「強力わかもと」を出すまで振り切ってもよかった。
毎度のごとく元ネタを知らないので、あくまで1本のSF映画としての感想となる。
舞台は時代も場所も分からない大都会。人間は損傷した部位を義体化して生きる技術を取得していた。
本作の主人公は、義体の肉体に脳だけを移植された「少佐」と呼ばれる女性。脳は生きていると言いながらも過去の記憶はほとんどなく、役割は日々公安のために任務を遂行するだけであった。
まばゆいばかりのネオンサインがきらめく雑然とした街並みは、古くは「ブレードランナー」辺りから連なる定番だ。
近未来SFは結構好きなのだが、冷静に考えればこの景観完全無視のカオスな光景はたとえ中国が世界の盟主となったとしても実現しそうにない。そう思ってしまったせいか物語に対しては今ひとつ感情が入っていかなかった。
映画の尺に詰め込むには世界が大き過ぎたということもあるかもしれないが、話の流れに唐突感を抱くことが多かったように思う。少佐が誕生した裏にあった事件など予想を裏切る形ではっとする展開もあるのだが、心動かされるとまではならなかった。
ただ本作の肝は、この異世界の造形をどれほど楽しめるかである。
もちろんその中心にあるのはS.ヨハンソンである。今やすっかり肉体派女優(声もかなり重用されているが)であり、アクションを含め全篇が彼女のためにあると言っても過言ではなかった。
でも「肉体派」なだけに、アップになると逆に肉感が主張してきて作り物から逸脱してしまうという面も感じられた。その意味では「エクスマキナ」は良くできていたと改めて思い返す次第である。
一方で意外に良かったのがビートたけしだ。敢えて台詞をすべて日本語で通す演出も功を奏して、北野映画に出てくるヤクザの親分ばりの風格であった。
そして彼らが駆け回る世界のきらびやかさは映画館の大画面でこそ映える。ビートたけしも自分の映画が何本も作れるくらいお金をかけていると言っているとおり、イメージ映像として十分に見応えありであった。
続篇が作られる可能性は低そうだが黒歴史にするまで酷くもない、その意味では全体的に突き抜けていない作品という位置付けになってしまうのだろうか。
(65点)
毎度のごとく元ネタを知らないので、あくまで1本のSF映画としての感想となる。
舞台は時代も場所も分からない大都会。人間は損傷した部位を義体化して生きる技術を取得していた。
本作の主人公は、義体の肉体に脳だけを移植された「少佐」と呼ばれる女性。脳は生きていると言いながらも過去の記憶はほとんどなく、役割は日々公安のために任務を遂行するだけであった。
まばゆいばかりのネオンサインがきらめく雑然とした街並みは、古くは「ブレードランナー」辺りから連なる定番だ。
近未来SFは結構好きなのだが、冷静に考えればこの景観完全無視のカオスな光景はたとえ中国が世界の盟主となったとしても実現しそうにない。そう思ってしまったせいか物語に対しては今ひとつ感情が入っていかなかった。
映画の尺に詰め込むには世界が大き過ぎたということもあるかもしれないが、話の流れに唐突感を抱くことが多かったように思う。少佐が誕生した裏にあった事件など予想を裏切る形ではっとする展開もあるのだが、心動かされるとまではならなかった。
ただ本作の肝は、この異世界の造形をどれほど楽しめるかである。
もちろんその中心にあるのはS.ヨハンソンである。今やすっかり肉体派女優(声もかなり重用されているが)であり、アクションを含め全篇が彼女のためにあると言っても過言ではなかった。
でも「肉体派」なだけに、アップになると逆に肉感が主張してきて作り物から逸脱してしまうという面も感じられた。その意味では「エクスマキナ」は良くできていたと改めて思い返す次第である。
一方で意外に良かったのがビートたけしだ。敢えて台詞をすべて日本語で通す演出も功を奏して、北野映画に出てくるヤクザの親分ばりの風格であった。
そして彼らが駆け回る世界のきらびやかさは映画館の大画面でこそ映える。ビートたけしも自分の映画が何本も作れるくらいお金をかけていると言っているとおり、イメージ映像として十分に見応えありであった。
続篇が作られる可能性は低そうだが黒歴史にするまで酷くもない、その意味では全体的に突き抜けていない作品という位置付けになってしまうのだろうか。
(65点)
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