やりすぎチェイニー。
この作品や先日公開された「ブラッククランズマン」への感想として言われるのは、この種の映画が自由に作れるアメリカの懐の広さということである。
それは一面的には正しいと思うが、ここまで分かりやすく現代社会や現政権への危機意識を喧伝しているにも拘らずトランプ大統領の支持率に明確な変動が表れていないことの方が、個人的にはもっとおもしろい現象に映る。
半数近くの米国民はバカなのか?いや、そうではない。この映画の主張はあくまで特定の立場の人からの視点に基づくものであると誰もが分かっているから、そうでない立場の人の考えを覆すには至らない。それだけである。
ラストで車座で議論をする一般の人たちがけんかを始める。「どうもおかしいと思ったら、この話はリベラルに偏り過ぎじゃないか」。反論された側もムキになって取っ組み合いを始める傍らで若い女性が口にする言葉が映画にオチをつける。
主張の方向は似ていてもS.リー監督と異なるのは、この辺りの斜に構えたというか諦めに近い姿勢である。こんなこと言っても岩盤支持層は崩せないんだよね。困ったもんだよねというところか。
まともにリベラルを訴えても多くの人に届かない現状に打つ手がなく、トランプ政権が後半を迎えても未だに民主党の有力候補が現れない点とも一致している。実はこれが彼らが声高に訴える多様性そのものでもあるのだけれど。
さて、映画に戻ろう。
ジョージWブッシュ大統領時代に副大統領として卓越した存在感を放ったディックチェイニー副大統領。
ブッシュ政権が行った政策は世界をぶち壊したが、それをすべて裏で操っていたのがチェイニーの存在だったと作品は語る。そしていかにして彼が怪物となり得たかを探るという仕立てになっている。
若い頃は取り立てて優れた成績ではなかったディック。酒浸りでイェール大学を中退した彼の尻を叩いて政治の道へ送り込んだのは、向上心の塊ともいえる妻のリンであった。
彼の業績を悪と言い切る映画なのだが、主人公ということもあってか彼の人間性については長所短所を比較的客観的に描いている印象を受けた。
共和党が政権から陥落し無職になった彼がワイオミング州の下院選挙へ出馬したときに、演説の苦手な彼に代わってリンが行った応援演説が勝利を呼び込んだという話や、末娘が同性愛者であると分かったことから大統領の座を諦めたというエピソードは、彼の極めて人間的な一面を物語っていた。
しかしここで歴史が彼を再び呼び寄せる。ジョージWブッシュの登場だ。
息子ブッシュの無能さというのは至るところで聞く。おそらく事実なのだろう。そんな人を大統領にしてしまっていいのか?
実はいいのである。そこで必要なのが大番頭なのだ。息子ブッシュの救いは自分ですべてを切り盛りすることができないと分かっていた点である。一方で大統領を諦めたはずのディックにとって、これは実質の大統領職が巡ってきたことにほかならない。
歴史というのは、運命というのは、何とも奇妙な縁を結び付けるものである。
チェイニーが行ったことの中で明らかな誤りはイラク侵攻である。結果として世界中にテロの恐怖が拡散してしまった。しかし当時、同盟国や共和党員だけでなく、あのヒラリークリントンも賛同していたという映像が映っていた。
その他はどうなのだろう。共和党と民主党の違いとして象徴的に描かれた中に自然エネルギーを利用したソーラーパネルの映像があった。しかし太陽光を巡っては、新たな利権や環境破壊といった問題が生じている。
副大統領と言えば、奇しくもオバマ大統領時代の副大統領であったバイデン氏が現在複数の女性から過去のセクハラについて追及を受けている。共和党支持者が同じような映画を作ることもできるかもしれない。所詮正しいのはどっちかなどと決めることはできないのである。
ディックとその周りの人たちは、C.ベール、S.カレルといった実力派俳優が特殊メイクの力も借りて本人に成りきって演じている。特にS.ロックウェルが演じるジョージWブッシュの空っぽぶりは本作最大の見どころと言ってもいいかもしれない。
それにしても昔のオスカー俳優は演技での成りきりが評価されて受賞したものだが、ここまで見栄えで寄せることができてしまうと、演技をどう評価してよいものか難しい時代になってきたとも言えそうだ。
共和党の面々が演技なのに対して、ジミーカーターやバラクオバマは本人の記録映像が出るのみである。ビルクリントンに至っては1秒たりとも出てこない。8年も任期を務めたのに。
本作を観てのディックチェイニーに対する印象は、彼も時代に呼ばれた男だということに過ぎない。9.11に直面したのもそういうことだ。イラク侵攻で世界が混乱した失敗はあったが、他の選択肢がそれより良かったかを知る術はない。
2000年の大統領選挙で息子ブッシュがアルゴアに勝ったときは僅差だったが、その4年後、無能で失政を犯したはずの大統領はむしろ差を広げて再選を果たしている。
政権の誕生を決めるのは常に時代のニーズなのである。改めて現代社会は神経をすり減らす情報戦の真っ只中にあることを思い知る。
(75点)
この作品や先日公開された「ブラッククランズマン」への感想として言われるのは、この種の映画が自由に作れるアメリカの懐の広さということである。
それは一面的には正しいと思うが、ここまで分かりやすく現代社会や現政権への危機意識を喧伝しているにも拘らずトランプ大統領の支持率に明確な変動が表れていないことの方が、個人的にはもっとおもしろい現象に映る。
半数近くの米国民はバカなのか?いや、そうではない。この映画の主張はあくまで特定の立場の人からの視点に基づくものであると誰もが分かっているから、そうでない立場の人の考えを覆すには至らない。それだけである。
ラストで車座で議論をする一般の人たちがけんかを始める。「どうもおかしいと思ったら、この話はリベラルに偏り過ぎじゃないか」。反論された側もムキになって取っ組み合いを始める傍らで若い女性が口にする言葉が映画にオチをつける。
主張の方向は似ていてもS.リー監督と異なるのは、この辺りの斜に構えたというか諦めに近い姿勢である。こんなこと言っても岩盤支持層は崩せないんだよね。困ったもんだよねというところか。
まともにリベラルを訴えても多くの人に届かない現状に打つ手がなく、トランプ政権が後半を迎えても未だに民主党の有力候補が現れない点とも一致している。実はこれが彼らが声高に訴える多様性そのものでもあるのだけれど。
さて、映画に戻ろう。
ジョージWブッシュ大統領時代に副大統領として卓越した存在感を放ったディックチェイニー副大統領。
ブッシュ政権が行った政策は世界をぶち壊したが、それをすべて裏で操っていたのがチェイニーの存在だったと作品は語る。そしていかにして彼が怪物となり得たかを探るという仕立てになっている。
若い頃は取り立てて優れた成績ではなかったディック。酒浸りでイェール大学を中退した彼の尻を叩いて政治の道へ送り込んだのは、向上心の塊ともいえる妻のリンであった。
彼の業績を悪と言い切る映画なのだが、主人公ということもあってか彼の人間性については長所短所を比較的客観的に描いている印象を受けた。
共和党が政権から陥落し無職になった彼がワイオミング州の下院選挙へ出馬したときに、演説の苦手な彼に代わってリンが行った応援演説が勝利を呼び込んだという話や、末娘が同性愛者であると分かったことから大統領の座を諦めたというエピソードは、彼の極めて人間的な一面を物語っていた。
しかしここで歴史が彼を再び呼び寄せる。ジョージWブッシュの登場だ。
息子ブッシュの無能さというのは至るところで聞く。おそらく事実なのだろう。そんな人を大統領にしてしまっていいのか?
実はいいのである。そこで必要なのが大番頭なのだ。息子ブッシュの救いは自分ですべてを切り盛りすることができないと分かっていた点である。一方で大統領を諦めたはずのディックにとって、これは実質の大統領職が巡ってきたことにほかならない。
歴史というのは、運命というのは、何とも奇妙な縁を結び付けるものである。
チェイニーが行ったことの中で明らかな誤りはイラク侵攻である。結果として世界中にテロの恐怖が拡散してしまった。しかし当時、同盟国や共和党員だけでなく、あのヒラリークリントンも賛同していたという映像が映っていた。
その他はどうなのだろう。共和党と民主党の違いとして象徴的に描かれた中に自然エネルギーを利用したソーラーパネルの映像があった。しかし太陽光を巡っては、新たな利権や環境破壊といった問題が生じている。
副大統領と言えば、奇しくもオバマ大統領時代の副大統領であったバイデン氏が現在複数の女性から過去のセクハラについて追及を受けている。共和党支持者が同じような映画を作ることもできるかもしれない。所詮正しいのはどっちかなどと決めることはできないのである。
ディックとその周りの人たちは、C.ベール、S.カレルといった実力派俳優が特殊メイクの力も借りて本人に成りきって演じている。特にS.ロックウェルが演じるジョージWブッシュの空っぽぶりは本作最大の見どころと言ってもいいかもしれない。
それにしても昔のオスカー俳優は演技での成りきりが評価されて受賞したものだが、ここまで見栄えで寄せることができてしまうと、演技をどう評価してよいものか難しい時代になってきたとも言えそうだ。
共和党の面々が演技なのに対して、ジミーカーターやバラクオバマは本人の記録映像が出るのみである。ビルクリントンに至っては1秒たりとも出てこない。8年も任期を務めたのに。
本作を観てのディックチェイニーに対する印象は、彼も時代に呼ばれた男だということに過ぎない。9.11に直面したのもそういうことだ。イラク侵攻で世界が混乱した失敗はあったが、他の選択肢がそれより良かったかを知る術はない。
2000年の大統領選挙で息子ブッシュがアルゴアに勝ったときは僅差だったが、その4年後、無能で失政を犯したはずの大統領はむしろ差を広げて再選を果たしている。
政権の誕生を決めるのは常に時代のニーズなのである。改めて現代社会は神経をすり減らす情報戦の真っ只中にあることを思い知る。
(75点)
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