Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「博士と彼女のセオリー」

2015年03月16日 08時38分11秒 | 映画(2015)
覚悟と柔軟性の方程式。


「レ・ミゼラブル」で名前が大きく取りざたされてからスピード出世でのオスカー戴冠。と思いきや、E.レッドメインは実績十分の実力派とのことで、確かに難病の症状を繊細にかつ分かりやすく演じていた。納得の受賞である。

世界中に名の知れた科学者スティーヴン・ホーキング。彼の妻ジェーンの視点で、夫妻の出会いから発病とその後の歩みが描かれる。

特異な知能と特殊な病気。平凡とは程遠い人生を覚悟した二人が懸命に積み重ねた日々。

妻が綴った原作を基にしているという段階で補正がかかっているのではないかと疑問も抱くが、存命中のスティーヴンも「ほぼ事実」と納得しているらしい。

出会いから発病までの青春篇。風変わりな理系男子に心がひかれていく下りが決して荒唐無稽ではないように流れていく。

そこへ訪れる難病ALS。2年の余命を宣告され目の前が真っ暗になったスティーヴンを再び動かしたのはジェーンの覚悟の愛であった。

いつ突然終わりが来てもおかしくない中で順調に行くわけはないが、それでも二人の間には子供が生まれ、研究も世界に認められるくらいの成果を上げはじめる。

映画という短い尺には制限があるが、スティーヴンはかなり俗っぽい要素を持っている人物であるらしい。

友人が「1日に1時間も勉強しない科学者」と評する場面や、科学に関して賭けをして、更にその報償が雑誌PENTHOUSEの購読料というエピソードに垣間見られるが、知能以外の人間性がスティーヴンの成功を後押ししたのは確かだろう。

しかし本篇で最も特徴ある見せ場は、研究で業績を上げてからの二人の思いと行動である。

病状が進み、家族内の介護では立ち行かなくなったとき、家庭に招かれたジョナサンという男性。彼は教会で聖歌隊を指導する、いわば聖職者であり、劇中では真摯な思いで夫妻の手助けをするが、世間は必ずしも肯定的に捉えず、実際ジョナサンとジェーンはお互いひかれはじめる。

彼らがとった選択を万人が支持するとは思えないが、長い時間をともにしてきた二人、特別な糸に導かれて出会った二人だからこそできた選択だと思う。

女王陛下の招待にジェーンを帯同するスティーヴン。記憶が確かならば、スティーヴンがジェーンに愛を語ったり、感謝を述べたりすることはない。加えて別離の道を進んだ二人の間に、それでも確かな繋がりを感じることができる。

宇宙の謎を証明する単純でただ一つの方程式を求め続けるスティーヴンが私生活で辿り着いた先が、人間の生き方は人それぞれというところが皮肉であり面白い。彼の頭は柔軟だから、それを無理なく受け止めることができるのだろうけど。

どうしてもE.レッドメインの方が目立ってしまうが、ジェーン役のF.ジョーンズ。柔らかな笑顔が奏でる可憐さと、覚悟を決めたときの凛とした表情がとても魅力的な女性だ。英国女優は層が厚い。

(85点)
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「フィフティシェイズオブグレイ」

2015年03月14日 01時57分33秒 | 映画(2015)
支配される快楽なんて存在するの?


かつて映画にはいろいろな大富豪が登場した。

インテリアやファッションなど見た目がきらびやかで画として映えることもあるし、金の力でできることが飛躍的に増えるから話の広がりも付けやすいのだろう。

それがアクションへ向かったのがバットマンやアイアンマンのようなヒーローであり、一方で恋愛モノとしての代表格が「プリティウーマン」であった。

「プリティウーマン」が公開された1990年は米国ではレーガンからブッシュ父の共和党政権、そしてわが国は言わずと知れたバブル経済の真っ只中。

そんな明るい時代を反映してか、突然目の前に何もかも兼ね備えた王子様が現れる古典かつ王道の話を真っ直ぐに描いて映画は大ヒットした。

あれから25年。

本作に登場する大富豪クリスチャン・グレイは、見た目や公の場での振る舞いこそ25年前の王子様に負けないくらいスマートだが、「50の顔を持つ」倒錯した人物という設定である。

ここしばらく疑問に思っていたのは、何故最近純粋なラブコメディが減ったのかということだった。

昨年ひさしぶりに「アバウトタイム」や「あと1センチの恋」といった良作にめぐり会えたが、いずれも英国作品であり、かつてM.ライアンが得意としたような米国の都会を舞台とする軽めの恋愛モノは相変わらず出てきていない。

本作の大ヒットはまさにその疑問への解答と言えるのかもしれない。過激なモノこそが受けるとされ、実際に支持されているのだ。クセのない清涼剤の出る幕はない。

途中までやっていることは「プリティウーマン」と大差はない。自社ヘリコプターでの送迎なんて、そこだけを切り取れば時代など関係なくロマンティックである。

しかしそこに太い杭を打ち込むのがグレイ氏の性的嗜好と契約交渉である。

「プリティウーマン」も大概マンガだが、グレイ氏の設定も大いに振り切れている。契約内容自体がおよそ荒唐無稽な上に時折とんでもない行動をとる。

さんざん気を持たせておいて「ぼくには近付いてはいけない」などと言ったり、律儀に契約を口にする割りにはエレベータ内で突然欲情したり、客観的にはどうにも切れモノには見えない。

その点、劣情の渦に巻き込まれていく側のアナスタシアは可憐で清楚で初々しい。適度に賢いので、グレイ氏のうさんくささにもそう簡単には堕ちない。

グレイ氏曰く、これまで15人の女性と契約したらしいが、お互い少しでも恋愛に似た感情を抱いたら成り立たない関係だろう。階級とは裏腹に、グレイ氏が高望みをしてしまったということだ。

ただいずれ理性が陥落する日は遠くなさそうでもある。深みにハマった男女は、その先が茨の道であっても進んでしまうものだから。

身も蓋もないけど、「どうぞご勝手に」としか言いようがない作品なのである。

(65点)
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「プリデスティネーション」

2015年03月14日 01時56分01秒 | 映画(2015)
自己完結。輪を閉じる者。


タイムパラドックスものは、いつも観た者の間で議論が巻き起こる。そこが面白いところである。

本作はその中でも決定版と呼べるものなのかもしれない。何しろこの種の話でタブーとされている領域にずかずかと踏み込んでいっているのだから。

オーストラリア映画。「マッドマックス」シリーズや「ベイブ」あたりが浮かぶが、本作の舞台はニューヨークやクリーブランド等米国である。

前情報の入手を控えて行ったので、知っていたのは主演がE.ホークでタイムマシンが出てくるといったことくらい。

そんなわけで、複雑な時間構成についていけるか不安だった。現に、冒頭の手術後のE.ホークと、その後の場面に出てくるバーテンダーのE.ホークのどちらが時間軸として後ろに来るのかすぐにはつかめなかった。

更にはバーにやって来た客の身の上話が事細かに描かれはじめ、E.ホークはひょっとしてクレジットだけの主役?と思いかけた。

しかしタイムパラドックスものである。この身の上話が後半、終盤への撒き餌であることは明白であった。

それにしてもパラドックスの核心に触れる展開については、突っ込みたい点であふれている。

無限ループの出発は誰がどこで仕掛けたのか。終着地点だけが明確に定まったが、それはやはり誰かの差し金なのか。となると移動装置の故障も故意のものと考えるべきなのか。

一度見ただけでは見逃している部分も多くあるとは思うのだが、何遍も同じ映画を観るのはなかなか難しく、ひとまず各方面のレビューを見ながらあれこれ思いを巡らすことになりそう。

(75点)
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「アメリカンスナイパー」

2015年03月14日 01時53分37秒 | 映画(2015)
それは邪心なき使命感から生まれた。


C.イーストウッド監督作品としては異例の大ヒット中。戦争を賛美しているとする声もあるが、観たかぎりそこまで決めつけられるものではないと思った。

主人公のクリス・カイルは愛国心を前面に掲げる、単純にレッテル貼りをするならば右寄りの男性だ。

それは、テキサスという地にありながらも、父親の教育の影響や、弟を守らなければという使命感などから育まれたものであった。

自由なカウボーイ生活を送っていた彼は、テレビに映るアメリカを取り巻く事情を見て、居ても立ってもいられなくなり兵役を志願する。

類まれなる狙撃手としての能力と、過酷な訓練に耐え抜く強靭な精神力が備わっていたために、中東の戦地に派遣されるや「伝説」のスナイパーとして名を馳せるようになる。

しかし戦果を重ねるごとに彼の常人としての意識が薄らいでいく。味方の多大な犠牲を防ぐためとはいえ、現場では女性や子供にまで銃口を向けなければならなかった。

同じく志願兵だった弟のジェフは、兄に「もう続けられない」と言い残して去って行く。かくも戦争は誰にとっても過酷だ。

かつて父親が子供たちに向かって、人間は3種類に分けられると語った。それは、狼と羊と番犬。

一般的に米国民は「強いアメリカ」が好きとされている。唯一の超大国、世界の警察。異論は多くあるだろうが、米国が番犬であったから世界の秩序がある程度保たれてきたと思っている節がある。

しかし、強かった米国は現在確実に揺らいでいる。イラクのフセイン政権やアル・カイダのビン・ラディンを力ずくで倒しても、次から次へと世界中でテロの種子が萌芽する。

オバマ大統領は、世界の警察という重い役割を軽減しようと試みたが事態は更なる混沌へと向かいつつある。

狼がいるかぎり番犬はいなくてはならない。それは分かる気がする。

しかしそれを遂行しようとしたときに生じた160人の殺害と人間性の崩壊という結果は、理解を遥かに超えるいびつなものであった。

何が正しいか正しくないのかは決して語らない。というよりも、おそらく答えがない。

クリスは自らが正しいと思った道に進んだに過ぎない。加えて適性も備わっていた。これは「番犬」の宿命を綴った物語なのである。

クリスを演じたB.クーパー。本人に近づけるため相当な増量をしたようだ。男前の要素が見事に消え去っていて驚いた。彼がかっこよく見えていたのは単なる素材の良さではなかったことに初めて気付いた。

妻役のS.ミラー。最近よく観る気がするが、出会いのバーでの場面にしても、妊婦や母親の姿にしても、こんなにキレイだったんだと再認識。愛しい家族が頭に浮かべば、そうそう自分の身を危険にさらすことなどできやしません。

(80点)
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「フォックスキャッチャー」

2015年03月14日 00時56分34秒 | 映画(2015)
あまりに悲しい空っぽの人生。


マイナースポーツの悲哀はスポーツ先進国の米国にもある話らしい。よく考えれば、五輪が開催されるごとに数十人の金メダリストが生まれる国である。国民の記憶に残る競技者が一部に過ぎないのは十分理解できる。

物語の中心となるのは、1984年ロサンゼルス五輪のレスリングで金メダルを獲得したマーク。しかし米国においてレスリングは知名度が低い。金メダルを獲ったといっても、昼は小さいジムで練習に明け暮れ、夜は古アパートに帰って食べて寝るだけの生活を送っている。

加えて彼には同じ五輪で金メダルに輝いた兄・デイヴがいた。彼は選手としての実績とは別に、優れた指導者・人格者、更には妻と子を持つ優しき家庭人であり、常にマークの上に立ち前を歩く存在であった。

決して表面には出なかったものの、マークの中にしこりのような劣等感があったことは想像に難くない。そこに突然、大富豪のデュポン氏から競技生活を全面的にサポートするというオファーが舞い込んできた。

趣味であるレスリングの振興のために私財を投じるという筋立ては、聞くかぎりは普通にある金持ちの社会活動だが、この行動が3人を深い溝へと落とし込んでいく。

デュポン氏が切望したのは、人として認められることだった。もっとくだけた言い方をすれば友達が欲しかっただけなのかもしれない。

ある時デュポン氏がマークに語った思い出にこんな言葉があった。

「たった一人いた友達に母がお金を渡しているのを見た」

そう、彼は底知れぬ孤独の中にいた。使用人がいたり、外界と社交辞令的に接したりはあっても、大邸宅で繋がりがある人間は母だけ。

それでも莫大な財産を盾に不自由なく人生を送ってきた。彼は思ったのだろう。欲しかったものを手に入れられるかもしれないと。

しかし、財産で人の配置を替えることはできても、蓄積もなく知識もない中で形を繕おうとしても中身が伴わないことは明らかだった。

自分の作ったスピーチをマークに読ませる。自らが冠した大会で優勝する。母親の面前で所属選手に語りかけてみせる。

形を繕おうとすればするほど痛々しさだけが増していく。一時的にでも結果が出なければ張りぼては瓦解する。

大富豪の道楽であればまだ可愛げがあるかもしれないが、残念ながらデュポン氏は必死だった。

ソウル五輪の惨敗後に広報ビデオを見返したデュポン氏は、表情こそ固定したままであったが、何かが明らかに切れた様子が伝わってきた。

デュポン氏を演じたS.カレルはアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。

登場時から放たれる異様なまでのオーラは、直接的には特殊メイクなのだが、その固められた表情とともに、会話の中に刻まれる微妙な長さの間が人の寄せ付けなさを際立たせる。

相手から意に沿わない返答があると、少し間を置いて”Good.”=「いいだろう」と一言発する。

どうみても全然良くない。他の様々な動作の中に、深い溝の奥に澱が溜まって行く不気味さが見事に表現されていた。40歳過ぎて童貞だとこうなってしまう場合もあるわけだ。

マーク役のC.テイタムはある意味そのまま。体は頑強だが、管理や戦略といった気遣いには向かない残念な弟がハマっていた。

逆にデイヴ役のM.ラファロは、体格的にレスラーどうなの?と初めは思ったが、話が進むうちに人間性全般を含めて違和感がなくなっていった。いい配役だった。

事件全体を顧みると、最初の時点でデイヴがデュポン氏の申し入れを受けていれば、ここまでこじれなかったのかもしれないとは思った。孤独を消し去る方法はないだろうが。

(85点)
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「きっと、星のせいじゃない。」

2015年03月14日 00時56分17秒 | 映画(2015)
たったひとつの希望を君に捧げる。


障害を持つということは、身体の自由のみならず精神の広がりをも閉ざしてしまうことが往々にしてある。

ヘイゼル・グレースは、良くなる見込みがない病状の下でも、両親の温かい愛情を感じてかろうじて自暴自棄になることなく過ごしているが、一方で人生を諦めてしまっているかのような日常を送っている。

そんな娘を見て心が痛んだ母親は、癒やしになればとガン患者が集まる集会へ連れて行く。気が進まないまま参加したヘイゼル・グレースに運命的な出会いが訪れる。

背景を別にすれば典型的なシンデレラ・ストーリーである。白馬の王子様が突然現れて、彼女の人生に希望に満ちた強い炎が点火する。

恋人・オーガスタスは、難病支援のNPOか何かが叶えてくれる一つだけの願いを彼女のために使う。旅先のオランダですったもんだの末に堅い絆を確かめ合う場面は感動的だ。

しかし病気を扱っている作品が避けて通れないのは悲しい運命。出会わなければこれほど悲しい思いをしなくて済んだのでは?しかし二人に後悔の念はいささかもなかった。

きれいにまとまった話だが、悪く言えば定型。希望を振り撒いたオーガスタスの方に突然の変化が起きるのも予想がついた。

それにしても、二人とも死と向かい合わせにいるように見えなかったのは、敢えてそうしたのだろうか。見かけをげっそりさせればいいのかと言われれば分からないが、出会いまでの絶望感や、ひとときの輝いた瞬間がいまひとつ観ている側に伝わってこなかった気がする。

そして本作で唯一の意外性だったオランダ作家。二人が親密になる重要な役どころではあるのだが、大きなどんでん返しと再登場の肩透かし。一本取られたと呟くのが正しいのだろうか、評価に迷う。

(65点)
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