上を下への大騒ぎ。
昨年のカンヌ映画祭パルムドール受賞作品である。
「逆転」という言葉は邦題のアレンジ。様々なヒエラルキーの下で暮らす人物の立ち位置がちょっとしたことでひっくり返る様子を、強烈な毒を盛って描いている。
物語は3部構成となっている。導入ともなる「カールとヤヤ」で描かれるのは、都会で流行の最先端を行くモデル業界である。
カールは駆け出しの男性モデル。端正な顔立ちと鍛えられた肉体を持つが、オーディションの審査員からは辛口の評価を受ける。何かが足りないのだ。
一方のヤヤは既にランウェイを闊歩する売れっ子。そんな二人は恋人関係にあるのだが、収入もステイタスも明らかに上にいるヤヤがレストランの会計を払おうとしなかったことにカールが苦言を呈したことから、もやもやバトルが始まる。
偶然ではあるが、最近ネット界隈でも「デート代は男性がおごるべき」というテーマが賑わいを見せている。議論を見ていると、おごるおごらないそれぞれ言い分があるのだが、間違いなく言えるのは、価値観が合わない場合はどちらか、あるいは双方が歩み寄りを見せないとクラッシュするしかないということである。
カールとヤヤに関してはヤヤが下りてきた。それは経済的な余裕もさることながら、彼女はカールのことが好きでたまらないという様子がうかがえる。ステイタスが上のヤヤが実はカールに振り回されている?この微妙な上下関係は後半にもつながってくる。
第2部は「ヨット」。SNSのインフルエンサーでもあるヤヤは、その影響力を期待されて豪華クルーズ船の旅に招待された(もちろんカール同伴)。クルーズ船の乗客といえば、それは全世界共通で金持ちの年寄りと相場は決まっている。
限られた空間には、乗客のほかに彼らをもてなす乗船クルー、表に姿も見せない機械工などのブルーワーカーたちが同居していた。
悪気のあるなしによらず経済的な優位性をひけらかしてしまうセレブ老人たちと、ビジネスに徹していつかはのし上がろうという意思を胸に秘めるクルーたち。その関係は木曜日のキャプテンズディナーの席で崩壊した。
おもしろいのは、この「キャプテン」が実はまったく機能していないという点である。クルーの中にも上下関係はあるのだが、キャプテンは自室に籠ってしまっており、実質のトップは接客リーダーのポーラである。ただ形式的には、セレブな客人と唯一対等に橋渡しができるクルーの最上位はキャプテンであるため、ディナーの日程を彼の意向に沿って決めなければならなかった。
ディナーは荒れ狂う低気圧の夜に開催され、時間を追うごとに体調を崩す客が続出。パニックになれば地位も何もあったものでではない。セレブたちは食べたものを「逆転」させ、大きく揺れる船室の床を転げまわった。
阿鼻叫喚の光景が展開された先に待っていたのは、軍隊に匹敵する攻撃力を備えた海賊(?)からの攻撃であった。
第3部は「島」。船は沈み、カールとヤヤを含む数人が孤島に打ち上げられた。文明の利器がない中で地位を決めるのは何か。それはサバイバル能力。船内ではトイレ掃除のスタッフに過ぎなかったアビゲイルだけがその力を持っていた。
船ではポーラの部下であったが、もはやそれは関係ない。もう船はない。食べ物が欲しいのなら、誰が新しいキャプテンか判断しろ。
新しい関係の中でも、高級腕時計をエサに優遇してもらおうとすり寄るセレブたち。そして極めつけは、権力を手にしたアビゲイルが手に入れようとした、あるモノであった。
人は、自分を上に置いて下の者を従えている状態に安心感を覚える。ただ、その状態というのは必然でも永遠でもなく、脆い砂上の楼閣に過ぎない。
「戻ったら私の付き人にしてあげる」。ヤヤが最後に言ったセリフと、そのすぐ後ろに迫っている光景が象徴していた。
人間の業とでも言おうか、醜い部分をとことんまでさらけ出した秀逸なコメディである。それにしても、キャプテンズディナーの地獄絵図はえげつなかった・・・。
(80点)
昨年のカンヌ映画祭パルムドール受賞作品である。
「逆転」という言葉は邦題のアレンジ。様々なヒエラルキーの下で暮らす人物の立ち位置がちょっとしたことでひっくり返る様子を、強烈な毒を盛って描いている。
物語は3部構成となっている。導入ともなる「カールとヤヤ」で描かれるのは、都会で流行の最先端を行くモデル業界である。
カールは駆け出しの男性モデル。端正な顔立ちと鍛えられた肉体を持つが、オーディションの審査員からは辛口の評価を受ける。何かが足りないのだ。
一方のヤヤは既にランウェイを闊歩する売れっ子。そんな二人は恋人関係にあるのだが、収入もステイタスも明らかに上にいるヤヤがレストランの会計を払おうとしなかったことにカールが苦言を呈したことから、もやもやバトルが始まる。
偶然ではあるが、最近ネット界隈でも「デート代は男性がおごるべき」というテーマが賑わいを見せている。議論を見ていると、おごるおごらないそれぞれ言い分があるのだが、間違いなく言えるのは、価値観が合わない場合はどちらか、あるいは双方が歩み寄りを見せないとクラッシュするしかないということである。
カールとヤヤに関してはヤヤが下りてきた。それは経済的な余裕もさることながら、彼女はカールのことが好きでたまらないという様子がうかがえる。ステイタスが上のヤヤが実はカールに振り回されている?この微妙な上下関係は後半にもつながってくる。
第2部は「ヨット」。SNSのインフルエンサーでもあるヤヤは、その影響力を期待されて豪華クルーズ船の旅に招待された(もちろんカール同伴)。クルーズ船の乗客といえば、それは全世界共通で金持ちの年寄りと相場は決まっている。
限られた空間には、乗客のほかに彼らをもてなす乗船クルー、表に姿も見せない機械工などのブルーワーカーたちが同居していた。
悪気のあるなしによらず経済的な優位性をひけらかしてしまうセレブ老人たちと、ビジネスに徹していつかはのし上がろうという意思を胸に秘めるクルーたち。その関係は木曜日のキャプテンズディナーの席で崩壊した。
おもしろいのは、この「キャプテン」が実はまったく機能していないという点である。クルーの中にも上下関係はあるのだが、キャプテンは自室に籠ってしまっており、実質のトップは接客リーダーのポーラである。ただ形式的には、セレブな客人と唯一対等に橋渡しができるクルーの最上位はキャプテンであるため、ディナーの日程を彼の意向に沿って決めなければならなかった。
ディナーは荒れ狂う低気圧の夜に開催され、時間を追うごとに体調を崩す客が続出。パニックになれば地位も何もあったものでではない。セレブたちは食べたものを「逆転」させ、大きく揺れる船室の床を転げまわった。
阿鼻叫喚の光景が展開された先に待っていたのは、軍隊に匹敵する攻撃力を備えた海賊(?)からの攻撃であった。
第3部は「島」。船は沈み、カールとヤヤを含む数人が孤島に打ち上げられた。文明の利器がない中で地位を決めるのは何か。それはサバイバル能力。船内ではトイレ掃除のスタッフに過ぎなかったアビゲイルだけがその力を持っていた。
船ではポーラの部下であったが、もはやそれは関係ない。もう船はない。食べ物が欲しいのなら、誰が新しいキャプテンか判断しろ。
新しい関係の中でも、高級腕時計をエサに優遇してもらおうとすり寄るセレブたち。そして極めつけは、権力を手にしたアビゲイルが手に入れようとした、あるモノであった。
人は、自分を上に置いて下の者を従えている状態に安心感を覚える。ただ、その状態というのは必然でも永遠でもなく、脆い砂上の楼閣に過ぎない。
「戻ったら私の付き人にしてあげる」。ヤヤが最後に言ったセリフと、そのすぐ後ろに迫っている光景が象徴していた。
人間の業とでも言おうか、醜い部分をとことんまでさらけ出した秀逸なコメディである。それにしても、キャプテンズディナーの地獄絵図はえげつなかった・・・。
(80点)