Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「クレヨンしんちゃん 超時空!嵐を呼ぶオラの花嫁」

2010年04月18日 13時18分54秒 | 映画(2010)
楽しくても連鎖しない。


「楽しくなければテレビじゃない」と言ったのはかつてのフジテレビ。

あのころのフジテレビは元気だった。今も視聴率争いで民放のトップ争いに加わり続けているが、元気かと問われればそれは「否」だ。

フジテレビに限らず、今は国全体に元気がない。経済も政治も先行きが見えないのだから仕方ないと言えばそれまでだが、問題なのは、かつてより豊かなはずなのに迷いの度が深まっていることである。

国民とは本質的に誰かに進む道を指し示してもらいたがっているものだ。たとえ道を誤って後に苦労することになったとしても。

そこが欠如しているから、今は世の中全体に閉塞感が蔓延している。「東のエデン」シリーズの滝沢くんは、まさにそういう時代に出るべくして出てきたキャラクターだ。

で、「クレしん」なのだが、驚いたことに今回、未来の野原しんのすけは世界の救世主となっている。

時代を捉えた設定であり、しかもそのメッセージは実に「しんちゃん」らしく、そこだけ切り取れば傑作の可能性を大いに秘めた作品であった。

しかし残念なことに、観終わった後カタルシスを感じることはできなかった。

一言で言えば作り込みが雑なのだ。

別に、タイムパラドックスがどうとか細かい部分を全て整合性が取れるように整理せよと言っているわけではない。

にしても、話の展開の至るところに無視できない違和感を感じた。未来のマサオくんとの遭遇、花嫁(希望)軍団の登場・・・、他にもあるが、いずれも唐突なのだ。

アイデア先行なのは分かる。それを責めるつもりもない。でも、つながり無視で受けそうなカットをはめ込むだけでは、あまりにも芸がない。それじゃ単なる子供向け映画に収縮してしまう。

去年の作品がとても面白かっただけに、今回もいくらでも広がりの持てる設定だっただけに、惜しいとしか言いようがない。

(55点)
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「ウディアレンの夢と犯罪」

2010年04月17日 01時03分04秒 | 映画(2010)
中途半端な勝負が招く男の悲劇。


W.アレンといえば何故かガーデンシネマが多い。巨匠と呼ばれてもなおメジャー系にはあまり縁のない不思議な監督だ。

巷ではロンドン3部作なんて括り方をされているけど、本作はコメディ要素は皆無だし、S.ヨハンソンも出てこない。

主役の兄弟の情けなさは滑稽ではあるものの笑える筋のものではない。基本的には悲劇だ。

どツボにハマっていく兄弟というと昨年観た「その土曜日、7時58分」を思い起こす。そういった意味で新鮮味にやや欠けてしまったのは残念であった。

ただ、もう少し目を凝らして見てみると、ところどころおもしろいことに気付く。

まずは作中の男女のコントラストである。

本作は、S.ヨハンソンに限らず特に有名な女優さんが出ているわけではない。しかし出てくる女性はとてもまぶしい。

兄・イアンがベタ惚れしてしまう女優アンジェラ、弟・テリーの常に傍らで支えるケイト。タイプの違う2人の女性は、派手に振る舞うわけでもないのにオーラ的な女性の魅力に満ちている。これは監督の腕なのか。

それに比べて男性陣は、まあことごとく欠陥を露呈して情けない。

テリーは酒・薬・ギャンブルの日々。勝った勝ったと言いながら、映像で流れるのはなぜか負けシーン。勝ったという言葉は虚言かもしれないとも思える演出だ。

借金は増えるけど止められない。スポーツマンで勝気な性格に表向きは見えるが、実はかなりの小心者。

イアンは対照的に頭が回る。端麗な容姿と相まって、田舎でくすぶっているのはもったいないと周りから思われ、本人もその気になっている。

しかしそんな自意識は過剰気味に持っている彼が地元を出られない本当の理由は、才覚と決断力の不足である。

そんな二人だから人生はぱっとしない。父母を交ぜて囲む食卓は殺伐とし、唯一出る明るい話題は世界を股に掛けて活躍する伯父のハワードの話だけだった。

母は言う。「最後に頼れるのは家族だ」と。

自らの甲斐性のなさから少しずつ追い込まれる兄弟。彼らはハワードを最後の頼みの綱とするのだが、実はこの男にも似通ったDNAが流れていた。

坂道を転がり始めた石は下りきるまで止まることはない。自分と家族のことを考え、なんとしても不名誉と損害を避けようと奮闘した結果は、なかなか強烈な皮肉が効いている。

おそらく道が下り始めたのは相当前のことだろう。下りの道には相応の歩き方があるのに、彼らは分不相応に加速してしまったのだ。そしておかしいと思ったときに強くブレーキを踏むこともできなかった。

単純な話なのだが、キャラクターの設定や物語の展開を見ると、やはり巧く作り込んでいるなという印象を受けた。

(75点)
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「第9地区」

2010年04月11日 16時43分17秒 | 映画(2010)
徹底して愚かなるは人類。


異色のエイリアン作品、アカデミー作品賞ノミネート。これだけの情報で興味を強く掻き立てられます。今回の作品賞ノミネート枠の増加で最も恩恵を受けた作品かもしれません。

ある日突然UFOが南アに襲来。確保されたエイリアンは衰弱し切っていて地上に隔離。

もうこの発想だけで座布団数枚分でしょう。思えば、ゾンビはハウスキーパーに使われるなど遊び要素まで広がりを見せているのに比べて、エイリアンは不遇でした。

まあ不遇といえば、この作品の中のエイリアンの扱いは更に不遇なわけで、力で制圧できることを知った時点から人類は傍若無人な振る舞いでエイリアンを迫害し続けます。

異質なもの、自分より力のないもの。エイリアンがそうしたものの象徴であることは言わずもがな。人間とはかくも醜い存在なのかと暗い気持ちにさせられます。

主人公でエイリアンの強制収用責任者に任命されたヴィカスも例外ではなく、人懐っこそうな表面とは裏腹に冷徹に任務をこなそうとします。

しかしそこで予期せぬ事態が発生。ヴィカスの立場は迫害を受ける側に一転します。

ここからの脚本がまたおもしろい。被害者の気持ちを体感して一気に違う展開を見せるのかと思いきや、この男はそう簡単に変わらない。

実際の人間ってこうなのかもしれません。それほどまでに一度こびり付いた概念を払拭するのは難しいということ。その点、実態の分からない妻の電話の声にはすっかり油断しちゃって。

設定で引き込む強さに加えて、ドキュメンタリーを模したインタビューで繋ぐ編集も緊迫感の維持に一役買っています。

観る前に持っていた地味な印象も、エイリアンや宇宙船の造形、アクションシーンの迫力はまったく見劣りせず。まさに一級の娯楽大作に仕上がっています。

(85点)
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「ダーリンは外国人」

2010年04月11日 16時05分02秒 | 映画(2010)
選ばれし人、井上真央


井上真央には運がある。

昼ドラの子役から「花より男子」のサプライズヒットで一躍主役級になったのも、起用当初は複数人の有名人の末席だったのが今や堂々とメインを張っているみずほ銀行のイメージキャラクターも、彼女には流れを引き寄せる何かがあると思う。

その「何か」とは?

突き詰めていくと本作の主役が彼女で必然ということがよく分かるのだが、それは、ひとを幸せにするオーラではないか。

原作はよく立ち読みで見ているが、一言で言えばほのぼので、かつ元気が出る漫画。

実写にしたとき誰が合うかと見渡してみると、これが意外となかなかいない。彼女以外には。

そんなわけで、トニー役の外国人も合わせて配役はほぼ文句なしの本作なのだが、それだけではいかないところがコミック原作の難しいところ。

最大の難問は動画と書籍の時間軸の違いにある。

コミック本は、コマの一つ一つ、またはコマとコマの間の間隔にメリハリがあることで、受け手に伝わるスピードの変化が自在なのだが、動画は時間の速さと画面の大きさが一定で縛られるからどうしても間延びして感じるのだ。

コミック原作をテレビアニメ化するのでさえもそう感じるのに、実写化となれば難易度は更に上がる。

その意味では、今回の映画化で、さおりとトニーの出会いから結婚までの物語を基軸に置いたことは賢明だろう。

ただやっぱりさじ加減は難しい。原作を知る者にとっては異文化のネタがなければ「ダーリンは外国人」ではないわけだから、後半の父の逝去あたりから続くシリアス路線はどうみても冗長。

しかも長く引っ張った割りには雪解けが急速だから、言ってみれば「度肝を抜かれた」のはこっちの方。

まあ、次回があるならもう少し軽くしてもらえればということで。今回の配役ならば、たぶん次も観ると思う。

(60点)
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「シャッターアイランド」

2010年04月11日 00時13分03秒 | 映画(2010)
新手のネタバレにしてやられ。


L.ディカプリオの名前だけでは物足りないと判断したのか、この映画の宣伝はやたら「謎解き」「脳」といった言葉を被せてきました。まあ脳トレは流行りでもあるしね。

ご丁寧に本編の直前にも図形と目の錯覚のパターンを持ち出して、「あなたの脳が勝手に作り出している」云々と語りかける徹底振り。

しかしそこまで言われたら、いくら騙されやすい善良な小市民でも勘付きましたよ。前半5~10分程度脳が動かない時間があったけど、それでも十分。親切と言えば親切だけど、一言で言えば「興醒め」。

謎解きのレベルが下がった以上、妄想劇場はいい加減に打ち切って早く種明かしを見せてほしかったんだけど、上映時間はかなり長く感じました。

ただし全般を通して評価するならば、映像や音楽は不気味さが丁度良い加減。種明かしも、予想できたのは大筋だけだったので、詳細な解説は結構おもしろく見られました。

ただせっかくならもっと大きくひっくり返してもよかったのにとは思いました。「シャッターアイランド」ってのも妄想で、実は東京の街中の市民病院だったなんてオチにするとか。

ディカプリオはこういうの好きなんだろうな。migさんの記事J.ニコルソン化が進行中と書いてあったけど、まさにその通りと思いました。

妻役のM.ウィリアムスは野暮ったさ全開。このタイプは全開する方向次第で、妖艶になるか陰気で破滅的になるかのどっちかだということが分かりました。いわゆる愛人タイプね。

2人以外についても、配役は良かったんじゃないでしょうか。脇で出てくる人たちの病んでる芝居も含めて。

名作でも問題作でもないけど、娯楽作としては順当な出来映えというのが妥当な線でしょうか。

(70点)
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「シャーロックホームズ」

2010年04月04日 06時14分14秒 | 映画(2010)
知られざる「英国紳士」に関する一考察。


子供のころ、娯楽要素を含んだ読み物として二大巨頭だったのが「怪盗ルパン」と「名探偵ホームズ」だった。

コナン君にも継承される頭脳明晰、冷静沈着といった「名探偵」の印象もそこから来ていると思われるが、そんなステレオタイプが何だかあいまいなものだったということに気付かされた。

ここに出てくるホームズは、簡単に言えば変人だ。

R.ダウニー・ジュニアが演じる時点でそれは予想できたのかもしれない。でもこれが新鮮でおもしろい。

そして助手・ワトソン役のJ.ロウ

こちらも助手=一段下という関係ではまったくなく、変人ホームズと一般社会をつなぐ唯一の綱とも言える大きな存在になっている。社会的地位をしっかりと有している点では、むしろホームズより格上の感さえある。J.ロウの凛々しい外観がその思いを強くさせている。

劇中で展開される事件はそれほど目を引くものではないが、この2人の魅力が頭抜けていることもあってまったく飽きることなく楽しむことができた。いいシリーズになりそうだ。

R.マクアダムスは相変わらず美しい。峰不二子然とした役回りで活躍するが、残念ながら2人に比べるとやや力が劣る。次作以降に期待したい。

G.リッチーの作品は初めて観た。娯楽大作を作る印象がなかったが、極めて無難な出来映え。脚本や演出に彼の趣味が投影されているらしいが、本作ではそれがうまくハマったのだろう。

(75点)
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「フィリップ、きみを愛してる!」

2010年04月04日 06時13分36秒 | 映画(2010)
命まで懸けた愛の道化。


「ミルク」のS.ペンのときも感じたが、本作のJ.キャリーE.マクレガーもどう見てもゲイである。これは彼らの演技力もさることながら、見る側の先入観というのも大きいのだろうと思う。

この映画はゲイを扱っているものの、実は主人公がゲイである必然性はそれほど高くない。男女に置き換えても成り立ちそうな、言ってみれば純愛ドラマである。

類まれなる才能をひたすら愛情の表現に注ぎ込み続けた彼の人生は悲劇であり喜劇だ。

一般的には犯罪者であり、美化しているとも捕らえられかねない描写には疑問が残るが、何しろ話がドラマティックなのだから仕方がない。

とにかくエキセントリックな役だけにJ.キャリーが演じるのはまさに必然。頭脳明晰なエセCFOから余命僅かなエセ病人まで、振り幅の広さは完全に彼のフィールド。

容貌がちょっとすさんだようにも見えたけど、これは役柄を考えればアプローチなのかも。まずは健在ぶりを確認できたと言っていいだろう。

一方のE.マクレガーは完全な受け身。これはこれで難しいと思うが、「彼が二度愛したS」のときも巻き込まれ役だったし、こういうパターンでいくのかな。

(70点)
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「東のエデン劇場版Ⅱ Paradise Lost」

2010年04月01日 01時10分19秒 | 映画(2010)
わが国の深夜には相当のIQが埋もれている。


壮大なスケール感を有しながら、終わり方は意外とあっけない。

もちろんそう感じたのは、本当の意味で最後まで置いてけぼりだったからなのかもしれないが、このあっさりは嫌いではない。

特に気に入ったのは、国民のことを「1億人のエゴイスト」と言い切ったことである。

高度成長なんて夢が再び来るはずもない中で、誰もが常に少なからず満ち足りぬ思いを抱えている。

総理大臣なんてのは、そんな1億ものうっくつした不満をいかになだめるか、もしくは不満のはけ口になるかしか役割はない。

ここまで直接言ってはいなかった気はするが、作者の思惑とは当たらずとも遠からずといったところだと思う。

作品は、豊洲を聖地とするニートたちの存在を象徴として描く。

彼らは「滝沢、ぜってーつぶす」と壁に書き殴りながらも、滝沢の出現を心待ちにして日々の活動を始める。

ベクトルはどうあれ、滝沢は彼らを動かした。動くことは力であり、ここにMr.OUTSIDEの問いかけに対する一つの答えがある。

こういう考え、昼のお天道様の下ではなかなか考え付くまい。

ヒロインである咲の存在感の薄さがやや物足りなく感じたが、そこそこ楽しめる作品だった。

今の政権の迷走ぶりが国民全体の負のパワーを引き出すための芝居だとしたらとてつもない高等テクニックだが、まあそんなことはないだろう。

(70点)
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