Con Gas, Sin Hielo

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「君の名は。」

2016年08月27日 15時06分47秒 | 映画(2016)
ひねって結べば、メビウスの環。


これまで単館上映などで地道ながら高い評価を受けてきた新海誠監督がメジャー展開に大きく打って出た本作。

日本アニメの特徴ともいえる風景描写の美しさ、キャラクターの愛らしさには文句のつけようがなく、関心はどのような物語を紡ぐのかにあった。

予告でさんざん流されていたとおり、山村に暮らす女子高生・三葉と東京に暮らす男子高生・瀧の入れ替わりが巻き起こす騒動が主軸で進むが、ある時から突然入れ替わりが起こらなくなり、2人が入れ替わった元を突き詰めていくと意外な真実が待ち受けていたという建付けになっている。

入れ替わりモノにもはや新鮮味がない中で、付加させた要素の意外性は斬新だった。

一つは時間の概念。考えてみればタイムトラベルものは入れ替わり以上に定番なわけで、ウケを狙う観点からも実は鉄板であった。

そしてもう一つが宗教・精神的な世界観の描写。

こちらは時間ネタに比べると決して鉄板とは言えず、むしろ当たりか外れかの博打という印象を受けた。

なにしろ彗星である。観客が期待してきた裏をかくのであれば、それ以上に満足感を与える組み立てをする必要がある。

比較として適切ではないのかもしれないが、「シン・ゴジラ」は怪獣映画の形をとりつつ徹底した現実感でまとめ上げた点で多くの高評価を得ている。

彗星という飛び道具をどう物語に接着させるかという点で、本作は運命的かつ伝統的に受け継がれてきた「結び」という言葉を使った。

客観的にみれば、これをもって話は収まりがよくなったと言える。赤い糸で結ばれているよろしく、男女の話としてロマンあふれる王道へと戻っていく。

ただ全面的に支持するとは言えない。夜空に弧を描く彗星は幻想的で作品の象徴になり得る存在感を示している。ただ画として映えることと、話としてきれいに膨らむことは必ずしも両立しない。

上に書いたように「結び」という言葉によって一応の収まりをつけてはいるが、壮大に開放した展開すべてを収拾したとは思えなかった。

特に引っ掛かったのは、あれだけ難航した避難作戦がいつの間にかうまくいっていたこと。悪化していた三葉と父親の関係がどう修復されたのかも描かれないまま歴史が書き換えられてしまった。

そのため、最後にやっとの思いでめぐり会えたはずの結末のカタルシスがいまいちなのである。感動という意味では、もう三葉がいないと知った絶望の中で入れ替わりが発生したときの方が格段に上であった。

しかしながら、いろいろ文句をつけながらも作品の力自体は非常に高く評価すべきものと思う。本作のヒットで新たな鉱脈が誕生したとも言えるだろう。

文句ついでにもう一つ。監督の好みと聞いているが、RADWIMPSの音楽は少し過剰だった。

(75点)
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