Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「ホットロード」

2014年08月21日 23時22分49秒 | 映画(2014)
藤沢も茅ヶ崎もみんな相模ナンバーだった時代。


それは携帯電話がない時代でもあった。つながりたい時につながれない。誰もが等しくコミュニケーションに不器用だった。

あのとき、なんでいてくれなかったの?どこにでも生じ得る小さなズレの積み重ねが母と娘の亀裂を増幅させた。

暴走族や不良を美化も肯定もするつもりはまったくないが、行き場のない不満、自分をアピールする手段として、当時は選択肢となり得たのかもしれない。

現代の若者にとって昭和のヤンキーは絵空事に過ぎないが、それはコミュニケーションツールを器用にこなすことで不満の種を解消できているだけで、人間自体が大きく変わったわけではない。

マイルドヤンキーなどという言葉が使われているらしいが、昭和のヤンキーの役をマイルドヤンキーの代表であるEXILEコンツェルンのメンバーが演じて、それなりにハマっているところがおもしろい。

当時のヤンキーは必ずしも特別な人間がなったわけじゃない。和希と春山の恋は、設定を超越した次元の中でただひたむきでまっすぐだ。

繰り返すが、暴走族や不良を肯定はしない。むしろ集団としての彼らは非難すべき対象だと思っている。

ただ、不祥事を起こした企業の職員すべてが悪者というわけではないのと同じように、集団にはいいやつ、わるいやつが入り混じっているのが必然なのだから、この物語がおかしいことには決してならない。

演者たちの初々しさも相まって、明るくはない話でありながらも爽やかな印象を残してくれる。

社会が日進月歩で便利さを追求してきた結果として、一面的には何気ない日常のズレを埋められる効果があったのかもしれない。しかし、現代になって代わりに浮上してきたのがコミュニケーションの能力ギャップである。

炎上だとか無視だとか。格差が助長される社会の逃げ道は、仮想の敵を作り攻撃することになっている。

和希と春山が現代に生きていたら、どんな関係になっただろうとふと思った。そもそも出会わないか。

(75点)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「GODZILLA」 | トップ | 「LUCY/ルーシー」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

映画(2014)」カテゴリの最新記事