Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

今年の13館(2020)

2020年12月30日 23時41分00秒 | 映画(2020)
映画館が休業を余儀なくされ、新作の公開が次々に見送られるという、異例尽くしの年となった2020年。休業だけではなく、劇場公開を予定していた作品が配信に変更される事態も相次ぎ、映画館の存続が危ぶまれている。「鬼滅の刃」の空前の大ヒットで営業としては延命した感もあるが、この先果たして同じようにコンテンツの力で映画業界を再び盛り上がらせることができるのか。業界の力だけではままならない部分も多く先行きはまったく不透明である。
観た作品数は半減したものの、映画館の数としては昨年と同じ13を数えた。

TOHOシネマズ海老名(神奈川)12回

11回減となった昨年より更に10回減となった。特に1番スクリーンでの鑑賞が一度もなく、ことごとく大作の公開が見送られたことが記録として現れた形になった。

TOHOシネマズ日比谷(東京)2回

仕事帰りに行きやすい場所とはいえ、テレワークではどうしようもないし、夏以降は仕事に余裕がなかったことに加えて、観たい作品が上映されていなければ、これまたどうしようもない。

イオンシネマ名取(宮城)1回
TOHOシネマズ日本橋(東京)1回
TOHOシネマズ新宿(東京)1回
テアトル新宿(東京)1回
シネマカリテ(東京)1回
アップリンク渋谷(東京)1回
TOHOシネマズ川崎(神奈川)1回
イオンシネマ新百合ヶ丘(神奈川)1回
T-JOY横浜(神奈川)1回
イオンシネマ座間(神奈川)1回
イオンシネマ海老名(神奈川)1回

T-JOY横浜とイオンシネマ座間は今年オープンした映画館。特に前者は神奈川県初のドルビーシネマの対応スクリーンを有し、長い期間に渡って改修を行っていた横浜駅ビルの新装開業の目玉施設でもある。こんな状況の中での船出となったが、すべての映画館が今後も良質な作品を届けることができるように応援していくのが私たちの役割である。

どの業界も同様だけれど、来年の状況は新型コロナに対する世間の空気次第と言えよう。ワクチンの接種開始、東京五輪の開催・・・、長い一年の中で人々のマインドがどう修正されていくか。日常生活の一喜一憂がいかに正論からかけ離れているかに気付けなければ、来年は今年よりも更に作品本数や映画館数が減るかもしれない。
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今年の24作(1位→24位)

2020年12月28日 21時39分54秒 | 映画(2020)
昨年のほぼ半分である。それでもまだマシなのかもしれない。何しろ映画館自体が閉じていた時期があったのだから。

営業が再開しても感染状況がより深刻な米国からは新作が届かず、劇場公開を断念してネット配信のみの対応に変更する作品も現れた。こうなると映画館というビジネスモデルの存続の危機である。

しかし日本映画はがんばった。「鬼滅の刃」は空前の社会現象を呼び起こし、年が変わる前ぎりぎりのタイミングでこれまでの興行収入記録を保持していた「千と千尋の神隠し」(317億円)を抜き去った。

騒動が収まって、今の狂った世界を冷静に見つめ直すことができる日々が来ることを信じている。そしてそれができるのが映画の力だ。

1.「レイニーデイインニューヨーク」(7月5日)

今年は最高点が上位5作品の90点。突き抜ける作品がなく、どれを1位にするか迷った。その中でコロナ禍以前の、戻りたい世界を象徴するような作品だった本作を思い切ってピックアップした。ひょっとしたら元に戻らないのかもしれないという不安は、W.アレン監督の新作を観られる日が来るのか?という心情とも重なる。少なくともオールスターが喜んで出演希望するという構図は想像できない。

2.「パラサイト 半地下の家族」(1月12日)

新型コロナの脅威の前にやや霞んでしまっているが、今年の韓国エンターテインメントは歴史的な偉業を次々と成し遂げた。本来であれば、本欄でもこの作品が年間No.1を取っているところ。ポン・ジュノ監督の栄光の陰で奇才キム・ギドク監督は早過ぎる死去。

3.「青くて痛くて脆い」(9月4日)

ハリウッド産の新作が軒並み公開延期される中で、必然的に日本映画の鑑賞本数が増えた今年。予告からおもしろそうと思っていた本作がかなりの拾い物。テレビをあまり見ないので知らなかった吉沢亮を初めて認知。透き通るような瞳でみっともなさ全開男子を演じるギャップで強く印象に残った。来年の大河ドラマも見てみようと思います。

4.「ストーリーオブマイライフ/わたしの若草物語」(6月20日)

これまた今更ながら「若草物語」の話を初めて認知。個性の強い四姉妹を新進の女優たちが熱演し、アカデミー賞レースを盛り上げた。

5.「クレヨンしんちゃん 激突!ラクガキングダムとほぼ四人の勇者」(9月13日)

毎年GWに名探偵コナンと同時期公開となるクレしんシリーズ。今年はコナンが早々に封切りを1年延期にした一方で、クレしんは早期の公開を決断。「鬼滅の刃」まではともかく、映画館へ人を取り戻す一助になったのではないか。「ラブライブ!」等を手掛けた京極尚彦氏を監督に招へいするなど製作側の意欲と熱意が伝わってきた。

6.「星の子」(10月11日)

芦田愛菜の現在地を知るという意味でぴったりの映画だったと思う。主人公のちひろが直面する問題は、多感な年代の少女にとっては相当に重い。親子の愛情、周りからの視線、慕っていた人からの心をえぐる言葉。無数の異なる正しさが併存する中で、どう立ち回ることがより良いのか常に自分に問いかける。

7.「ジョジョラビット」(1月17日)

ヒトラーが登場する映画は数多くある。優秀な作品も多いからハードルは上がる。ひと味違うのは、本作に登場するヒトラーは主人公の少年の妄想の話し相手だということ。戦争に振り回されながら幼いなりに成長するジョジョの姿を、悲惨な粗筋と妄想等のコミカルな要素を織り交ぜて独特の風味に仕立て上げた佳作。

8.「ラストレター」(1月23日)

宮城県出身の岩井俊二が初めて故郷を描いたらしい。賛否両論あるが人を引き付ける輝きを持っている広瀬すず森七菜というミューズを迎えて華麗に舞わせる一方で、中心は松たか子でしっかり締める。満足です。

9.「私をくいとめて」(12月18日)

少しずつではあるが、新しい出会いと演じる役の広がりを確実に感じる。アラサーののんは、思った以上にハマっていた。「君は天然色」はやっぱり珠玉の名曲だ。

10.「鬼滅の刃 無限列車編」(11月23日)

歴史は変わった。そして更に作られていく。

11.「デッドドントダイ」(6月6日)

J.ジャームッシュ監督がゾンビを撮った。希望がほとんどない世界を描いているのに、切迫感よりも微妙な間延びを感じるところがご愛嬌。ゾンビでもウィルスでも、生身の人間が打ち克つのは難しそうだ。

12.「CURED キュアード」(5月30日)

新型コロナの営業停止明けの初鑑賞に敢えて選んでみた。ウィルスの混乱が社会の分断を引き起こす点では、数年前の製作とは思えないほどよくできていた。来年、世界は更に混沌の霧の中へ突き進むのだろうか。

13.「星屑の町」(2月23日)

イオンシネマ名取で行われた舞台挨拶付きの上映に当選。結局あのとき行ったのが現在のところ最後の仙台訪問になっている。1週間後ろだったら舞台挨拶は中止になっていただろう。銀幕に戻ってきたのんを間近で観られて、それだけでもかなりの満足。

14.「1917 命をかけた伝令」(3月1日)

当初アカデミー賞作品賞の本命と目されていた、実話風・ワンカット風の戦争映画。見せ方が巧く画面に引き込まれるが、技術的に長けている「風」の部分で評価としては損したのかもしれない。

15.「マリッジストーリー」(1月19日)

現代版「クレイマー、クレイマー」はネット配信作品としてオスカー候補に。お互い良い点も悪い点もあることは知っている。愛情がなくなったわけじゃない。でも、向き合って話すとやっぱりうまくいかないと悟るところはとても切ない。

16.「ミッドサマー」(3月12日)

白日の下、北欧の悪夢。新型コロナの影響で映画館が閉じる直前に観た作品がこれというのも何とも・・・。おもしろいのと好き嫌いはまったく別の話で、嫌いではないけど後味は良くない。友人のフリして標的を探している人が近くにいないことを願います。

17.「ミッドウェイ」(10月3日)

日本人役者が大勢出演してがんばっていた。R.エメリッヒ監督も丁寧に作っていたと思うが、これまでに作られた太平洋戦争の映画とは違う、本作だけが訴えるものがあるとは感じられなかった。

18.「2分の1の魔法」(8月28日)

ピクサーは今年もシリーズものではない新作を切ってきたが、主人公含めみんなどこかで見たようなキャラクターという感じで、いい話なんだけど作品として際立つものが欠けていた気がする。便利な道具が次々に発明されたことで魔法の技術が衰退したという設定は非常にユニークで良かったが。

19.「イントゥザスカイ 気球で未来を変えたふたり」(2月1日)

少し古い話をF.ジョーンズE.レッドメインの再タッグにより映画化。男性のホーキンス博士が主役だったものが女性のアメリアになり舞台は大空へ。設定としては文句のつけようがない。

20.「TENET テネット」(9月20日)

北米市場で数か月ぶりに大規模公開された期待のブロックバスター作品。しかし、C.ノーラン監督の頭脳に観る側が付いていくことはできず、大作の公開はしばらく時間を置かざるを得ないことになる。逆回転はおもしろいけど、順行組と対決するとなると頭の中がパニックになってしまう。

21.「透明人間」(7月11日)

予告では誰もいないはずの闇に人の気配がする描写が期待感を抱かせたが、この手の映画は犯人の正体や謎の真相が明らかになることでわくわく感は消滅する。全般的に娯楽作品ながら、妹が犠牲になる場面は後々まで印象悪く尾を引く。

22.「リチャードジュエル」(2月11日)

アトランタ五輪はそれほど昔に感じないのだが、実際には四半世紀も前の話になる。でも、何か良からぬことが起きると犯人探しが始まるのは変わらない。というより今の方が酷くなっている。適当な犯人をでっちあげるのに躍起になって本質からは大きく逸れていく。大問題でしょう。

23.「ナイブズアウト 名探偵と刃の館の秘密」(2月1日)

豪華俳優陣の競演、本格的推理ドラマと、魅力が満載なように見えるのに、どこか垢抜けない、ぱっとしないのはなんでだろう。D.クレイグとしてはポストボンドを模索する時期だけど、あちらはあちらで公開延期だし、もう少し時間がかかるかな。

24.「ワンダーウーマン1984」(12月27日)

最下位にするほど酷い作品というわけではないが、コロナ禍の世の中にフィットする作品ではなかったように思う。すっきりしたいんだけど、もう少し作り込んでくれないと共有できない。
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「ワンダーウーマン1984」

2020年12月27日 19時47分07秒 | 映画(2020)
35年の時代ギャップよりも深い2020年の社会ギャップ。


今年10月に亡くなったEddie Van Halen。彼のバンドVan Halen最大のヒット"JUMP"が収録されているアルバムのタイトルが"1984"である。もう36年も前、Eddieはまだ20代だった。

第一次世界大戦を舞台にしていた前作の「ワンダーウーマン」から80年の時間が流れた。

ワンダーウーマンことダイアナは人間でないので見かけはまったく変わらない。失くしたた恋人・スティーヴの思い出を背負いつつ、スミソニアン博物館に博士として勤務していた。

ある日、テレビで有名な実業家のマックスが博物館を訪問してきた。彼は博物館へ巨額の寄付をすると申し出るが、傍らで視線を寄せていたのは、最近強盗未遂で押収されて博物館で分析にかけられていた謎の石であった。

その石は、手を当てた人の願いを一つ叶えてくれるという、神にも似た不思議な力を宿していた。どこで知識を得たのか分からないが、マックスの狙いはそこにあった。ダイアナの同僚・バーバラをたぶらかして石を手に入れたマックスが石に託した願いは、「自分自身が石そのものになること」であった。

鑑賞後に隣の客が「ドラえもんみたいな話だったな」と話していたが、確かにそんな感じだ。願いを聞く代わりに大事なものを失うことになるという、教訓めいた設定もそんな感じ。

しかしよく分からないのは、何故1984年の設定なのかということ。80年代の文化や社会風景が次々に登場するようでもないし、強いて理由を考えれば、現代のSNS社会ならマックスの野望である世界と繋がることが瞬時にできてしまって話が広がらなくなる不都合があったということくらいか。

マックスは世界中の人々の願いをかなえる代償として強大な権力を身にまとっていく。一方で、願いがかなった人々は大切なはずであった日常の何でもない幸せを手放してしまい、その先に待っていたのは果てしない混沌。石は所有した者たちを社会ごと滅ぼす悪魔の石だったのだ。

まあ構成としてはそれなりにできているとは思うが、いかんせん現実の世界が果てしない混沌に陥っている中で、単純で極端な設定の脚本がどうしても刺さってこないのが正直なところであった。

具体例を挙げると、人々の願いとして、移民排斥、核開発の勝利、有名になりたい、お金がたくさん欲しい、といったものが出てくるのだが、平面的というかステレオタイプというか・・・。この時点で映画全体の次元が硬直してしまった。それこそ30年以上前にドラえもんから教わった世界を超えるものではない。

楽しみを奪われた時間を取り戻すためにも、娯楽映画ですっきりしたいという気持ちはあるのだけれど素直に楽しめなかったのは、DCの作りが拙いのか自分の心に問題があるのか。

ただ、まだ先が見えない状況の中で年内の劇場公開を決定したワーナーの姿勢には、心から敬意を表したい。

(65点)
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「私をくいとめて」

2020年12月19日 00時15分10秒 | 映画(2020)
わたしのビルトインスタビライザー。


菅総理が8人で会食をしたことで非難を浴びている。この時期に会食したことをそのまま首相動向に載せてしまうのも大概だが、政治家というのは非を認めたら死んでしまう生き物らしく、自身も周りもフォローにならない絶望的な物言いで世の中のストレスを増幅させている。

新型コロナ騒動でただでさえ大変な状況下でのこの一撃。飲食店とそのお客さんに対する世間の目はますます厳しくなるかもしれない。

そんな飲食店がこの一年力を入れてきたことと言えば、テイクアウトの強化とパーテーションの設置だ。

お店が歓迎するのは、感染の心配が少なく長居もしない一名でのお客様。おひとりさまが外食産業全体の命運を握っている。おひとりさまの時代が来たと言ってもいい。

ただ、おひとりさまというのは、少し前までは比較的肩身が狭いものだった。いや今でも、キャラクター的に気後れを感じてしまう人がおひとりさまになっているケースは多い気がする。

本作の主人公は31歳のOL・みつ子。男女を問わず交友関係は少なく、変化のない日常の中で唯一と言っていい楽しみは土曜日のお出かけくらい。

でも彼女は決して寂しさを感じない。それは常に頭の中に自分の分身の「A」がいるからだ。

みつ子にとって「A」は、現実世界との折り合いを付けるための装置である。空白の時間を埋める話し相手になってくれて、どんな些細なことにも的確なアドバイスを与えてくれる。

ただ、みつ子の感情が急速に沸き上がり歯止めが利かなくなると「A」は出てこなくなる。当然である。「A」は冷静な判断ができなくなっている自分なのだから。

愛のない男性と関係を持とうとしたとき。温泉施設で迷惑行為を受けている女性芸人を見たとき。飛行機の中でどうしようもない恐怖に襲われたとき。そして、好きな男性を前にしてどうして良いか分からなくなったとき。

アラサーとはいえ、みつ子は経験が少ない。そして何も手を出さずに諦めるにはまだ早い。分からないことに対して「A」は役立たずである。必要なのは、勇気を持って突き進むことである。

進んだ先に必ずしもバラ色の人生が待っているわけではない。次の分からないことが出てくるだけかもしれない。結婚してローマへ行った親友の皐月もまだ迷いの中にいた。

「私をくいとめて」。「くいとめて」という表現は日常ではまず使うことのない非情の叫びである。

幸せになりたい。ストレスなく生きたい。変化のない日常を生きることは一つの解答のように見えるのに、何故か感情が邪魔をする。一体何が正しいのか。

実際の年齢は27歳ののん。でも四捨五入すれば30だし、違和感なくこの役を演じられるようになっていることに新鮮な驚きを感じた。

充実したおひとりさまライフを過ごす力が抜けた表情も、溢れ出る感情を露わにする場面も、いずれも映画館の大画面でこそ、よりその輝きが際立つ。これからも様々なタイプの役を演じる姿を見たいと改めて思った。

異例尽くしの2020年ももうすぐ終わる。好むと好まざるに拘らず、世界は人との接触を断つ方向へ動いた。否応なしに自分を見つめる時間ができて、人々はどう感じたのだろうか。

改めて他人と繋がる大切さを実感した人もいれば、必要ではなかったしがらみから解放されて充実を味わっている人もいるかもしれない。

ただ言えるのは、分からないことが一つ分かったということ。このことを踏まえて次の一歩を踏み出す。結局これしかない。

あ、くれぐれも他者への強要は厳禁で。

(80点)
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「鬼滅の刃 無限列車編」

2020年11月23日 21時04分24秒 | 映画(2020)
日本映画史の新たな1ページ。


この特別な2020年という年に生まれた伝説。

社会現象と化し、既に世の中にありとあらゆるコメントがあふれる中で、ひとかじりの知識さえ持たない者が何を言っても野暮というもの。

ただこれだけは言える。報道などで見聞きする情報しかない状態で観に行ったにも拘らず、映画の世界に没頭することができたのは、作り手の極めて高い技量によるものに違いない。

がまんの年末年始は、子供が持っているコミックスを読破するか、CSで集中放映されるアニメを観るかになりそうである。

(80点)
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「星の子」

2020年10月11日 14時28分18秒 | 映画(2020)
無数の星たちと共生する世界。


石原さとみが結婚を発表した。「お相手は同年代の一般男性」などと報じられているが、寄せられるコメントには「学会」の文字が登場する。

政治と宗教の話はタブーだとよく言われる。それは、もし対立が生じたら人間関係に致命的な傷を負わせかねない神経質なジャンルだからにほかならない。

しかしわが国は思想の自由も宗教の自由も保証されているはず。何故堂々と自分の考えを口外してはいけないのかと思うが、そう単純に行かないのが世の中の難しいところである。

自宅からそう遠くないところにエホバの証人の日本支部があるが、結構な頻度で集会を開催しており、その度に広大な駐車場が満杯になっている光景を見かける。Wikipediaによれば国内の信者数は20万人を超える。気付かないだけで意外と身近にも信者がいるのかもしれない。

本作は、新興宗教を熱心に信仰する両親を持った中学生の物語である。

未熟児で産まれたちひろは、その後も高熱や湿疹など容体の安定しない状況が続く。悩みに悩んだ両親に救いの手を差し伸べたのは、宗教団体「ひかりの星」を信仰する父の会社の同僚だった。

同僚が勧めた「魔法の水」を使用してからちひろの容体は目に見えて改善する。因果関係は分からない。しかし両親にとっては結果こそすべて。それ以上何も必要はなかった。

世間的には新興宗教は怪しいものとレッテルを貼られがちであるが、何も考えずに入信する者はいない。オウム真理教事件のときも、高学歴の人間の方がのめり込んでいたのが印象的であった。何かを信じるのは、人それぞれに異なる理由と背景があるのだ。

しかし、ちひろのストーリーが周囲の人たちに理解されることはなかった。対立した叔父とは疎遠になり、姉は家を出て行ってしまった。

客観的には叔父たちが心配するのは当然である。明確な説明はされないが、ちひろの成長に伴って自宅がみすぼらしくなっていく一方で、狭い居間に豪華な仏壇が飾られているのだ。

両親のちひろに対する愛情が深かったが故に生じてしまった事態。それが痛いほどに分かるから切なくて悲しい。

ただ本作はそこで安易な新興宗教害悪論には持っていかない。やっていることは怪しいこと極まりないのだが、そこに普通の人たちが集い、交流を通して安寧を得ている様子が描かれる。

同年代の子供たちも多く参加していて、そこで知り合った友達もいる。生まれたころから宗教の中で生きてきた彼女たちにとって、それは極めて自然なことなのだ。

また、ちひろには宗教の外の世界にも友達がいる。これもまた当然ではあるのだが、大人はどうしても色眼鏡をかけて物事を見る傾向があり、それが終盤に事件となってちひろを襲う。

心ない大人の言葉に傷ついたちひろを癒やしたのは、クラスメートの親友とその彼氏だった。これまでイケメンしか好きにならなかったちひろが「彼と別れたら私が結婚してもいいよ」と言ったのが印象に残った。

宗教は一人の人間を構成する一つのピースに過ぎないが、おそらくこの先もちひろの人生を翻弄することになるだろう。終盤で泊りがけの集会に参加した親娘が宿舎を抜け出て3人で流れ星を探す場面は、不確かな未来と家族の絆を象徴する場面となっている。

主演の芦田愛菜はさすがの存在感。この年代としての揺れる心と強い決意の両方を説得力を持って演じられるのは、やはり彼女を置いてほかにいないであろう。

岡田将生は爽やかに見えつつのギャップの怖さがハマっていたし、「ひかりの星」の幹部を演じた黒木華高良健吾も他に誰が演じるか浮かばないくらいの適役だった。

(85点)
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「ミッドウェイ」

2020年10月03日 15時29分45秒 | 映画(2020)
かつての戦争にはヒーローがいた。


ディザスタームービーの巨匠、R.エメリッヒ監督が突然太平洋戦争の映画を作った。

「もうひとりのシェイクスピア」の時ほどの衝撃ではなかったが、宇宙やら災害やらフィクションに振り切ったものを得意とする印象があるだけに、過去の戦争をどのように描くのかに興味が湧いた。もちろんわが国がどのように扱われるのかも。

真珠湾攻撃から破竹の勢いえ進撃を続けてきた大日本帝国軍が初めて米国軍に敗退を喫し、その後の敗戦への転機となったとも言われるミッドウェー海戦。大昔にも三船敏郎が出演した同名作品があるが、それは未見である。

事前の評判では日米双方の人物を掘り下げてバランス良く描いたとのことであった。キャストに豊川悦司浅野忠信国村隼といった日本の著名俳優を配置した辺りにも配慮が見られている。

ただ、中身は良くも悪くもエメリッヒ作品の延長線といったところか。真珠湾攻撃の場面は、いきなり攻撃してきた「インデペンデンスデイ」の宇宙人が日本人に置き換わったように見えたし、勇敢な主人公の活躍によって米国が救われるのも同じ系統であった。

米国人ヒーローをきっちり描く傍らで、少しテイストが違ったのは、前述のとおり敵であるはずの日本の軍人の心情も描いていた点である。

山本五十六は冒頭に戦争は誰も望んではいないということを口外していたし、敗軍の将となった南雲中将や山口少将の誇りを持った最期には一定のリスペクトを見ることができる。意地悪く見れば、勧善懲悪が崩れて作品としてカタルシスを感じる妨げになったかもしれないが。

戦闘場面の迫力はさすがに手慣れたものである。画面いっぱいに光線のような弾丸が飛び交い、昔の戦争は決死であることがひしひしと伝わってきた。

それでも主人公は当然撃墜されず。最後に登場人物のその後が紹介されるので事実に基づいてはいるのだろうけれど、演出はあったのだろう。これもエメリッヒ流ということで。

いずれにせよ、アナログ時代の肉弾戦は大変だった。いまはドローンで攻撃したり、手を汚さずに国を窮地に追い込むことができるからね。・・・って、どっちの時代の方が怖いんだ?

(75点)
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「TENET テネット」

2020年10月03日 14時32分34秒 | 映画(2020)
ノリ突っ込めない映画でも、雰囲気を楽しめるからいいだろう。


時間が逆行するらしい。複雑でよく分からないらしい。

難解なC.ノーラン監督作品の中でも最上級に難しいという評判から、観る前から理解するのは早々に諦めていた。

かといって興味がないわけではないので、分からなかったとしても何かしら得るものがあるようにということで、オープンして間もない横浜駅のドルビーシネマで観ることにした。

前日からひと席おきの販売規制を解除したばかりのT-JOYはほぼ満席。映画鑑賞の習慣が戻ってきたことを実感した。

映画に話を戻すと、時間が逆行すると言って思い出すのは、「ベンジャミンバトン 数奇な人生」「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」の2本である。

しかしこの2作品は、いずれも時間を遡る過程における1日の流れは0時から24時へと順行しており、逆行する者と普通の人間がそのまま触れ合えるのに対して、本作はどの瞬間もすべて逆行しているという・・・。この時点でもう袋小路に入り込んでしまいそうになる。

映画を観ている途中に熟考する時間はなく、(未来からやって来た)逆行人間と争っている絵を見て、「訳分からないけどなんかすごいぞ」の力技で押し切られた感じ。おそらくそれが正しい楽しみ方なのかもしれないが。

面白かったのかどうかすら判断がつかないレベルではあるが、他の誰にも作れない作品であることは間違いない。

逆行する時間の見せ方は、話が複雑なのと対照的にエンタメに振れている。

最新の映画なのに順行と逆行を行き来するアイテムがレトロっぽい回転ドアと妙に分かりやすかったり、理由はまったく分からないが、普通に呼吸ができないとか、熱い冷たいの感覚が逆になるとかの細かい設定は限りなく映画的なので、世界観を味わうことは問題ないのである。

「考えるな、感じろ」ということで、観た後も面倒なのであまり考えていないのだが、タイムパラドックスは満載なんだろうなと漠然と感じている。

それくらいでいいでしょう。あ、感じると言えば、今回R.パティンソンってかっこ良かったんだと思った。新バットマン、期待できるかも。

(70点)
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「クレヨンしんちゃん 激突!ラクガキングダムとほぼ四人の勇者」

2020年09月13日 12時51分57秒 | 映画(2020)
ヒーローは現れるものではない。


「クレしん」の劇場版は当たり外れの差が結構激しい。しかし今回は予告映像から期待度は高かった。

上空遥か高くに浮かぶ王国・ラクガキングダムは、地球の子供たちが描く落書きの自由な心をエネルギーとして生き永らえてきた。しかし近年、子供たちは落書きをしなくなり、王国の運命は危機に晒される。

王国の防衛大臣は春日部へ実行部隊を派遣し、子供に落書きをするよう強制する。抵抗する大人たちは排除され、奴隷のように働かされる子供たち。すくいのヒーローは現れるのか。

「クレしん」の根底に共通して流れるテーマは家族や仲間の絆や愛情である。これまで父・ひろし、妹のひまわり、園児仲間のカスカベ防衛隊、飼い犬のシロと、様々な登場人物がフィーチャーされてきたが、今回重要キャラとして前面に出てきたのは、しんのすけの落書きから生まれたキャラ・ぶりぶりざえもんであった。

「すくいのヒーロー」という設定でありながら、基本何もしない。むしろ足を引っ張るばかりで、テレビ放送で出てくるときの話はあまりおもしろくない(個人的感想)というおまけつき。この扱いの難しいキャラクターをどう生かすのかは見どころであった。

本作が出した答えはシンプルかつ的確であった。タイトルにある勇者たちは、ぶりぶりざえもんのそもそもの登場と同様に、しんのすけの落書きから誕生する。それはしんのすけの最大の長所である自由な心を投影して様々な活躍を見せる。もちろん、ぶりぶりざえもんは基本何もしない。基礎となる設定を崩すことなくまとめ上げた手腕に敬意を表したい。

勧善懲悪に話をまとめない点も、最近のパターンとしてよく見るが、本作は特にバランスが優れていると感じた。行き過ぎた行動をとった防衛大臣の反省と赦しが描かれる一方で、他人を持ち上げておいてすぐに手の平を返す普通の人たちが持つ理不尽さを一刺しする場面もあり、いずれも自然な流れとして映画に溶け込んでいるところが素晴らしい。

また、今回、相模湖で出会った少年・ユウマ以外のキャラクターに明確な名前が存在しなかったことにも注目したい。ラクガキングダムの人たちはキングであり、防衛大臣であり、宮廷画家と呼ばれた。これは、彼らの行動は個性によるものというよりは、立場から生じたものであり、人は場合によっては誰もが加害者にも被害者にもなるということを表したのかもしれないと思った。

ほかにも、そもそも何故落書きなのか、防衛大臣はどうすべきだったのか等、憶測レベルの推測や議論が発展しそうな設定に溢れていた。今回も、オトナにとっても十分見応えのある映画の名に違わぬ出来映えと呼んでいい。

細かい点になるが、毎度おなじみ一発屋・バラエティ芸人によるゲスト声優枠のりんごちゃん。武田鉄矢や大友康平の声に替わって子供をしごく場面は見事にハマっていた。これまでのゲスト声優で最も必然性のある配役だったかもしれない。

(90点)
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「青くて痛くて脆い」

2020年09月05日 11時15分00秒 | 映画(2020)
そこから近付く覚悟はあるか。


新型コロナウイルス感染症で世の中にすっかり浸透したソーシャルディスタンス<社会的距離>。コロナ禍では主に感染予防として適切な距離のことを言うが、広義には、人には関係性からの適切な距離感があってそれを保つべきという理念を指す。のだと思う。

「君の膵臓をたべたい」の住野よる氏原作の小説を映画化した本作。主人公の楓は「他人に近づかないこと」「誰かの意見に反する意見を口にしないこと」を守ってきた、まさにソーシャルディスタンスの申し子と言える存在だ。

そんな彼が入ったばかりの大学の講義で目にしたのが秋好という女子である。秋好は講義の最中に突然手を挙げて「みんなが力を合わせれば戦争は絶対になくなるはずなのに、なぜそうならないのか」といった場違いな質問をして教室中の失笑を買う。

青くて、痛くて、自分とは正反対の人物。しかし、教室で目が合ったことがきっかけなのか、何故か秋好が楓に声をかけてくる。「ひとりなら一緒にお昼食べようよ」。

それをきっかけに彼女と行動を共にするようになった楓。二人は「世界を変える」サークル「モアイ」を設立し、小規模な社会福祉活動を始める。

作者の住野氏は「「膵臓」で感動してくれた人の心を本作で塗り替えたい」と語ったと言う。

両作の主人公の男女の性格と出逢いの設定は非常によく重なる。他人を寄せつけない陰キャラ男子と、他人の領域へ躊躇なく入り込むおせっかい女子。見た目がかわいいからと拒絶しないでいたら、いつの間にか彼女の世界に取り込まれていたというところまでは完全に一致する。

実を言うと、これは完全に男子の理想である。何の取り得もない自分にかわいい子が近づいてくる。女子で言う「白馬に乗った王子さまが迎えに来る」と同義であり、「住野よる」って名前だけじゃ性別分からないけど、この話の筋からみると絶対男性だよなと思ったらやはりそうだった。

本作が「膵臓」と違うのはここからだ。3年経って、大学4年の楓。彼は「モアイ」を既に脱会していた。傍に秋好もいない。彼は友人に言う。「モアイ」は変わってしまった。理想の「モアイ」と彼女を奪った仕返しに、今の「モアイ」を潰すと。

ただでさえ先が読めないストーリーに「膵臓」の残影が重なり、思いがけない展開がもたらす効果は倍以上と言っていい。中盤に「モアイ」のリーダーが画面に登場した場面は、(予想は十分可能だったかもしれないが)「こう来なくちゃ」と手を打った。

後半は楓の復讐心が暴走を始める。演じた吉沢亮は「人に嫌われる役」を意識して演じたと言う。「青い」というより「どす黒い」楓だが、何故か男子としては彼にとてもシンパシーを抱くのである。

初めて目にした秋好はとても「痛い」ヤツだった。自分とは合わないし、なんて愚かなのだろうとさえ思っていた。上から見ていた。・・・はずなのに。

いつの間にか彼女は輝く舞台の上にいて、自分は取り残されて。どうしてこうなった?彼女は体よく自分を利用した?

「痛い」彼女を好きになってしまったことを認めたくなくて、自分が被害者である図式を作り上げる。「誰かに反する意見を口にしない」、他人を傷つけることは必ず自分に返ってくることだとしていた自分の殻は脆くも崩れ去った。

若い日の恋愛はみっともないもの。時には傷つかないと前には進めない。それが分かるから、たとえ「気持ち悪い」行動をとったとしても共感する。「もう一度ちゃんと傷つけ」という最後の言葉が染みる。

「痛い」から昇り詰めていく秋好も難しい役だったと思うが、杉咲花の演技は説得力があった。天真爛漫さ残酷さを併せ持つ底知れぬ怖さは、うぶな男子はきっと恐怖におののく、楓よりもある意味危険な役だったかもしれない。

この生傷がじんじんと痛む感覚はアニメだと印象が薄まっただろうと思うだけに、主役の二人の熱演に敬意を表したい。

(90点)
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