すぐれた企画、さりげない味付け。
サイレントからトーキーへという変遷は、まさにモノクロからカラーへ移行したのと同じくらい、いやむしろそれ以上の革命的な出来事だったように想像する。
もちろん新しく便利な技術へと世の中が進むのは当たり前の話である。
しかし、常に新しいものを取り入れながらも、時々は昔を思い返すのが人間であって、特に映像に関しては現代でも、敢えてモノクロ処理した映像をよく見かける。
そしてそれは単なる懐古趣味にとどまらず、現代の技術を活かして融合させた新たな技術として私たちの目を楽しませてくれている。
しかしながら音声で同じような事例が何かあるかと問われると、なかなかすぐには浮かんでこない。サイレントにはサイレント独特の味わいがあるのは当然なのに不思議な話である。
そこに突如登場し、ついにはアカデミー賞作品賞まで獲得してしまったのが本作である。
舞台は、まさにどんぴしゃの往年の映画界。時代の流れに乗るのを拒んだ男と、波の先端に乗りあっという間に男を追い抜いた女。
分かりやすい設定ではあるが陳腐ではない。はっきりした設定の下でこそ生きてくる隠し味が散りばめられている。
自らのプライドも手伝ってトーキーへの転身を拒否した男だが、心の奥底に潜む不安が顔を出す。いや、音を出す。
BGMのみの世界から、急に周りの物音が聞こえるようになる場面は、予想外のインパクトがあった。
更にそこでは自分だけが声を発することができない。混乱と焦りは、自分の誇りを根こそぎ掘り返してしまう。
主演男優賞を獲得したJ.デュジャルダンは、絶頂期の自信溢れる表情から何もかも失ったうつろな表情まで器用に幅広く表現。劇中映画の、まさに過度に誇張した演技ぶりも良かった。
また、「クレしん」のシロ並みの優れた働きをする噂の名犬。お抱え運転手とともに、すべての財産を失った男に付いて行く健気な姿は、映画の温かみを倍増させた。
録音技術やスピーカーの品質など音響の世界も進歩しているが、こうした万人が楽しめる音の企画モノも、今までなかっただけにおもしろい。
100分余りの時間で、いかに毎日の生活が喧騒の中に存在しており、私たちがそれに慣れてしまっているかを改めて感じることができたことは、貴重な体験であった。
(90点)
サイレントからトーキーへという変遷は、まさにモノクロからカラーへ移行したのと同じくらい、いやむしろそれ以上の革命的な出来事だったように想像する。
もちろん新しく便利な技術へと世の中が進むのは当たり前の話である。
しかし、常に新しいものを取り入れながらも、時々は昔を思い返すのが人間であって、特に映像に関しては現代でも、敢えてモノクロ処理した映像をよく見かける。
そしてそれは単なる懐古趣味にとどまらず、現代の技術を活かして融合させた新たな技術として私たちの目を楽しませてくれている。
しかしながら音声で同じような事例が何かあるかと問われると、なかなかすぐには浮かんでこない。サイレントにはサイレント独特の味わいがあるのは当然なのに不思議な話である。
そこに突如登場し、ついにはアカデミー賞作品賞まで獲得してしまったのが本作である。
舞台は、まさにどんぴしゃの往年の映画界。時代の流れに乗るのを拒んだ男と、波の先端に乗りあっという間に男を追い抜いた女。
分かりやすい設定ではあるが陳腐ではない。はっきりした設定の下でこそ生きてくる隠し味が散りばめられている。
自らのプライドも手伝ってトーキーへの転身を拒否した男だが、心の奥底に潜む不安が顔を出す。いや、音を出す。
BGMのみの世界から、急に周りの物音が聞こえるようになる場面は、予想外のインパクトがあった。
更にそこでは自分だけが声を発することができない。混乱と焦りは、自分の誇りを根こそぎ掘り返してしまう。
主演男優賞を獲得したJ.デュジャルダンは、絶頂期の自信溢れる表情から何もかも失ったうつろな表情まで器用に幅広く表現。劇中映画の、まさに過度に誇張した演技ぶりも良かった。
また、「クレしん」のシロ並みの優れた働きをする噂の名犬。お抱え運転手とともに、すべての財産を失った男に付いて行く健気な姿は、映画の温かみを倍増させた。
録音技術やスピーカーの品質など音響の世界も進歩しているが、こうした万人が楽しめる音の企画モノも、今までなかっただけにおもしろい。
100分余りの時間で、いかに毎日の生活が喧騒の中に存在しており、私たちがそれに慣れてしまっているかを改めて感じることができたことは、貴重な体験であった。
(90点)
>分かりやすい設定ではあるが陳腐ではない
そうそう、サイレント映画ってやっぱりセリフすくなでわかり易くなっていますよね。
劇中でも言ってたけど、そのかわり表情や身振り手振りが大袈裟。
そのトーキー映画への移り変わり、
映画界での栄枯盛衰、、、
深過ぎない程度にうまくラブストーリーにもっていきましたね。
最近自分に考える映画を求めない傾向があるのも合ったのかもしれません。
ただ、分かりやすく作るのは、それはそれで難しいのかなと想像します。
昔流の分かりやすい話を現代の感覚で組み立てたという時点で、
小気味よい器用さに溢れた作品だと思いました。