Con Gas, Sin Hielo

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「ファーザー」

2021年05月15日 22時15分25秒 | 映画(2021)
故に我あり、が消滅するとき。


自分の部屋を娘が訪ねてくる。年寄りを心配して取っ替え引っ替え介護士を寄越してくるが、馬鹿にしないでほしい。私はまだまだ自分のことは自分でできるのだ。

本作の主役・アンソニーはかつてエンジニアだったらしいが、おそらく誇りを持って仕事に打ち込んだ人生だったのだろう。客観的に見れば明らかに要介護の体なのにプライドが受け入れを許さない。

しかし、映画が始まってすぐにアンソニーの周囲に異変が起きはじめる。娘が帰ったばかりの家の中で物音がするので行ってみると、そこには自分のソファに座ってくつろぐ見知らぬ男の姿が。それに続いてこれまた知らない女が現れて自分が娘のアンだと言う。

それなりに話の辻褄は合うので半分納得してその日は就寝する。翌日やって来たのは元の娘だ。やっぱりそうじゃないか。しかし今日のアンは、昨日話したこととまったく違うことを言い始める。

自分の身の回りに何が起きているのか。アンソニー目線で見ている観客は、サスペンスもしくはホラー調という意外な展開に急速に引き込まれていく。

1日の同じ時間を何度も繰り返すパターンの映画が最近多く作られているが、本作の展開はループしたかと思えば次はまったく違う時間へワープしたり、気まぐれに飛ばされていく。

明確な説明はないまま話は進むが、やがて私たちは何となく気付きはじめる。これは意識が薄くなりはじめたアンソニーの脳内の展開なのだと。

介護士とのトラブル、アンのパリ行きなど、いくつか散りばめられたキーワードが物語の中で出たり入ったりするが、これらはすべて実際に起きたこと。ただアンソニーの頭の中で整理されていないので、アンや周りの人たちの言うことがころころ変わるように見えるのである。

飲み過ぎたときに記憶を失くすなんて話がよくある(他人事ではない)が、認知症は二日酔いとは違う。混迷の地に足を踏み入れたら人生の終焉まで抜け出すことはできない。

父親の最後の数年間を思い出す。アルツハイマーを患い母親に多大な負担をかけながら、誰に宛てるつもりだったのか分からない手記に書かれた「もうひと花咲かせたい」という言葉。

人の命に限りがある以上、どこかで見切りをつけなければいけない。自分がしなければ他の誰かがその役割を引き受けることになる。引き際を決断して、あとは笑って穏やかに最期を迎えるのが理想だけど、果たしてできるだろうか。父の血を引く身としてはいまひとつ自信がない。

アンソニーを演じたA.ホプキンスは、今年のアカデミー最大のサプライズと言われた主演男優賞の栄冠に輝いた。

介護士を寄せつけない気難しさ、周りで起きることを理解できない困惑、自分の衰えに気付いた瞬間に溢れ出た不安からの狼狽と、様々な変貌を見せる。80歳を超えてこれを演技としてこなす力量には脱帽するしかない。

(85点)
コメント
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