Con Gas, Sin Hielo

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「イエスタデイ」

2019年10月22日 09時01分25秒 | 映画(2019)
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「ワンスアポンアタイムインハリウッド」の記事で「おとぎ話」という表現を使ったが、もっと明確におとぎ話な映画が登場した。

もしも自分以外の誰もビートルズを知らなかったら。

主人公はのジャックは、ホームセンターの店員として働きながら路上ライブ等の音楽活動を続けるシンガーソングライター。しかし売れる見通しはまったくなく、彼の理解者は幼なじみのエリーだけだった。

そんなある日、全世界で12秒間の大停電が発生し、同時刻にジャックはバスとの衝突事故に遭う。大けがから目覚めた瞬間、世界は今までと別のものになっていた。

退院祝いでエリーからもらったギターでビートルズの"Yesterday"を奏でると、友人たちが感動してジャックに尋ねる。「すばらしい曲。どうして今まで隠していたの?」「これはビートルズじゃないか」「ビートルズって何?」

PCでビートルズを検索しても出るのは昆虫のカブトムシばかり。ジャックは世界からビートルズが消えていることに気付く。「これは大変なことになった」

ビートルズがなくなったことは、人の生き死にに直接関係することではない。でもジャックは思ったのだ。彼らの音楽は世界になくてはならない。そしてそれをできるのは自分しかいないと。

もちろん彼がミュージシャンだったからということもあるが、NO MUSIC, NO LIFE。音楽がない世界に対する危機感が彼を行動に走らせる。そんなジャックのやさしさが、観る側をぐっと引き寄せて冒険の旅を共にすることに成功している。

そのやさしさが困難を招く展開もよくできている。ビートルズの楽曲がジャックの曲として世の中に出回り、空前のヒットを記録すると、人々はジャックを時代の寵児ともてはやしはじめる。

でも彼は知っている。自分はすばらしい曲を世の中に残すための伝道師に過ぎないことを。Ed Sheeranまでが「君はモーツァルトで、僕はサリエリだ」と言うほどに存在が大きくなり過ぎた彼は、ついには大切なエリーとも離れ離れになってしまう。

ビートルズの曲を人々に伝えるために奮闘してきた彼は初めて立ち止まって考える。自分にとって大事なこと、すべきことは何なのか。そして彼は驚くべき行動に打って出る・・・。

発想はドラえもんの「もしもボックス」的であり非常にわかりやすい。一瞬の事故で世界が変わる展開もベタなだけに、脚本のR.カーティス、監督のD.ボイルの二人の御大の味付けにかかってくるわけだが、前述のとおり温かい主人公たちの物語ははじめからおわりまで心地よかった。

音楽が主要な素材であるが、物語の基軸はジャックとエリーのラブストーリーである。このあたりを物足りないとする向きもあるようだが、やさしいラブストーリーが最近少ないと思っていたところなので好印象であった。

小ネタも楽しい。実は世の中から消えていたのはビートルズだけではなかった。そのチョイスが絶妙でくすっと笑わせてくれる。

そして忘れちゃいけないのが、クライマックスの直前にジャックがある人に会いに行く場面だ。ビートルズがいない世界は、こういう世界でもあるんだという。冒頭で「ワンスアポンアタイムインハリウッド」を引き合いに出した理由でもあるのだけれど、この場面は音楽ファンのおとぎ話でもある。

殺伐とした時代にポツンと浮かぶオアシスのような映画。そういえばOasisも消えていた。ジャックにはまだまだやらなければならないことが残っている。

(85点)
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「ジョーカー」

2019年10月06日 10時24分46秒 | 映画(2019)
何もない、だから無敵。


何度もリブートされるアメコミ作品。なぜ繰り返し焼き直しされるのかといえば、それはアメコミがベースにしている世界が、その時々の社会を描写するのに適した素材であるからにほかならない。世の中の移り変わりが目まぐるしいから頻繁に作り返されるのである。

バットマンシリーズでおなじみのゴッサムシティは混迷の社会の象徴である。分断される民衆、不満を抱く人たちが暴動に走る姿は、いま世界中で見られる光景と重なる部分が多い。

希代の敵役・ジョーカーの誕生譚を描いた本作。ゴッサムシティの片隅で年老いた母親と暮らす孤独な男・アーサーフレックは、精神疾患を抱えながらも道端で大道芸を演じることでぎりぎりの生活を送っていた。

社会の底辺で誰にも振り返られることのない存在。しかし彼の心の内には、コメディアンになること、同じアパートで暮らす女性と仲良くなることといったささやかな夢があった。

ある日、彼は母が熱心にしたためている手紙の内容を見て愕然とする。それは、次期市長候補とも言われる有力者・トーマスウェインと母のただならぬ関係であった。

自分の存在とは何なのか。不当な大きな力によって人生を歪められたのか。必死に探し求めた先に待っていた事実とは。

「これは悲劇ではない。喜劇だ」

アーサーにとって、これまでの人生すべてが崩壊したときの台詞である。同時にアーサーフレックという男が「ジョーカー」という存在に生まれ変わった瞬間でもあった。

不遇な生い立ちに脱出不可能な貧困のスパイラル。そして社会を混乱に陥れる悪役へ。客観的にみれば救いようのない話なのだが、生まれ変わったアーサーは憑き物が落ちたように生き生きとしはじめる。

象徴的なのはラストシーン。画面の奥からはまぶしいほどの光が差し込み、その方向へ意気揚々とステップを進めるアーサーの姿。やがて画面の奥でトムとジェリーのような追いかけっこの姿が映る。

この映画は彼にとって明らかにハッピーエンドなのだ。

主演のJ.フェニックス。もともと演技力の高さに定評があるが、本作はまさに独壇場。冒頭から、独特の高い笑い声や鬱屈した内面を絞り出したような表情の変化で圧倒する。狂気を体現した肉体改造ぶりもすごい。

脚本や演出も巧い。アーサーの妄想を曖昧に入れ込むことは、彼のもやもやを共有しつつ、生まれ変わった後の落差を体感させることに成功している。憧れていたレイトショーへの出演のどんでん返し(自宅リハーサルと本番で起こる事件)も効果絶大だった。

持たざる者のカリスマ、ジョーカー。現実にも社会の不満を背景に持ち上げられている人がちらほら見られる。彼女らの出現はハッピーエンドなのか、更なる混沌への入口なのか。

(90点)
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