Con Gas, Sin Hielo

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「キャタピラー」

2010年09月20日 23時48分08秒 | 映画(2010)
平和の対義語は戦争だけではない。


今の世の中、戦争は悪いと言うことはたやすい。というよりも、むしろ悪いと思っていない人の方が珍しいくらい当たり前のことである。

右派だとかタカ派だとか言っても、国民の生活を守るために最低限の軍備は必要だといった主張が多く、戦前・戦中のような帝国主義を標榜する考えが一定勢力として国内にあるとは思えない。

その前提が正しいとすれば、そんな当たり前の話を軸に置いてもあまりおもしろくない。

そこでこの映画を観る視点を変えてみる。

主人公である妻は、当時の普通の女性だった。断言する根拠はないが、後半でラジオや新聞のいわゆる大本営発表を喜んでいるところを見るかぎり、おそらく普通の妻だったのだと思う。

そんな彼女が四肢を失った夫の帰還で初めて戦争が持つ影の部分に直面する。

食べて寝て、体を求めてくるだけの「軍神」。人々の持ち上げ方と自分が眼にしているモノのあまりの違いに彼女は思う。戦争とは何か。国とは何なのか。

夫と妻が同時に寝床の横にある勲章と新聞の切り抜きと両陛下の写真を見上げる場面がある。物言えない夫も同じように考えたかもしれない。

しかし彼には自業自得と言えるような過去があり、ついにはその過去に飲み込まれてしまう。

最後に流れる歌。元ちとせの流れるようでいて確実に力強い歌声が深く響く。

願いは子供があめをしゃぶれるような平和な世界を作ってほしいということ。

しかし実際の世界は、戦争がなくてもあめをしゃぶれない子供で溢れている。

いま生きる世界がどうなっていて、それに対して自分はどう生きるのか。

それは戦時中だけでなく、混沌とした現代にこそ通じる考えである。

妻は苦しんだ挙げ句に何かにたどり着いた。戦争が終わったと聞いたときの彼女の笑顔がそれを語っている。

(70点)
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