歪んだ幸せは長くは続かない。
羊と「禁断」の組み合わせで思い出すのは、クローン羊として世界的な話題を呼んだ「ドリー」である。
羊って、見れば見るほど表情が乏しく1頭1頭の違いが分かりづらい。そのうち、小屋で飼われている何頭もの羊が、ドリーの印象も相まってクローンもしくはCGか何かの合成に見えてきてしまった。
もちろん禁断の存在である「アダ」は特殊技術で作られたモノに間違いないのだが、小屋で飼われていた羊や、自分の子供を心配して家に見に来た羊はどうだったのだろう。
事前の情報で「アダ」がどのような存在なのかある程度知ってはいたが、映画の中ではまったく説明がない。前半に出てくる人間がイングヴァルとマリアという羊飼いの夫婦だけなので台詞もほとんどない。なので、禁断が誕生する瞬間もことのほか淡々と進み、二人は当然のようにそれをわが物とする。
人間の年齢にすると4歳か5歳くらいになったのだろうか。二人とアダは完全な親子として日常を送っていた。ともに食事をし、農作業に出かけ、お風呂に入り、寝床に就く。
ある日、イングヴァルの弟が現れてともに暮らすことになる。ここでも二人は当然のように彼にわが子を紹介する。戸惑う弟にイングヴァルは告げる。
「これは我々の"しあわせ"なんだ」
常識的には疑うべきであるにも拘らず、イングヴァルと妻のマリアにとってその存在は必然であった。これは神が私たちに授けた贈り物に違いない、と。
弟はこの狂気をあいまいに受け入れたが、終わりは突然にやって来る。
二人は誤ったことをした。ただ、それを責められるかといえば断定はできないような気がする。埋められずにいた心の隙間が原因で、思いがけず落とし穴にはまってしまったと考えると、突拍子もない設定ながら極めて普遍的な話であると感じた。
(70点)
羊と「禁断」の組み合わせで思い出すのは、クローン羊として世界的な話題を呼んだ「ドリー」である。
羊って、見れば見るほど表情が乏しく1頭1頭の違いが分かりづらい。そのうち、小屋で飼われている何頭もの羊が、ドリーの印象も相まってクローンもしくはCGか何かの合成に見えてきてしまった。
もちろん禁断の存在である「アダ」は特殊技術で作られたモノに間違いないのだが、小屋で飼われていた羊や、自分の子供を心配して家に見に来た羊はどうだったのだろう。
事前の情報で「アダ」がどのような存在なのかある程度知ってはいたが、映画の中ではまったく説明がない。前半に出てくる人間がイングヴァルとマリアという羊飼いの夫婦だけなので台詞もほとんどない。なので、禁断が誕生する瞬間もことのほか淡々と進み、二人は当然のようにそれをわが物とする。
人間の年齢にすると4歳か5歳くらいになったのだろうか。二人とアダは完全な親子として日常を送っていた。ともに食事をし、農作業に出かけ、お風呂に入り、寝床に就く。
ある日、イングヴァルの弟が現れてともに暮らすことになる。ここでも二人は当然のように彼にわが子を紹介する。戸惑う弟にイングヴァルは告げる。
「これは我々の"しあわせ"なんだ」
常識的には疑うべきであるにも拘らず、イングヴァルと妻のマリアにとってその存在は必然であった。これは神が私たちに授けた贈り物に違いない、と。
弟はこの狂気をあいまいに受け入れたが、終わりは突然にやって来る。
二人は誤ったことをした。ただ、それを責められるかといえば断定はできないような気がする。埋められずにいた心の隙間が原因で、思いがけず落とし穴にはまってしまったと考えると、突拍子もない設定ながら極めて普遍的な話であると感じた。
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