Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「スイスアーミーマン」

2017年09月23日 21時19分07秒 | 映画(2017)
死体のクセが強いんじゃ。


心の準備はしていたが、ここまで奇想天外な映画だとは思わなかった。

おなかにガスが溜まった水死体の浮力によって無人島から脱出する。この時点で作り手のたくましい想像力に脱帽するのだが、このエピソードはタイトルクレジットが出るまでの部分に過ぎず、作品の大半は更に誰も考えつかないような展開になっていくのだ。

おそらく島ではない陸地に辿り着いた主人公のハンク。しかし携帯の電波は相変わらず圏外。とにかく人のいるところを目指そうと今度は山の中へ入っていく。

お世話になったのに置き去りにするのも・・・と死体を連れて行くのだが、これが道中でまたまた思わぬ機能を発揮する。

雨水を体の中にためて水筒代わりになる死体。口から噴水のように水を吹き出すD.ラドクリフの画は強烈の一語に尽きる。

この調子でいったいどこまで突き進むつもりだ?と思ったあたりで話は急展開する。死体から声が発せられたのだ。

はじめはこれも腹の中のガスのしわざかと思ったのだが、そのうち死体は自分の意思でしゃべるようになる。

メニーと名乗る死体には記憶はないらしく自ら動くこともできない。ただハンクと意思疎通するうちに様々なことを学習していく。どんな設定なんだ。

更に面食らったのは下ネタが多いこと。メニーは女性に興味を持つようになり、女装したハンクと疑似恋愛の世界へ。どこへ行くんだ。

ファンタジーとはいえさすがにハンクの妄想としか思えなかったのだが、映画は暴走(?)を続けてついに人里、それもハンクが秘かに慕っていた女性が住む家の庭先に行き着く。

そもそも冒頭でハンクが砂浜に打ち上がっている死体に気付く場面からとても不自然だった。力技はハマれば効果は絶大だが本作は・・・ちょっと微妙なところだ。訳の分からないことに突然巻き込まれた女性・サラの最後の表情がぴったりくる。

(65点)
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「ダンケルク」

2017年09月18日 14時10分24秒 | 映画(2017)
混乱が助長する不安。


人間は理解できないものに恐怖を感じる。超常現象がそうだし、現実に起きていることで言えば、何をしでかすか分からない国のトップも同じである。

第二次世界大戦の序盤戦。攻勢を続けるドイツ軍に追い込まれた英仏連合軍は後がなかった。押し込められたのは砂浜海岸で、大型船が近付きにくい上に頻繁にドイツ空軍が空襲を仕掛けてくる。30万を超える軍勢は滅亡の時を待つしかないように見えた。

近代戦史に残る作戦と言われるダンケルクの戦いを、あのC.ノーラン監督がメガホンをとって映画化した話題作である。

戦争映画は時代のかがみと言われる。ベトナム戦争、湾岸戦争、そして9.11を経たテロと情報戦の時代と映るに連れて、対象となる題材や描かれ方が変化してきた。

しかし本作にはあまり思想的なメッセージを感じることはなかった。もちろん飛び交う弾丸や見えない敵からの攻撃は、戦争の恐怖を伝えるに十分な迫力であるが、それ以上にダンケルクから何とか脱出を試みる人たちの思いの方が強く印象に残った。

映画は出発点が異なる3つの物語が並行して描かれる。

陸からダンケルクの海岸に辿り着き脱出を図ろうとする兵士、海から救出作戦に参加しようとする民間人、空からドイツ軍の攻撃を阻止する空軍パイロット。

3つの舞台がテンポよく切り替わるのだが、実はこれらの話は時間軸が少しずつズレているので観ている側はかなり混乱させられる。

例えば、陸上の兵士たちに危機が迫り緊迫した音楽が徐々にピッチを上げるのだが、直後に切り替わる海や空はまったく違う時空間にあって音楽だけが引き継がれる。

戦場で顔がくすんだ兵士たちの見分けがつきにくいことも手伝って状況がつかめない。結果的にこれが不安感を増幅しているのだが、この映画の受け取り方がこれで良いのかどうかはこれまた分からない。

それにしても本作を観ていると、戦争の様相が大きく変わったことに気付かされる。とにかく人間が実際に現地へ行って戦うのだ。

現代において直接出向いて生命をさらして戦うなんてことがあるだろうか。そういう意味では人間は少しずつながら進化しているのかもしれない。新しい問題が発生して決して心が休まる暇はないが。

(70点)
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「新感染 ファイナルエクスプレス」

2017年09月18日 00時35分34秒 | 映画(2017)
愛と絶望のZ-TRAIN。


立川で映画を観るのは、あの「マトリックス」以来だからだいたい20年ぶりくらいだろうか。チェーンのシネコンが大勢を占める中で、シネマシティは本当に健闘している。今回ここを選んだのは、立川名物の爆音上映があるからだった。

予告から底割れしそうな振動を伴う音響が鳴り響く。もちろん段々と慣れてしまうのだが、内装も清楚でキレイだし、次は20年と言わずに機会があったらまたぜひ訪れてみたいと思った。

さて、本篇であるが、韓国映画界渾身のパニックホラー大作である。これまた20年近く前になるだろうか。硬派大作の「シュリ」から韓国エンターテインメントの扉が開かれ、韓流ブームを経て、現代は充実期とでも言えばいいのか、質の高い作品が定期的に輩出されるようになった(もちろんへんてこな反日映画は除いてではあるが)。

本作は、感染パンデミック系のいわゆるゾンビムービーだ。全速力で追いかけてくるゾンビはすっかり見慣れたし、大筋の話として特に目新しいものはない。

しかし本作が明らかに優れている点が2つある。それは、高速鉄道の車両内を主な舞台としたこと、そして大災害に見舞われる乗客のサイドストーリーを丁寧に組み立てたことだ。

新幹線を世界に売り込む鉄道技術大国としては、この手の作品はぜひわが国で実現させてほしかったが、なかなかどうして韓国もたいしたもので、車両という細長くて狭い独特な形の空間を生かした数々のアイデアは素晴らしいものばかりだった(ちなみに新幹線が舞台だったら自動ドアでみんな即アウトとなるだろう)。

時々とてつもない体力を発揮する主要キャストたちにツッコミたくなることもあったが(ほぼ素手で感染者たちを蹴散らしたり、身重の女性がアスリート顔負けに全速力で走ったり)、全篇を通して絶望感が支配していることもあり、気持ちが醒めることなく応援し続けることができた。

登場人物の設定は更に良かった。証券会社で働く人間味の薄いソグが、パニックの中で必死に娘を守ることで浄化されていく経過を主軸として、乗り合わせた老若男女様々な人間模様を分かりやすく描く。

誰にも命を懸けて守りたいものがある。観る側が共感したところで無慈悲に襲いかかる感染者。ひとつひとつの関係が引きちぎられていく切なさと悔しさが何にも増して心に迫る。

物語の作り込みは基本のはずだが、やっぱり普通のアクション作品はその辺を二の次にしていることが多いということなのだろう。

最後の場面の「それを持ってきたか」感も収まりとして言うことなし。あれでは涙腺はもたない。

(90点)
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「奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール」

2017年09月17日 00時02分24秒 | 映画(2017)
あー古傷が痒い。


プレミアムモルツのCMツイートが炎上しているとの記事があった。どうも水原希子はネット社会では人気がないらしい。

確かに万人が認める美人よりも個性的な顔立ちと言った方がしっくり来る。このひとのどこがいいの?と思う人がいてもおかしくないが、どこか他者とは違う引っ掛かりがあることも確かである。そうでなきゃ外国のアーティストのPVに起用されたりはしないだろう。

本作で彼女が演じる役は、奔放な振る舞いで周りの男を振り回す女子・あかり。昔の言葉で「小悪魔」という呼称があったが、器量が良い女性にちょっとでも気がある素振りをされると男は見事なまでダメになる。

水原希子はそんな取扱注意な悪女を生き生きと演じている。決して良い印象の役ではないが、その程度のことは意に介さずという感じで良かったと思う。

一方、あかりに振り回される主人公・コーロキを演じたのは妻夫木聡。様々な役をこなす彼だが、もともと優しい外見なのでこの役はハマっている。

コーロキは奥田民生を大人の生き方の実践者として崇拝している。

何事にも動かされずわが道を行く。肩肘を張らずに気楽に生きる。

そういった人生を理想とする人は多いと思う。でも、コーロキに限らずたいていの人にとって、その境地は夢のまた夢。

ただ最近思うのだけれど、いつの間にか時間は流れていて、周りには年下が増え相対的に経験値が高くなっていて、自分が変わったつもりも成長した覚えもまったくないのに、それなりに誰かに物事を教えたりしている。

奥田民生もかつてはアイドル的に扱われていたこともあったし、UNICORNのメンバー脱退や解散という事件もあった。長い道のりを経ていまの奥田民生に辿り着いたのだ。

自分が理想にどれだけ近付いているのかは分からない。そもそも理想が本当に目指すべき道なのかどうかも不明な中で、自分と折り合いを付けて進んで行くのが人生なんだとつくづく思う。

捉えどころはこのような感じで極めて分かりやすいのだが、仕方ないとはいえ登場人物の世界が狭くて限定的なのは少し残念だった。「すべて狂わせる」と掲げておきながら出てくる男性の範囲が著しく狭い。

そして、クライマックスに関係する人物が集結する場面は展開が吹っ飛びすぎていて、その後の情景も含めて頭の中でうまく収めることができなかった。

(65点)
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「ワンダーウーマン」

2017年09月03日 14時25分59秒 | 映画(2017)
結局最後はビーム合戦。


「バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生」で唯一の救いと言っても過言ではなかったワンダーウーマンの登場場面。

その彼女の誕生を描いた作品が、DCヒーロー揃い踏みの「ジャスティスリーグ」を前にして満を持しての公開となった。

ワンダーウーマンことダイアナは、全能の神ゼウスが生み出したアマゾン族の王女ということで、言い換えれば人間よりも神に近い存在であるらしい。

男性がまったくいない島で母親が粘土に命を吹き込むことで誕生したダイアナは、アマゾン族の運命を担う者として、宿敵である軍神アレスとの決戦に備え戦闘能力に磨きをかける日々を送っていた。

そこへ突然人間の男性が迷い込む。スティーブは米国陸軍に所属するスパイであり、敵国ドイツの軍事秘密を盗み出して命からがら島にたどり着いたところであった。

人間の世界で大量の人命を犠牲にする戦争が行われていることを知って、ダイアナはアレスの仕業であると直感。世界を救うのは自分以外にいないと決意し、スティーブとともに島を後にする。

誕生物語だから仕方ないとはいえ、前半の島での下りが長く感じた。

その中でも、スティーブを追って島にやって来たドイツ軍とアマゾン族の戦いは数少ない見せ場だが、銃器対神の力のバランスがうまく伝わってこない。

アマゾン族の舞うように戦う姿は実に優雅に映されているのだが、油断していると銃弾の餌食になってしまうので、強いというよりも時代に取り残されたマッチョ軍団にしか見えなかった。

リズム感の悪さは島を出てからも拭えない。ロンドンに着いたダイアナは一般の人間に馴染むために洋服をしつらえる場面では、人間の文明を知らない故のズレをコミカルに描いているつもりがいまひとつ笑いに繋がらない。

次に舞台は戦場へ移り、ダイアナたちは大量殺戮を可能にする最新の化学兵器を開発したドイツ軍と対峙する。実際の戦場の悲惨さを目にしたダイアナはパワー百倍、島での戦いとは異なる圧倒的な強さでドイツ軍を蹴散らし町を奪還する。

そして軍を掌握するルーデンドルフ将軍がアレスであり、彼を仕留めれば戦争に終止符が打てると思い、単身で中枢へ乗り込み彼の体に剣を突き刺す。

しかし一変するはずの世界は何一つ変わらず、ドイツ軍は化学兵器を戦闘機に積み込む作業を続ける。ダイアナの壮大な勘違いが解けて、人間世界を救うヒーローへ生まれ変わるのかと思ったそのとき、なんと黒幕が登場する。

マーベルでも神が実在のヒーローとして戦っているのだから、設定自体に文句を言うつもりはまったくない。しかし、島に伝わる言い伝えから勘違いの道具という一連の流れから、アレスがラスボスでしたと言われたときの置いてけぼり感には実に不満が残った。

「やっぱり私が正しかったのね」となってもおかしくないところを、「最後は愛」と言い放つダイアナの宗旨替えも理解不能である。

そして最後は神々の戦いだけに、「マンオブスティール」でも見た人類無力の超能力合戦と化す。DCは結局良くも悪くもプリキュアなのである。

G.ガドットは文句なしに素晴らしい。戦う時の凛とした姿も美しいが、特に目を引くのは力を抜いたときの穏やかな表情である。

世界で最も美しい何人かに選ばれるのも当然であり、いくら作品に不満があっても彼女の活躍見たさにDCシリーズにも足を運ぶことになるのかもしれない。

(55点)
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