー」

2016年06月19日 23時40分42秒 | 映画(2016)
史上最強のアイコン。


ドイツって、世界三大映画祭の一つであるベルリン国際があるにも拘らず、あまり映画の印象がない。ドイツ映画と聞いて思い出すのは「Uボート」くらいだろうか。フランスやイタリアとは違う。

そんなドイツが風変わりな作品を送り込んできた。21世紀の現代にあのアドルフ・ヒトラーがタイムスリップしてくるというのだ。

ヒトラーが出てくるという時点で、コメディ要素を含むとはいえ、社会派映画には間違いない。となると見どころは自ずからその切り口ということになってくる。

なにしろ、この多様化が進んだ世界の中でも、限りなく全員に近い人々がその存在を悪と言わざるを得ない稀有な人物である。その印象を壊し過ぎないことと、魅力的な物語を作り上げることをどう両立させるのか。

突然現代に迷い込んだアドルフが事情を飲み込むまでの顛末は結構粗い。設定に無理があるからと言ってしまえばそれまでだが、訳が分からず街をあたふたと彷徨う場面のリズムが良くない。現代世界の案内人となるテレビマンのザヴァツキとの出会い方も強引だ。

ただ、設定が落ち着いてからの展開は、訴えたいことの芯がしっかりしているから、次第に冴えを見せ始める。おそらくドイツの内政に詳しいほど、この話の面白さと怖さを感じることができるのだろうが、根底にあるものは国によらずそれほど違いはないようにも思える。

人々が不安と不満を抱えるとき、私が力になりましょうと言ってくる者がいれば、つい耳を傾けてしまうかもしれない。

現代へ迷い込んだアドルフは非常に聡明であり、自分が改めて課せられた使命を理解するとともに、その実現に前世紀から大幅に進んだ技術革新が役立つことを直感的に感じ取る。

人心を読むことに長け、道化と受け取られていることを巧みに利用して、支持を広げていく。

買い被り過ぎなのかもしれないし、そう願いたい部分はあるが、その願いを打ち砕く最後の場面の衝撃は見事だ。

ある点を越えたらもう元に戻ることはできない。でもその点は見えないし、誰かが気付いても世間を説得させることが難しいから、世界から悲劇が消えることはないのである。

(75点)
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「教授のおかしな妄想殺人」

2016年06月12日 04時22分07秒 | 映画(2016)
真剣になるほど滑稽さが際立つ巧みな設定。


東京都知事が2人連続してカネの問題で、議会や会見で追及され醜態を晒す。

普段もてはやさている有名人が不倫現場をスクープされて、公衆の面前で平身低頭を余儀なくされる。

こうした姿を見せられるとどうしても力が抜けてきてしまうが、待ってほしい。遥か昔から人間は愚かなものと相場は決まっているのではないか。

こんな悲しくもおかしい人間を描かせたら天下一品のW.アレン作品が今年も映画館にやって来た。

今回の主役はアレン作品初登場のJ.フェニックス。人生に悲観した哲学教師エイブは、まさにアレン作品の主人公たる男。

冒頭に大学へ赴任してくる彼は、表情に生気がなく、腹も弛みっぱなし。しかし彼が醸し出す雰囲気が、人生を達観した退廃的な印象を感じさせるのか、彼の近くには女性が絶えることがない。

「マジックインムーンライト」に続いての出演となったE.ストーン演じる大学生ジルもその一人。彼女は頭が切れてピアノも弾ける。申し分ない交際相手だっているのに、彼に惹かれる気持ちを止めることができない。というよりむしろ自分から彼に近付いていく。

エイブが時々口にする「直感を信じろ」という言葉。

彼が言うと何やらうんちくのあるように聞こえてくるし、実際夜の遊園地では商品もゲット。

しかし世の中アタリがあればハズレもあるのが常である。エイブが直感で生き甲斐と感じた殺人は、ジルの直感では許されないことであった。

直感・選択・行動という語群と、理性・逡巡・停滞という語群が、主人公たちの中で鮮やかに行き来する。

しかし悲しいのは、前半の停滞エイブも、生まれ変わった行動エイブも、行き着く先は破滅だという点である。要は過ぎてはいけないということ。

迷いながら間違えながら、行きつ戻りつを繰り返して進んでいくのが人生なのである。

御大となりながらも、押しなべて自虐的に、ただししっかりと愛情を注いで滑稽な人物を描くアレンの物語がいつも以上に痛快にハマっている。

これは危ないと分かっていながらエイブに接近するジルがちゃらんぽらんなら、反省の言葉を聞いてあっさり元サヤに収める彼氏ロイもお笑いだ。

もちろん最大の愚か者はエイブだ。キルケゴールがどうだと小難しい講釈を垂れている彼が、大まじめで「パーフェクトだと思った」と解説した最後の行動。

小道具を巧みに生かす魔術師と、昔ながらのドタバタコメディアンという、W.アレンの魅力を両方堪能できる最高のクライマックスであった。

ただ1点の不満。「妄想」ではないよね。

(90点)
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「ヒメアノ~ル」

2016年06月12日 03時41分44秒 | 映画(2016)
「~」は日常の間延びか、尾いてくる何かか。


V6の森田剛が殺人鬼を演じることで話題になっている本作。

元々彼に品行方正な印象はないので、まったくと言っていいほど違和感がない。言い換えれば、世間が言うほど彼の演技力を感じられるわけではない。

むしろ本作で際立つのは、彼の演技を含めて日常のすぐ傍に潜む狂気を自然に描いているところだろう。

その象徴が殺伐とした殺人と並行して繰り広げられる浜田岳ムロツヨシ中心のコミカルパートだ。

クレジットこそ森田がトップに来るが、本作の主役はまぎれもなく浜田演じる「岡田くん」である。彼の冴えなくも微笑ましい何気ない生活を時間を割いて映すことで森田演じる「森田くん」の近さと絶望の輪郭が明確になる仕組みだ。

恐怖が日常のすぐ傍にあると同時に、恐怖が生まれたきっかけもまた近くにある。高校の同級生であった「岡田くん」と「森田くん」の偶然の出遭いは、彼らの思い出を巻き戻すと同時に運命を早送りした。

壮絶なクライマックスを経て行き着いた「森田くん」の姿が限りなく痛々しい。

見た目だけではない。どうしてこんな悲劇が生まれてしまうのか。実話ではないにしろ、あり得ると感じさせるに十分な設定だから力がある。

前作「グラスホッパー」でも重要な役で存在感を示した佐津川愛美が今回も好演。三角関係の恋愛ドラマの中で、森田の狂気のスイッチを入れてしまうのは彼女だ。

100%被害者であることは間違いないが、その気がなくても周囲の男性を振り回してしまう女性。これもすぐそこにある恐怖かもしれない。

(75点)
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「デッドプール」

2016年06月04日 22時37分42秒 | 映画(2016)
「クソ無責任」はいかにも苦しい形容詞。


R.レイノルズのデッドプールといえば、「ウルヴァリン:X-MEN ZERO」でおしゃべりな口を縫合されて悲惨な目に遭っていた印象が強い。

それがどのような形で主役になるのか興味があったが、なるほど悲惨な仕打ちを受けても肉体的にはほとんど堪えない型破りヒーローであった。しっかりと原作があるとはいえ、数年前の作品と違和感のない世界観に収める手腕は相変わらず見事なマーベルである。

で、今回は主役なのでとにかくよくしゃべる。これは実は字幕スーパーを要する洋画には不利であり、どれだけオリジナルの面白さを伝え切れるかが勝負となってくる。

さっそく冒頭に出演者を紹介する字幕からおふざけが入ってくるのだが、ここでは正直本篇に不安を感じざるを得なかった。英語と日本語の空気感の違いなのだろうか、さらっとした遊びをわざわざ翻訳することで途端に野暮ったくなる。これは本当に難しい。

しかしそこは作品の強さが次第に勝ってくる。観ているうちに慣れてくるのもあるかもしれないが、デッドプールのノリに引きずり込まれて自然に笑えるようになった。

やたらと重い運命を背負いがちなアメコミヒーローの中で、彼の底が抜けたような軽さはそれだけで個性である。もちろん彼にも過酷な運命があるのだが、それを越えてなお悪ガキのように振る舞うところが最大の魅力である。

ほかにもコメディベースということで映画の自由度が増して随分と得している。デッドプールがしばしばスクリーンのこちら側へ語り掛けてきたり、X-MENの関係者が2名しか出てこないことを製作費がなかったからと自虐したり。この手があれば弱点をむしろ押し出していけるのだから便利だ。

その調子で、エンドロールもマーベルでありながらマーベルのパロディともとれる演出をしている。次はもっとたくさんのミュータントと絡むことを期待しているが、双方の世界をどう馴染ませていくか非常に楽しみだ。

(80点)
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