ささくれ立った心が向かい合うとき。
原作者の佐藤泰志氏は1990年に40そこそこの若さで自殺。人の心の奥に迫る作業を続けるうちに過敏になるのか、そもそも繊細な心の持ち主だからこそ小説を書くのか。
本作は、その佐藤氏が遺した唯一の長編小説。函館を舞台に、もがき続ける人たちの出会いと挫折と希望を描いている。
主人公たちが暮らす函館だが、本作の風景は夏の北海道である。冬の厳しさとはまた違う暑苦しさが冒頭から漂ってくる。
仕事で挫折を味わった達夫、前科持ちで保護観察中の拓児、そして家族のために身を粉にして働くが何一つ成果に結びつかない千夏。
それぞれが傷ついて疲れ切っている。誰かの力を必要としていることが分かっていても、がさがさの心は簡単には近づけず、かえってお互いを傷つけてしまう。
世界の中ではましな方と言いながらも確実に存在する格差。一度はまると抜けられない負の連鎖ということも言われて久しい。
家族で出かけた子供のころの思い出を話す千夏が痛々しい。目の前にいる父親にかつての面影はない。
それでも彼女が健気に働き続けるのは、やはりかつての家族の愛に包まれた生活を憶えているからに相違ない。
義務なんかじゃない。愛がほしいだけ。報われることのない不倫を続ける理由もそこにあるのかもしれない。
達夫が彼女にひかれたのは決して同情でも劣情でもなく、そんな愛を求める姿に何かを感じたからではないか。
全篇を通して印象的な海の場面は、達夫と千夏が雑念から離れて素直に向き合うことができる場所として描かれる。
決して明るい先行きではないのに、太陽の光に照らされる二人の顔に自然と笑みが溢れるラストが印象深い。
綾野剛という俳優は、世の中で言われるほど二枚目ではないと思うが、独特の味があることは間違いない。
おそらく本人も理解しているのだろう。大作ではない映画や舞台で経験を積むことは、きっと将来の財産となるはずだ。
(70点)
原作者の佐藤泰志氏は1990年に40そこそこの若さで自殺。人の心の奥に迫る作業を続けるうちに過敏になるのか、そもそも繊細な心の持ち主だからこそ小説を書くのか。
本作は、その佐藤氏が遺した唯一の長編小説。函館を舞台に、もがき続ける人たちの出会いと挫折と希望を描いている。
主人公たちが暮らす函館だが、本作の風景は夏の北海道である。冬の厳しさとはまた違う暑苦しさが冒頭から漂ってくる。
仕事で挫折を味わった達夫、前科持ちで保護観察中の拓児、そして家族のために身を粉にして働くが何一つ成果に結びつかない千夏。
それぞれが傷ついて疲れ切っている。誰かの力を必要としていることが分かっていても、がさがさの心は簡単には近づけず、かえってお互いを傷つけてしまう。
世界の中ではましな方と言いながらも確実に存在する格差。一度はまると抜けられない負の連鎖ということも言われて久しい。
家族で出かけた子供のころの思い出を話す千夏が痛々しい。目の前にいる父親にかつての面影はない。
それでも彼女が健気に働き続けるのは、やはりかつての家族の愛に包まれた生活を憶えているからに相違ない。
義務なんかじゃない。愛がほしいだけ。報われることのない不倫を続ける理由もそこにあるのかもしれない。
達夫が彼女にひかれたのは決して同情でも劣情でもなく、そんな愛を求める姿に何かを感じたからではないか。
全篇を通して印象的な海の場面は、達夫と千夏が雑念から離れて素直に向き合うことができる場所として描かれる。
決して明るい先行きではないのに、太陽の光に照らされる二人の顔に自然と笑みが溢れるラストが印象深い。
綾野剛という俳優は、世の中で言われるほど二枚目ではないと思うが、独特の味があることは間違いない。
おそらく本人も理解しているのだろう。大作ではない映画や舞台で経験を積むことは、きっと将来の財産となるはずだ。
(70点)
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