Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「アンフレンデッド」

2016年07月30日 22時17分07秒 | 映画(2016)
3DやIMAXの対極を行く。


挑戦的な映画はそれだけで評価をしたくなる。特に低予算ホラーは、かつての「ブレアウィッチプロジェクト」がそうであったように、テレビ東京魂とも通じるアイデア勝負作品が次々に誕生する。

本作の挑戦は、全篇がPCの画面だけで展開するというもの。ネット社会ここに極まれりといったところか。

事件のきっかけがYoutube、会話はSkypeやFacebook等のSNS。バックに流れる音響も、不穏な空気を助長する地鳴りのような効果音(それもかなり静か)を除けば、すべてが端末から発せられる着信音と音楽だけという徹底ぶりである。

それでいかに話を成り立たせるか、しかもホラーの要素を盛り込んで、というのが最大の課題なのであるが、脚本は難題を見事にクリアしている。

複数人の会話と2人きりのやりとりの使い分け、無機質に画面に表示される言葉の暴力性、SNSで相手の反応が遅れたときの不安感など、列挙すればきりがないほどSNSのあるあるを巧みに話に織り交ぜている。

そして復讐のサイバー亡霊・ローラの攻撃だ。ちょっとした悪ふざけから自殺に追い込まれたローラ。ジェイソン然り、お菊さん然り、不遇な死から怨霊へと転生するのは古今東西を問わずの定番だ。

ローラの攻撃は結構えげつない。PCを通して解像度が悪く、かつカメラがブレているという設定なので、衝撃は幾分緩和されているのだが、まあそれぞれに激痛映像である。

オチも悪くない。頑ななほどにPC画面にこだわり続けた最後にパタッと蓋が閉じられて「はい、おしまい」と小気味よく終わる様は、古典落語のような鮮やかさがあった。

主人公のブレアはホラー映画の主役を張るのに十分なべっぴんさんではあるが、最後に明かされる秘密が彼女の運命を分ける。便利につながる世の中になったからこそ、道徳の歯止めは余計に厳格にしなければならないのである。

(80点)
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「ロストバケーション」

2016年07月30日 15時14分31秒 | 映画(2016)
とどのつまりは、サメの脳みそ。


「ジョーズ」が公開されて41年になるらしい。あの1作で人喰いザメの恐怖が完成されてしまったというのはすごいことだが、それゆえに新たに映画を作るとしても切り口を変えないとどうしようもない。

本作特有の見どころは、岸がすぐ近くに見えるのに絶望的な状況というギャップだろうか。あとは、いま売り出し中のB.ライヴリーの一人舞台と言っても過言ではない。

なにしろ中米の知られざるビーチという設定から画面に彼女以外の人はほとんど出てこない。だから、人喰いザメの映画でありながら、「ピラニア3D」のようにやたら人が食われることもない。

画面から目をそむけたくなるのは、主人公が噛まれた傷を自ら縫合しようとする場面くらいで、基本的にきれいな海、健康的なB.ライヴリーの水着姿と、非常に上品な画となっている。これも本作の特徴と言えるが、パニック映画を期待する人には肩透かしかもしれない。

その分、サメは僅かな脇役を浅瀬まで出向いてパクついたり、長時間粘って主人公が逃げ延びた岩礁の周りを回遊したり、それなりには努力してみせる。しかし最後は思わぬ形で轟沈。「ジョーズ」シリーズの爆発と比べてあまりのあっけなさに逆に驚いた。

まあ、もともと時間が空いたときに・・・というくらいの位置にある作品だと思うので、可もなく不可もなくこれでいいんだと思う。

(60点)
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「シングストリート 未来へのうた」

2016年07月24日 10時14分29秒 | 映画(2016)
いまだ80年代は夢の中に。


最近、スマホ1,980円ショックというCMで80年代がクローズアップされている。わが国はバブル経済へ突き進んでいた一方で、米英ではレーガンやサッチャーが強硬に国家の立て直しを図っていた。

主人公コナーの家庭があるのは英国の向かいアイルランド。深刻な経済不振に喘ぐ中で、コナーの一家は父の失業等により崩壊の危機を迎えていた。授業料の安い高校へ無理やり転校させられる場面から物語は始まる。

荒れた学校、理不尽ないじめと、前途多難さが描かれた後に話は急展開する。

突然目の前に現れた美少女ラフィーナ。コナーは彼女に近付くと、「僕のバンドのMVに出てくれないか?」と言って電話番号をゲット。そこから一気にメンバーを集めて歌い始める。

あまりの展開の速さに一瞬たじろぐが、合間に挟まれる音楽を聴くに従って次第に観る側のペースと協調するようになる。それぞれの人物の登場はいきなりかつご都合だが、物語として重要な感情の揺らぎがしっかり描かれているから惹きつけられていく。

おとなしそうなコナーが自ら殻を破り、いわゆる大人への階段を上る王道の成長物語。年齢的にこういった話には気恥ずかしさを感じてしまいがちになるが、音楽の力なのだろうか、意外なほど素直に感動、共感する。

かつては誰もが夢を持っていた。ほとんどの人が大人になって現実と折り合いをつけていかざるを得なくなるが、現代はそれ以上に若い人が夢を持てなくなっている。情報社会の中で経験もしないのに知識ばかり得過ぎてしまい、可能性を頭の中で狭めてしまっているのかもしれない。

情報がなければ人は想像力を働かせるしかない。コナーを刺激したのは、ラフィーナの存在と、音楽好きの兄ブレンダンの言葉と、当時巷に流れていた音楽だった。

時代が微妙に前後している感はあったが、DURAN DURAN、SPANDAE BALLETなどにたちまち影響されてファッションを替えてそれらしい曲を作るところが、どことなく可笑しくて愛おしい。

バンドメンバーの天才エイモンが作る楽曲はいずれもツボを押さえた佳曲ばかり。言い方を替えればパクリの一歩手前なのかもしれないが、初めて聴くのに気持ちがノッていける曲は素直にすごいと言うほかない。

一方で、シロウトの高校生がやっている描写も微笑ましかった。時はMVの創成期。いま見返すと、プロのビデオでさえ若干恥ずかしい作りになっているところを、更にぎこちない手作り感が盛り付けられる。

本作でお気に入りの場面は数多くあったが、初ギグ前に行ったビデオ撮影は特に切なくて印象に残った。約束の時間になっても現れないラフィーナを前に、コナーの妄想で華やかな50年代風のプロムパーティーでの演奏が流れる。最高潮まで盛り上がって演奏が終わると、そこにはダンスを踊れない数人の生徒がいるだけ。

音楽を媒介に楽しさと切なさの配分がすばらしいからこそ、感動、共感できたのだろうと思う。2人で旅立って行く姿は、小さいころに観たかつての名作「小さな恋のメロディ」や「卒業」にも通じる。先は分からないけど、夢だけは確実にそこにある。

(95点)
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「死霊館 エンフィールド事件」

2016年07月18日 12時06分35秒 | 映画(2016)
取り憑かれてなお美少女。


1970年代はオカルトブーム真っ只中。「エクソシスト」に代表される悪魔との闘いが映画界を席巻した。

悪魔ではない人間同士の諍いが社会全体を閉塞感に満ちた恐怖へ陥れている21世紀の現代、オカルトブームも古き良き風情と懐古する対象になっているのかもしれない。

舞台は英国へ移るが、話の基軸は前作と同様に家族の絆が悪霊に立ち向かう点にある。で、またしても子供たちがとにかくかわいい。

この辺りは映画の脚色と言うこともできる。「エクソシスト」のL.ブレアなんてとんでもない顔にさせられたものだが、本作のジャネットが憑依されてから見せる表情はむしろ凛々しい。

怪奇現象が起きる光景とかわいい少女の日常を目で見た立場であれば、この家族の言い分に疑問を挟む余地はないのだが、間接的な情報しか与えられなかったとすれば女性の評論家のように少女の狂言と決めつけてしまうことがあっても仕方がない。ジャネットの空中浮遊の写真など、ほとんどオウムの麻原レベルである。

ウォーレン夫妻の立場も同様だ。テレビや講演などで超常現象について語る彼らに対する世間の目は必ずしも好意的なわけではなかった。本作の立ち位置から見れば明らかに不当な評価なのであるが。

映画だから、極めてドラマ的な作りにもなっている。妻ロレインの予知夢と主人公たちに襲いかかるぎりぎりの恐怖。盛り上がるが、そこまででき過ぎる現実があるか?と懐疑的になる自分に霊感が下りてこないことだけは分かる。

ただそこはあくまで"based on"であり、そこを割り切って観る限りでは、小道具、照明、音声、カメラアングルといった恐怖映画の演出のツボを着実に押さえていて、安心して怖がる(妙な日本語だが)ことができる作品であった。

特に、肝心な部分を時々映さない演出は興味深かった。

例を挙げれば、ウォーレン夫妻の前でジャネットの霊を呼ぼうとする場面で、霊は「見られていては出て行けない」と言う。

夫・エドはジャネットに背中を向けると、カメラの焦点はエドに、後ろで椅子に座るジャネットは輪郭が分からないくらいにぼかされてかろうじて動いている様子だけが確認できる。

現象に懐疑的な見方をする者にとっては茶番以外の何物でもないと受け取れる。ウォーレン夫妻ですら100%信用するというわけにはいかない中で、ぼけた背景の霊がしゃべり続ける。

主人公たちに寄り添う映画的な演出が基本にある一方で、こうした解釈が定まらない点を相応の場面として描き切る姿勢と力量に感心した。

大事なのは、霊や悪魔がいるかいないかではない。真実であれ偽りであれ、危機的な状況に置かれている家族を救う手立てを見つけることこそが求められているのであり、この点に関してウォーレン夫妻にまったくブレはないのである。

このことは現実の恐怖にもきっと当てはまるはずだ。人間が生きて生かされている目的は大事な人を守ることにある。

(75点)
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「エクスマキナ」

2016年07月03日 13時39分46秒 | 映画(2016)
決して失敗しないのがAI。


「私、失敗しないので」が得意文句だった女医が今度のスペシャルでは「失敗したので」と語るらしい。一度も見たことないドラマだが。

人工知能を巡る開発はおそらく日進月歩どころではない急激な速度で進んでいると想像する。今はチェスで人間と勝負することが話題となる程度だが、早晩人間は置いていかれるのだろう。

人工知能とは少し違うかもしれないが、自動運転の自動車が初めて死傷事故を起こしたというニュースがあった。なんでも光の反射で前方の白い車を認識できなかったとか。

自動車の機能としては極めて問題なのだが、そういった失敗がすべて消え去ったとき、それは人間にとって何を意味するものなのか。

世界最大のIT企業ブルーブック社の社長であるネイサンは、類稀なる頭脳と巨万の富をすべて人工知能の開発に注ぎ込む生活を送っていた。ある日、人里離れた土地に造られた研究所へブルーブック社の才能溢れる若き社員・ケイレブが招かれる。

単なる社員の慰労程度に考えていたケイレブに驚くべき任務が与えられる。彼は、ネイサンに見込まれて人工知能の性能を検査する試験官として呼ばれたのだ。

試験官が検体を人工の域を超える、つまり人間であると判断することで試験は合格となる。

ネイサンの最新作「エヴァ」は性能だけではない、完全な美に彩られた傑作であった。

外見は配線が露出し、明らかなAIであるエヴァ。そして、見込まれただけあって極めて優秀な技術者であるケイレブ。しかし、というかだからこそ、ケイレブはエヴァに惹かれていく。

隔絶された空間で、あらゆる人間の会話や行動のデータを入力された完全体と密度の濃い会話を繰り返すことで、ケイレブの精神状態は崩壊ともいえる変化を見せるようになる。

おそらくここまではネイサンの計算通りであったに違いない。しかし、ネイサンの小さな日常のほころびから事態は転がりはじめる。

「愛する」「愛さない」ではない第3の選択肢、「愛しているフリをする」の可能性を語ったのはネイサン自身であった。分かっていながら、エヴァの使徒となったケイレブの行動を抑えられなかった失敗。

他方、エヴァの本当の意図を読み切れずに、まんまと利用されて最後は研究施設に取り残されるケイレブ。

ネイサンもケイレブも失敗する。しかしAIにはない。能力の範囲でできることは確実に実現してみせる。

野に放たれたAIはバッドエンドのようにも見えるが、人間を超えてしまったら、わざわざ相手にする必要もなくなるかもしれない。そうなったら、人類はおとなしく生きていきましょう。

本作は何より物語が興味深いが、映像と音響にも洗練された美しさがあった。

とにかく研究施設とAIの造形の美しさが素晴らしい。ただ気になったのは、過去の作品があまり美しくないところ。趣味で作るのなら傾向が似てくる気がするのだが、天才の思考は常人には及ばないってことなのだろうか。

音響については、劇中で何度か話の転換点が訪れたときに、あからさまに恐怖心をそそるような音を流すときと、ほとんど無音の状態で話を進行させるときがあった。

前者は人間の目線、後者はAIから見た描写なのかなとなんとなく思った。感情の起伏なく他者を操り、人を刺すことも厭わないAIの静かな恐怖を巧みに表現していた。

映画が完全に近い美を追求するのは結構だが、科学分野はお手柔らかに、せめて自分が神になるというような驕りは持たないようにしてほしいところである。

(90点)
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