Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「ラ ラ ランド」

2017年02月24日 22時06分53秒 | 映画(2017)
映画のような、夢と恋。


映画の魔法にかけられるとはよく言ったもので、D.チャゼル監督は天才としか表現のしようがない。

意地悪を言えば、物語自体にそれほど新しさは感じない。むしろ夢を追う男女が主役というのは定番ですらある。

しかし、全篇のどこを切り取っても名場面と感じるほどの巧みな演出、そして夢の世界を彩る音楽のすばらしさにとにかく引き込まれる。

具体例を挙げればきりがないが、その中から的を射た静と動のメリハリに言及したい。

冒頭の高速道路でのダンスシーンから既に現れていて、少しかったるい昼間のまどろみが一人のドライバーがラジオに合わせて口ずさむところにフォーカスした途端一転して、渋滞の道路は華やかな舞台へと転化する。

ミュージカルが苦手な人は、日常生活でいきなり歌い出す不条理を必ず言うが、この現実から夢への繋がりこそミュージカルの醍醐味である。

大勢が賑やかに歌い踊るのと対照的に、主役のセブとミアの感情が交錯する場面では優雅で気品のある夢の世界が広がる。

まだ二人の間に距離がある中での丘の上でのダンス、お互いの好意を確信した映画館の後に行った天文台。恋する気持ちの高揚感に全身が包まれる。

冬、春、夏、秋、そして・・・と分けられた構成も作品のリズム感を高めている。

カリフォルニアは温暖で天気が良くあまり四季の移り変わりの印象がないが、代わりに季節と二人の関係が共鳴する。

最初の年の冬はセブもミアも壁にぶつかっていて、それこそ冬景色のように荒涼としている。しかし二人が出会ってからは、春に芽吹き、夏に育み、秋に実りへと変化していく。

新しさがない物語と書いてしまったが、二人の関係は切なくも素敵な展開を見せる。

もともと夢追いの共通点が結び付けたもの。時に励まし合い、時にぶつかり、でも最後には相手の思いによってそれなりの地点へとたどり着く。

5年後の冬が本作のクライマックスなのだが、セブの演奏から繰り広げられる一連の場面には鳥肌が立った。

映画館で映画を観るたびに予告篇で観ていた場面や音楽。賞レースを独走という前評判の高さ。正直を言えば、期待外れになることを恐れていた。

しかし、音楽は聴けば聴くほど思い入れが深まり、おそらくこれは夢のシーンなのだろうと予想してた場面もその夢の力に圧倒された。

R.ゴズリングはこれまで以上にかっこよく、E.ストーンはいろいろな監督に重宝される理由が初めて分かった気がした。

すべてがプレミアム。多くの戴冠を期待せずにはいられない。

(95点)
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「セル」

2017年02月23日 23時30分55秒 | 映画(2017)
電波のとりこ。


携帯電話が使えなくなったら困るのが「サバイバルファミリー」ならば、携帯電話が暴走、悪用されたらもっと怖いよというのがS.キングの警告である。

スノーデンが警鐘を鳴らすまでもなく、ここまで電波が張り巡らされて人々の生活が依存するようになってしまったら、もう抜け出すことはできないのだろうと半ば諦めてはいる。

便利だけどガラス張りの不自由をとるか、この現代社会で不便さを享受するか、はたまた敢然と自らの正義に立ち向かうか。

何か話がズレてきたが、本作は不自由が露呈、というよりも人間性を奪われる危機に突然襲われ、訳の分からない敵に立ち向かっていかなければならなくなる人間たちの物語である。

ゾンビが走り出すようになってからこの手の猛然と襲いかかる狂人たちを題材にした映画が増えたが、まだ飽きは来ない。恐怖を感じる。

本作で最も印象的だったのは電波が人を狂わせている描写である。特に後半、口から怪電波を発して洗脳する、されるときの表情の気持ち悪さが際立つ。

それだけに辿り着いた最後の地で待つ絶望に観ている側も肩を落とさざるを得ない。まあ、「ミスト」の例からある程度予想はできていたけど。

製作費の問題か、残酷な表現を避けたかったのか、暗い場面やごちゃごちゃした映像が多くもったいなかった。あとJ.キューザックに張りがなく見えたのは役づくりだろうか。この主人公では人類は救えないだろうなと改めて思った。

(70点)
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「スノーデン」

2017年02月18日 21時02分10秒 | 映画(2017)
ロシアはユートピアなのかな。


何が驚いたと言えば、作品が一貫してスノーデンという人物を英雄として描き通していることである。

映画が辿るのは、愛国心から軍隊を目指していた一人の青年が、恋人リンゼイの影響を受けて清く正しい人間へと成長する物語である。

巨大な権力が弱き個々人の生活のすべてを監視下に置いているということは、自由に生きる権利を尊重する立場からすればとんでもないことだ。

だからと言ってスノーデンの行ったことが100%正しいのかというと、映画の宣伝文句にあるように英雄か裏切り者か意見が二分されるのが普通だろう。

しかし、作品は常にスノーデンの側に立ち続けている。テレビ電話の大画面を威圧感全開で迫ってくる指導教官コービンなんて、字幕の言葉を読まなくてもはっきり巨悪と分かる勧善懲悪方式なのである。

それ故にドラマとして見る分には見応え十分でおもしろい。謎が多かったスノーデン事件の流れをざっくりと掴む上でも有効だ。

ただ社会派の作品として評価しようとしたときには、あまりに視点が偏り過ぎて話にならない。

彼の行為は、個人のプライバシーを米国の権力から守るという一面では正しい。しかし、莫大な情報収集の先にある、米国の国益となるはずだった本来の目的の達成を遠ざけたという別の一面に触れることはしない。

どちらが正しいかではない。視点をどこに置くかで正しさは変わりうる。結果として未だ世界に残る人権無視国家が情報戦に勝利すれば、いま以上に多数の人民の権利が脅かされることになるだろう。

でも不思議なことに、この作品はけしからん!とも実は思わないのである。

それは、O.ストーン監督は敢えてこういう作り方をしたのだろうと推測できるからである。

自分が信じる正義こそ唯一として他の思想を徹底的に排除する妄信的な人たちは始末に負えないが、O.ストーン監督は多面的な考え方があることはおそらく分かっている。その上で、それでも自分が優先するものはこれなのだという意志を押し出しているのである。

しかし、残念と言おうか皮肉と言おうか、スノーデンがいくら力を尽くそうとも自分たちの正しさを競う戦いの場は収まる気配がない。そろそろ疲れて休んでくれないものかと切に思う。

(70点)
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「サバイバルファミリー」

2017年02月15日 21時49分47秒 | 映画(2017)
間違いなくワープ使用。


もし突然電気がない世界になったら。

想像以上に何もできないことが分かったのは、東日本大震災後に実施された計画停電のときであった。

数時間でも日常にストレスフルな影響が出る状態が、長期間にわたり強いられることになったら、我々はどういう選択をとるのか。

こう書くとちょっとしたディザスタームービーのようにとられかねないが、本作のテーマはどちらかといえば家族や日常の大切なものを見直そうよという極めて道徳的なものであった。

スマートフォンに夢中になってお互いの顔を見合わせることもなくなった家族が、極限状態に置かれて初めて知るかけがえのないもの。

分かりやすいと言えば分かりやすく、とても健全だ。小日向文世演じる器の小さい父親っぷりも、無難に場内の笑いを誘う。

ただ残念なことに発見はない。意外性もない。

電気が消失して予想どおりみんながあたふたして、主人公の無茶な提案に乗った家族はやっぱり散々な目に遭って、それでもどこからか救いの手が現れて、なんとか目的地に辿り着いて家族も幸せを取り戻す。

道中の描き方も相当に粗っぽい。

飛行機に乗ろうと羽田へ向かうが、滑走路横のフェンスまで来てようやく飛んでないことが分かるとか、高速道路にトンネルは数限りなくあるのに、日本坂トンネルだけでとんでもない体験をするとか。

大阪を越えたら高速をやめてとんでもない田舎道を走っているのも意味不明。

もともとリアリティを求めていないと言えばそれまでだけど、序盤で沿道に九州の紳士服フタタが出てきたり、まったく関係のない仙台のDIYダイシンが出てきたり。

海老名SAの付近が2車線だったり、ちょっと下りると山の中だったり、とにかく違和感が半端ない。

フィルムコミッションが盛んに活動しているのは結構なことだが、何でもかんでも手を上げるのは考えものである。

まあ、主軸に据えている道徳観にはまったく文句はないので、そこまでこき下ろす必要もないのだが、映画館で観るほどのものではないのは間違いない。

(55点)
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「ドクターストレンジ」

2017年02月02日 19時39分23秒 | 映画(2017)
人生に迷ったら東洋を目指せ。


まだまだ広がるMARVELの世界。本作の主人公は時間と空間を操る能力を持つ、まさに最強のキャラクターとの触れ込みである。

映像はとにかく張り切っている。歪んだり、切り離されたり、繋がったり。プロジェクションマッピングを映画に入れ込むとこんな感じなのかなと思った。

ただ、これまでのヒーローと違う次元にいるからだろうか、話がうまく頭に入ってこなかった。

魔術師の師匠・エンシェントワンが永遠の命の力を借りていたことが発覚するのだが、何故分かったのかがよく理解できず。

このことを単純に悪事と見なす兄弟子・モルドと経緯を咀嚼して師匠の立場を理解する主人公の違いは興味深いが、観ている側にも主人公の思考が実感できるようもっと丁寧に描いてもらいたかった。

丁寧さ絡みでもうひとつ、映画の尺を考えると仕方のないことだが、高慢な医師だったストレンジが魔術の力と向き合うことで正義のヒーローに生まれ変わるという最も大事な下りが、やはり物足りなかった。

天才医師としての能力故に魔術の才能に早く目覚めても構わないが、正義に目覚める明確なきっかけが分からないまま敵と戦っていたように見えた。まあ、マントは完全に見抜いていたようだが。

全体的に派手な画像に圧倒されて他の部分の印象が薄まってしまったのかもしれない。シリーズ1作めは詰め込むべきものが多くまとまりが悪くなる傾向があると言えばそれまで。

もちろん良かった点も多くあった。出番はそれほど多いわけではないが、ヒロインがR.マクアダムスという時点で点数アップだし、手術室で魔術師たちの大立ち回りに翻弄されるパーマー医師の下りは最もおもしろい場面だった。

まずはごあいさつ。これから他のヒーローたちとどんな絡みをするかで大きく印象は変わるはずだ。

(65点)
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