Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「オットーという男」

2023年03月21日 19時02分21秒 | 映画(2023)
当たりも外れも、ご近所ガチャ。


かつて2年連続でアカデミーの主演男優賞を獲得した名優・T.ハンクス

しかし、今年はそれぞれ別の作品でゴールデンラズベリー賞の主演男優と助演男優の両部門にノミネートされてしまう(助演男優賞は獲得)など、必ずしもその名声にふさわしい活躍ができているとは言い難い状況にある。

本作は2015年のスウェーデン映画のリメイクであり、T.ハンクスは製作者として名前を連ねている。

ハリウッドによる外国作品のリメイクといえば、かつてはジャパニーズホラーでも行われていたが、最近は「コーダ あいのうた」など感動モノの焼き直しが結構目に付く。

丁寧に見比べたことがないので適当だが、ハリウッドリメイクは画が垢抜ける一方で、設定や脚本が万人受けするよう修正されるという印象がある。

万人受けというところがミソで、平たく言えば「当たり障りのない」、悪く言えば「つまらない」「心に残らない」ということになりがちで、結論を言えば本作はまさに「良い話だけど・・・」な作品になっている。

早くに妻を失った初老の男性・オットーは、日々近所をパトロールしてはゴミ出しや車の駐車に文句をつけて近所の住人らとトラブルを起こす毎日を送っていた。

何も好きこのんでトラブルを起こしているわけではない。妻の存在なくして生きることに希望が見出せないオットーは、ついに自殺を試みる。しかしそんな時にヒスパニック系の家族が向かいに引っ越してきて、彼の運命に変化が訪れる。

展開のカギを握るのは、このヒスパニック一家の母であるマリソルである。彼女は、普通であれば一見で煙たく感じてしまいそうなオットーに対して、臆することなく、言い換えればずかずかと入り込んでいき、助けを求めたりお礼の品をあげたり、クラシカルなご近所付き合いをする。

はじめは彼女の攻勢を疎ましく思っていたオットーも、食べてみたごはんが美味しかったり、話をしてみればおもしろかったりという経験を経て、知らず知らずのうちに心を開いていくようになる。

便利になったはずなのに生きにくい現代。誰の力も借りずに物事の解決策にたどり着く手段ができた一方で、他者との関係が疎遠になり心の逃げ場がなくなっている。

良き隣人に巡り合えれば幸せなんだろうけど、困ったひとに関わってしまったらと思うと、いまのご時世、なかなか他人に踏み込んでいくのは難しいというのが正直なところ。

だからこそこの映画は「良い話」なのだが、一方で同時に抱く感想は「・・・」であった。

なんだろうと思い返すと、その原因は引き込まれることを躊躇させる脚本にあるのではと感じた。

3つ例を挙げよう。

まずはオットーと亡き妻との出会い。駅のホームで女性が本を落としたのを見かけて拾って届ける。なんか・・・昭和の中期というか、実際に画にすると更に違和感が際立つ場面である。

次に、マリソルが子供を作らなかったのかを直接オットーに問う場面。ずかずか入り込むにも常識の範囲があると思うのだが・・・。

そして、住んでいる区画を乗っ取ろうとする業者に対し、SNSのリポーターを使って悪事を白日の下に晒すことで追い払う場面。・・・そんな簡単にうまくいくか?

最後にめでたしめでたしとなれば、途中は雑・・・とは言わないまでも細かく作る必要はない、と見ているように感じられて、どうにも心を動かされなかったのである。

ひょっとすると、その辺りが上述のラジー賞ノミネートに結びついているのではないかと感じたのである。杞憂ならばいいけど。

マリソルの子供たちがかわいかったので加点。

(70点)
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「フェイブルマンズ」

2023年03月12日 10時16分43秒 | 映画(2023)
映画少年の青春。


舞台は1950年代。主人公のサミーは両親に連れられて行った映画館で「地上最大のショウ」を観て衝撃を受け、映画の世界にのめり込む。

人は様々で興味を持つものもまったく違う。同じ遺伝子を持っていたとしても親子が同じものにハマるとは限らない。だから親は、子供の隠れた可能性を引き出そうといろいろな体験をさせるのだ。

しかし関心を持ったとしても、よほどのことがない限りそれが生業に直結することはない。サミーの両親は映画に興味を持ったことを素直に喜ぶが、その一方で父は「趣味」はほどほどにするよう諭す。

子供にとっていちばんの人生の師は両親である。エンジニアとしての自信と誇りをもって、アリゾナ、カリフォルニアと転職を繰り返し、上昇志向を実践していく父に対し、母も密かに自分の思いを抱えていた。サミーは撮影した家族映画の編集のときにその思いに気づいてしまう。それは、当時高校生だった彼にとっては衝撃のできごとであった。

好きなことは楽しい。そんな個人の純粋な気持ちだったものが、家族や友人との関係が広く絡んでくることによって変化していく。それは映画に限らず男女の関係だって同じこと。誰もが人生で必ず突き当たる壁であり、そこで一定の妥協をもって割り切るのか、欲望を優先して突き進むのかの選択を迫られるのだ。

もちろんそこに100%の正解はない。どちらの選択を取ろうが一定の後悔が残る。特に自分の思いを優先して突き進んだ場合は、他者、特に自分に近い人たちに対して迷惑をかけてしまう。

進路に迷っていたサミーが、あるきっかけで名匠J.フォード監督と面会する機会を得る。映画を志していることを聞いたフォード監督はこう言う。「なぜ映画の世界に行きたいと思うのか。心がズタズタにされる商売だぞ」。中盤で登場した叔父も、芸術を生業にすることについて同じようなことを言っていた。

外の人は言う。好きなことを仕事にできて楽しいだろうね、うらやましい。しかし実際は決してそんなことはなく、むしろ好きという純粋な気持ちが汚され壊されていく非常にストレスフルな生き方なのかもしれないと思った。

ただ本当に好きな人はそれでも、いかに自分が傷つこうとも進んでいくのだろう。面会を終えて事務所から出てきたサミーの足取りはことのほか軽く、それは青春の通行儀礼を終えて晴れ晴れとした心の内を現したかのようであり印象的であった。

時代背景として印象に強かったのは人種問題である。白人と非白人、男性と女性の問題がクローズアップされることが多いが、ユダヤへの迫害が特にカリフォルニアのような大都市圏で露骨だったということを改めて知った。アリゾナでは誰とも仲良くできて、映画撮影では友人たちを率いていたサミーが一気にヒエラルキーの最下層に位置付けられてしまったのには驚いた。

S.スピルバーグ監督の自伝的作品と言われている本作。今だからこそ、当時の状況や気持ちを冷静に俯瞰して整理できたということなのだろう。生き方は違えど、70代を過ぎてそれなりに良い人生だったと言えるようになっていたいと思った。

(85点)
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「エブリシングエブリウェアオールアットワンス」

2023年03月11日 09時38分12秒 | 映画(2023)
家族は宇宙であり、すべてである。


週明けに発表される本年のアカデミー賞において、作品賞を含む数々の部門の戴冠にもっとも近い距離にあると言われているのが本作。賞レース常連のS.スピルバーグ監督作品等を差し置いての評判というのだからすごい。

しかし、事前に入ってくる情報のかぎり本作はアカデミーというよりは娯楽作品。しかもかなり変わった作りのようで、作品の内容もさることながら、いかにしてここまでの存在になったのかに俄然興味が湧いてきた。

主人公は、おそらく米国であろう、特に特徴のない街の一角でコインランドリーを営む中華系の女性・エヴリン。気は優しいが頼りない夫・ウェイモンドと、難しい年ごろに差し掛かった娘・ジョイ、そして年老いて体の自由が利かなくなっている実父・ゴンゴンと暮らしている。

家庭を顧みる余裕がないほど営業成績は綱渡りで、その日も税の申告の協議のため国税庁へ向かったエヴリン。建物に入り乗ったエレベータの中で突如異変が訪れる。

簡単にいうと、もはやMCUではお馴染みとなったマルチバース。ただ、この映画でのマルチバースは、ある人物が過去に対面した選択の、選ばなかった方の選択肢から伸びた人生という定義になっている。

ウェイモンドからのプロポーズを受けていなかったらという選択肢がいちばん大きいが、他にも生きている中でこのことをしていたら超一流になれていたかもしれないという「もしも」がいろいろ出てくる。

その中のある世界にいるエヴリンが天才的な頭脳を持っており、これらのマルチバースを行き来する術を編み出し、同じ世界にいたウェイモンドが、コインランドリーのエヴリンに助けを求めてきたというのがあらすじである。

これだけでもかなり荒唐無稽で、頭の中が複層的に整理されていないと飲み込むのも難しいのだが、その中でも巧いなと感じたのは、数多くいるエヴリンの中でなぜ特段の能力を持たないコインランドリーの彼女が救いの存在とされたのかであった。

助けを求めてきたウェイモンドが言う。「君は誰よりも多くの失敗をしてきた。だから強いんだ」。正確ではないと思うが大体こんなニュアンスである。

成功する者ははじめから天才なわけではない。多大な努力とちょっとした運不運が決めると言って過言ではない。ただそれも、その道を進もうとする選択をしないかぎりは、可能性はゼロである。

このマルチバースの世界では、失敗、つまり挑戦の数が多いほど成功した別の自分が存在するわけで、何度失敗しても諦めないことが尊く、コインランドリーのエヴリンがそれだけ強いということにつながるのである。

という作品のメッセージ的なものに関し、ここまでは褒め言葉であるが、実際はそれをはるかに上回るほどストーリーや映像がぶっ飛んでいて、作品の評価は極めて難しい。時々置いてけぼりにされるし、お下劣で寒いギャグ(っぽい場面)もふんだんに出てくるし、やはり「なぜこの作品がアカデミー最有力なんだ?」という疑問は全編を通してついて回る。

まあ結論としては、作品の勢いが猛烈であるとしか言いようがない。娯楽作であろうが芸術作品であろうが「なぜこの作品が?」は毎年出てくる疑問に違いなく、答えもまた同様である。

ただ、もともと賞レースは狙っていなかったのかもしれないが、非白人系を中心キャストに起用し、主要人物の重要な設定にLGBTQを絡めているところで、ツボをぬかりなく押さえているということは付け加えておきたい。

それにしてもK.ホイ・クァン、長らく俳優業はしていなかったというけど、いい感じに年齢を重ねました。これから活躍の場が増えそう。

(75点)
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