Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「透明人間」

2020年07月11日 15時24分15秒 | 映画(2020)
現れるまでが透明人間。


「透明人間」とは何とも古典的なタイトルだが、1897年の小説や1933年の映画を現代風にアレンジした作品ということらしい。

光学を専門にする科学者のエイドリアンの妻・セシリアは、完璧主義の夫にすべてを支配される日常を送っていた。映画はそんなセシリアが命を懸けて自宅を脱出する場面から始まる。

途中で気付かれるもエイドリアンの追跡を何とか振り切ったセシリア。妹の知り合いである警察官ジェームズの元で平穏な日々を送っていたが、頭脳明晰で執念深いエイドリアンがいつ自分を見つけるかと常に恐怖にさいなまれていた。

そんなある日、エイドリアンが自殺したとの知らせが飛び込む。妹やジェームズは安堵するが、時を同じくしてセシリアは周囲に不穏な人の気配を感じるようになる。

サスペンス映画の肝は、先の予想がつかないことと想像の範囲を超えた展開にある。E.モスの神経質な表情と演技も相まって、セシリアの周りに漂う気配の正体が透明人間となったエイドリアンなのか、セシリアの精神が生み出した亡霊なのか、はたまた第三の選択なのか確定ができずに話が進むので、これは成功。

不穏な空気を助長する音楽、というより低く割れて響く効果音は、透明人間というより地球外生命体の登場を想起させる。そして現れたのは少しプレデターっぽい造形の透明人間。これも合っていたようだ。

正体が分かると途端に怖さがなくなってよくある娯楽作品へ急に転換するのも、映画のあるある。サイコパスな敵は透明である以外に特に武器を持っておらず、それ以上にセシリアに対する感情が弱点となっており、姿が露わになった途端に攻撃力は激減。それでも見応えはあるので、全篇にわたって十分に楽しめる作品ではあった。

それにしても、予告等で見ていた「心神喪失が判明したら遺産相続は無効となる」という設定が出てこなかったのだが、あれはミスリードか?そもそも正規のストーリーのとおり宣伝しても何も支障はなかったように思ったが、何があったのだろう。

(70点)
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「レイニーデイインニューヨーク」

2020年07月06日 22時32分44秒 | 映画(2020)
帰るべき場所は、もうそこにはない。


W.アレンはしばらくニューヨークを離れて映画を撮っていたことがあった。その中にはキャリアで最高級の評価を受けた「ミッドナイトインパリ」といった作品もあり、決して彼の製作能力が衰えたわけではなかった。

しかし、やはりアレンといえばニューヨークである。本作は、これまでの作品の中でもニューヨークの街並みに焦点をひときわ多く当てたものとなっており、宣伝広告の中では「アレンによるニューヨークへのラブレター」といった言葉も見られる。

T.シャラメ演じるギャツビーは、ニューヨークのエリート家庭に育った青年。親への反抗心を抱きながら郊外の大学へ通っている。アリゾナの銀行経営者を親に持つアシュレーというガールフレンドがいるが、社交界に肌が合わないこともあり将来のことはほとんど考えていない。

ある日、アシュレーが学校の課題としてニューヨークで映画監督のインタビューをすることになった。せっかくだから彼女にいいところを見せようと地元デートのセッティングをするギャツビー。しかしこの二人の些細な週末の計画は思わぬ方向へ。

生き生きと描かれた多くの登場人物が交錯し合い、ちょっとしたアクシデントの積み重ねで運命が転がり出す独特のアレン節は健在。T.シャラメの斜に構えた青年も魅力的だが、負けず劣らずの存在なのがアシュレーを演じたE.ファニングだ。

かわいいけれどまったく垢抜けない、アリゾナの人が見たら苦笑するんじゃないかと思うようなアシュレーが、ニューヨークのどまんなか、しかもショウビズのセレブたちの中に入っていってみんなを掻き回す。いや、正確に言えばショウビズ界の男たちが光に群がる虫のように勝手に振り回されているだけなのだが。

彼女を巡るどたばた劇はこれまたアレン作品の醍醐味と言える。いい大人が何やってるの?という役を演じるのがJ.ロウL.シュライバーD.ルナというのも贅沢。

そのどたばた劇の裏でギャツビーには新たな展開が訪れる。多彩な顔を持つニューヨークの街。雨が降るだけで街の表情は変わる。生まれ育った場所なのにまったく気付かなかったこと。彼は新しい可能性を感じ取る。

最後の場面でギャツビーが取る選択には、おそらくアレン自身の思いが投影されているのだろう。ヨーロッパで映画を撮るのも悪くないけどやっぱりニューヨークが好きだと。

しかし皮肉なことに、いまの米国ではアレン作品に出演した自分の行動を間違いだったという流れが出始めている。直接の原因は30年近く前に起きたアレンの性的虐待疑惑だと言う。2年以上前に完成した本作は米国では未だに上映されていない。

故郷に戻って溢れんばかりの愛を捧げたつもりが、その愛はいつしか片思いになっていた。いや、そこにもう愛するひとはいなくなっていた。

W.アレンが描くニューヨークの映画とはこれでお別れなのかもしれない。40年近く彼の新作を映画館で観ることが楽しみだっただけに、まさかこんな最後になろうとは寂しくてやりきれない。

(90点)
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