Con Gas, Sin Hielo

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「デッドプール2」

2018年06月03日 14時39分10秒 | 映画(2018)
うまくやり抜く賢さを。


いま北米を中心に話題になっているChildish Gambinoの"This Is America"のPV。ギター奏者や聖歌隊を撃ち殺しながら、軽快なダンスとともに「これがアメリカ」と言ってのける。

もちろん直接的に観る側へ訴えかけてくるのは残虐な場面なのだが、それ以上に恐怖を覚えるのが、最後に何かから逃げるように全速力で走る、人が変わったような彼の形相である。

良い悪いも、勝ちも負けも単純には決まらない。大きな力を携えて余裕を持って生きていると思っていた姿は虚構であり、気が付けば何かに追われるように生きているだけだったなんてことはよくあること。

便利ではあるが、あまりに複層的になってしまった世の中を完全に理解するのは甚だ困難である。数多ある不条理に表面上だけでも合わせていくことが、現代を生きる最大のテーマなのかもしれない。

デッドプールといえば、不真面目、下品、残虐とおよそヒーローにふさわしくない形容詞が並ぶことを売りにしているキャラクターだが、そんな彼も誕生を辿ればアメコミヒーローの王道である虐げられた存在である。

続篇だけに全篇を通して軽快路線を行くのかと思ったのだが、今回もいきなり冒頭で心が折れるほどの悲劇に見舞われる。

生きる意味を見失った等身大の男(ウェイド)を映しつつも、映画自体はデッドプールのそれとして、コメディ要素を散りばめながら話が進むところが興味深い。

大統領が独断で物事を進めても、至るところで乱射事件が発生しようともあの国は変わらない。良い悪いではない。一時的に大きなことが起きても、それだけですべてが塗り替えられるわけではないし、おそらくすべきでもない。

そういった意味でも、デッドプールの世界観はアメリカそのものと重なって見えてくる。やることなすことヒーローとは言い難い品性のなさなのだが、奥底のどこかに揺るがない正義が息づいている。しかしその本質はコメディであるという。

アメリカってどうしようもないよねと言う人でも、世界の警察から手を引くとなるとそれは困るとなる。デッドプールも、どうしようもないけれど、いや、むしろどうしようもないところが彼のヒーローたる証ということなのだろう。

正直なところ、全体的にもっと軽い物語の方が好みではあるのだが、時々深刻な場面を取り返すかのようにがんばってくれたので十分楽しむことはできた。「子供の名前はCherだー!」のセリフとともにTurn Back Timeして1本分まじめに観てきたものを一気に無にするなんて、この映画じゃないとできないだろう。

脇役の一人として忽那汐里が出演して作品の世界にしっかり馴染んでいたのには驚いた。個性と能力に長けた彼女の将来は明るい。

(75点)
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