Con Gas, Sin Hielo

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「フランケンウィニー」

2012年12月15日 17時56分04秒 | 映画(2012)
生命と科学には早くから触れるべし。


すっかり巨匠となったT.バートンが原点ともいえる作品を長篇としてリメイクした。

例のごとく、お世辞にもかわいいとはいえない登場人物たちなのに、序盤の下りだけで人懐っこいスパーキーに魅了されてしまう。

感情が入ってしまったせいか、蘇っても大手を振って人前に出られない様子には、うれしい気持ちが大きいはずなのに、もの悲しさの方が勝ってしまうほどであった。

物語は、隠し切れない秘密がとんでもない形に膨らんで、町のお祭りを台無しにしてしまうクライマックスへ。

「みんな、みんな、生き返る」のとおり、子供たちはそれぞれ違った生き物を違った形で蘇らせる。それはグレムリンのようであり、ジュラシックパークのようであり、はたまた東宝怪獣映画のようでもある。

そこでスパーキーと主人公の少年ビクターの活躍だ。こちらも様々な手法で難敵を突破していく。

しかし、そんな痛快な展開の後に待ち受けていたのは本来あるべきだった別れであった。

人がペットを飼うことの意味の一つは、生命の大切さを学ぶことだと思う。

愛玩の要素を前面に押し出す自称「どうぶつ番組」があるが、動物の飼育とは生命と正面から向き合うことであり、そこにはやがて必ず別れが、死別が待っている。

それは世の中の摂理であり、早くにそれを体感することで人は一段階成長できるのだと思う。

そして本作でもう一つ語られているのが、科学の重要性である。

今年は、山中教授のノーベル生理学・医学賞受賞でにわかに技術研究が脚光を浴びたが、日常の社会はいわゆる文系の発信者が形作っているため、科学者の考えが採り上げられないことがままある。

しかし人間の発展は技術の探求なしには決して進まない。これはわが国で際立っている問題かと思っていたが、本作を観るとやっぱりどこの国も似たようなものなのかなと考えさせられる。

体育の先生が理科を教えるなんて冗談のようだけど、小学校の頃を思い返すと似たような状況だった。それで理科が苦手になったのかもしれないと改めて思い返した。

(75点)
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