Con Gas, Sin Hielo

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「この世界の片隅に」

2016年11月19日 16時00分07秒 | 映画(2016)
文句を言う暇があったら自分ができることをしよう。


学校で習う戦争は、歴史という大きな物語の一部として扱われる。偉い人が率いる国や地域が対立し、その溝が埋められないくらい深まったときに必然的に争いが起きる。

でも、大多数のありふれた日常を暮らす人たちには、その争いは必然でも何でもなく、降って湧いた災厄としか言いようがないものである。

戦前の広島。宇品や草津は今も港として栄えているが、昭和の初期は瀬戸内独特の干満差を利用した漁業が盛んに行われていたようだ。

主人公のすずは、穏やかな気候とゆっくり流れる時間に寄り添うかのようにのんびりとした性格の女性であった。

決して出過ぎず、かといって引っ込み過ぎず。日々与えられた営みを全うする生活を続ける。世が世ならばそのまま一生を終えることであったろう。もちろん不満などなく。

少し年齢を重ねたすずに変化が訪れる。一人の男性に見初められて呉へ嫁ぐことになったのだ。

呉と言えば造船。この時代は軍港。高台の新しい家からは多くの戦艦の雄姿を見ることができた。誇らしげな港の風景は、裏を返せば戦時における格好の標的。真っ先に日常を戦争が覆い尽くす地域であった。

それでもはじめは、いきなり嫁いだ見ず知らずの土地で奮闘するすずの姿が時にコミカルに描かれる。のんびりでおっとりだけど、何もできないわけじゃない。工夫して努力して料理や裁縫や近所付き合いを地道に続ける姿に、日本人女性らしい芯の強さを垣間見た気がした。

大正時代の名残りを残したハイカラな街の風景はいつの間にか消え去り、ぜいたくは敵の時代が訪れていた。不便を強いられる中で、すずは相変わらず文句一つ言うことなく日常を生き抜く努力を続けた。

「お国のために」進んで努力するわけでもない。目の前の環境がそうなっている以上は、それを受け入れて暮らすしかないのだ。

義姉が言う。「自分はやりたいことをしてきてこうなったから仕方ないと思えるけど、あんたはかわいそう」。

すずと義姉は対照的な性格だが、話が進むにつれて非常に印象深い関係を築くことになる。普通であれば交わることのない二人が戦争をきっかけに同じ屋根の下で暮らし密接に影響し合うようになる。

それは一面から見れば戦争の不条理であるが、紆余曲折の末に異なる次元へ昇華する二人の関係は隠れた人間の強さと深みと可能性を見せてくれる。

戦争が引き裂いた日常の傷は限りなく深い。自分だったらこの悲しさ苦しさに耐えられるだろうかと思えば正直自信がない。それでもみんな少しずつ歩みを進める。

本作は戦争を素材にしているものの、決して単純に反戦を訴える類の映画ではない。

もちろん戦争は愚かしいことである。それはおそらく全世界の人がそう思っている。それを改めて声高に叫ぶのではなく、登場人物の目の高さに視点を固定して日常生活を丁寧に紡ぐことで、時代を覆った空気全体を伝えることに成功している。あとは観た側がそれぞれに感想を持てばよいのだ。

本作の話題の一つは、主人公すずの声を担当したのん(能年玲奈)。はじめこそ能年玲奈の顔が脳裏にちらついたが、ほどなく物語へ引き込まれていった。これは憑依型とも言われる彼女の力なのか、話の強さがなせる技なのかは判断が難しいところだ。

アニメの画は基本的に柔らかいタッチで登場人物もみなかわいらしい。華やかな昭和初期の街並み、何気なくも美しい自然の風景、登場人物の微笑ましい場面が前半を中心にふんだんに描かれていることで、後半の激動がより強く響いてくる。

広島と呉へ行ってみたくなった。

(95点)
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「ソーセージパーティー」

2016年11月06日 14時18分36秒 | 映画(2016)
悪趣味で幼稚なボクらのために。


北米のBox Officeのチャートを見ていていちばん気になるのが、想定外のヒットという類の作品である。

大作やシリーズものばかりが目に付くようになって久しいが、時々紛れ込んでくるサプライズヒットは掘り出し物の予感が漂っていて日本公開が楽しみになる(もちろんDVDスルーという悲劇もあるが)。

今年の夏、「スーサイドスクワッド」には及ばなかったものの異例のヒットとなったのが、ソーセージを主役にした異色のアニメ「ソーセージパーティー」であった。

1本のソーセージくんがアップになったなんとも脱力なポスターと、そこに掲げられている声優陣の豪華さのギャップに興味を持っていたが、館数が超限定ながら劇場公開されることが分かったので、秋晴れの中六本木まで足を運んだ。

公開直後ということでもらった来場記念品は自由帳。表紙には「R15+子供は観ちゃダメ♡」の文字と、艶っぽいパンが笑顔のソーセージを自分の中に挟みこんでいる画が載っていた。

薄々気付いてはいたけど、そういうことね。周りは当然前情報ありのオトナな方たちなのであろう。六本木の1番スクリーンはほぼ満員であった。

独立記念日前日。巨大スーパーの売り物すべてが生きていてしゃべったり争ったりしている世界の中で、特設売り場に並べられたソーセージのフランクとバンズのブレンダは、同じ人に買われて結ばれる運命を信じていた。

彼らにとって人間に買われることは神に選ばれること。スーパーの外では天国のような暮らしが待っているはずだった。

おもちゃに命を吹き込んだ「トイストーリー」シリーズに代表されるように、モノを主人公とするアニメには冒険と感動の名作が多いのだが、本作が明らかに真っ向から異なっているのは、その「天国」が意味するところである。

中に入れたいソーセージと、入ってもらいたいバンズ。他の食材もいろいろ出てくるが、彼らのこのモチベーションを核にして物語を構成しているから、基本的に全篇通して不道徳である。

不道徳も突き抜ければ怖くない。主役たちの前に立ち塞がる敵は、なんと、ビデ。

外国のホテルでそれ用らしい便器を見ることはあるが、日本人の男性にとっては意味不明の物体が大画面を堂々と行き来するシュールな画像となっていた。

望みどおり人間によって購入された食材たちが直面する現実。フランクは、古くから売り場に居付きすべてを知る保存食品から、人間に買われることは食べられることだという真実を明かされる。

そしてフランクたちは立ち上がる。自分たちの命を守るために個性豊かなキャラクターたちが入り乱れて奮闘する様子は、「トイストーリー」シリーズと比べても遜色ない立派な冒険譚に仕上がっている。

ギャグは当たり外れが激しくいかにもアメリカ。Meat Loafはやっぱりお笑いとして扱うのが似合っている。

そして迎える大団円。殺戮者である人間をとっちめて売り場を制圧したフランクたち率いる売り物たち。R15+がそこらじゅうに暴発する衝撃の映像が流れる。

最後はどう落とし前をつけるのかと思ったら、保存食品からまさかの二度めの告白。なんでもありの映画だからこそできる手法であり、バカばかりしていても押さえ方がスマートだったりするからアメリカは憎めない。

(85点)
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「PK」

2016年11月03日 21時15分51秒 | 映画(2016)
信仰とは、祈ること。それだけ。


ひさしぶりのインド映画。主演は2年前の「チェイス!」に続いてアーミルカーンだ。

前作の記事では内川聖一と書いたが、今回は独特な風貌をより突出させて宇宙人となってしまった。

地球に着くなり母船のUFOを呼び出すリモコンを盗人に奪われた宇宙人が行く先々で大騒動を引き起こす・・・というのが大筋だが、この騒動の内容が本作の肝である。

それは宗教だ。

人の心の拠りどころとして精神の安定に大きな役割を果たす一方で、それを悪用した犯罪も絶えることがない。宗派が異なる人たちは大昔から聖地を巡って戦いを続けてきた。

善なのか、悪なのか。そもそも神は存在しうるのか。薄々思っているけど口に出せないことを宇宙人・PKを通して具現化する。時にはコミカルに、時には大真面目に。

冒頭からパキスタンとインドの男女が出会う場面が描かれ、作り手の覚悟を感じたと思えば、唐突に歌と踊りが長時間挟まれるボリウッドスタイルはそのまま。社会的メッセージを含む大衆娯楽は、前作と通じるインド映画の発展形と言えるだろう。

PKは自分の星へ帰りたいという願いをかなえるために神を探し続ける。様々な信仰の儀式はいずれも風変わりにしか見えず、似たようなことをしている宗教団体からはさぞ憎悪の眼で見られたに違いない。

しかし、もちろん茶化しや批判は本筋ではない。宗教の必要性を認めた上で、神の名を借りて弱みにつけこもうとする偽者だけを断罪するPKの演説を配することでしっかりと着地させている。

娯楽要素も充実している。

PKが出遭うテレビレポーターのジャグーを演じるアヌシュカシャルマはC.ディアス似で華がある。宇宙人と恋仲にはならないが、過去の悲恋やPKのほのかな恋心、そして宗教を巡って対立してしまった父娘関係など、多様な人間関係の要として喜怒哀楽に富んだ人間ドラマを提供してくれる。

今回はエンディングもハッピーな感じで良かった。全員が出てきて踊り出すまではいかなかったが、やっぱり観て幸せな気分になれることこそがインド映画のいいところだと思う。

(80点)
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「ザギフト」

2016年11月03日 19時48分42秒 | 映画(2016)
善悪の配置を巧みにミスリード。


恐ろしい隣人を恐怖の核として作られた映画は何本もある。邦画でも今年香川照之がそんな役をやっていた。

いくつも作られるということは、少し切り口を変えれば通じる飽きの来ない題材と言えるのかもしれない。実際に本作もその類の話を予想した上で映画館まで足を運んだ。

シカゴからLAへ引っ越してきた夫妻の前に現れたのは夫の旧友を名乗る人物・ゴード。彼は夫妻の自宅を頻繁に訪れ、時には小さなギフトを玄関先に置いていくようになる。神出鬼没な行動やぎこちない人当たりが不気味さを醸し出し、次第に夫婦、特に妻のロビンの精神をむしばんでいく。

と、ここまでは予想どおりの展開。あとは、主人公を襲う恐怖に怯えながらサイコな旧友の討伐を楽しもうと身構えるだけだったのだが・・・。

この作品、実は仕掛けがある。

後半、生理的に驚かせるホラー要素は影を潜め、ゴードと夫・サイモンの間にかつて起きたことの謎を巡るサスペンスへと趣きを変える。

その謎の奥にあったのは、得体の知れない恐怖ではなく、対象者にとっては明らかに眼前で起きる物理的なハラスメントであった。

サイコ犯罪よりも遥かに高頻度で発生している日常の理不尽。些細なことであっても、それで人生のすべてを狂わされることだってある。

ゴードが夫妻にギフトを贈り続けたのは、本当に過去を洗い流したかったからなのかもしれない。ただ、そのチャンスは必然的に摘み取られ、ゴード渾身の最後のギフトへと繋がっていく。

繰り返しになるが、単純なホラーではない。誰も犠牲にならない(コイ以外は)し、血すら出ていないと言っていい。しかし、だからこそ、現実味を湛えたラストの各人への思い入れが深まったのだろう。

予想を覆す展開と、奇をてらわずに終始冷静な演出に徹した姿勢に感心した。

(75点)
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