世界の形を変えたがり。
台風崩れの熱帯低気圧が通り過ぎて、関東地方もどうやら梅雨明けを迎えそうだ。
例年より雨の季節が長かった今年、映画館へ行く度に流れていたのが本作の予告。
「雨、雨、雨」
新海誠監督の繊細なタッチで描かれた雨雲の下の東京の景色はリアリティを持って捉えられ、その後の少女が発する「今から晴れるよ!」という台詞に不思議と惹きつけられた。
社会現象にまでなった前作「君の名は。」で岐阜県に彗星を落とした新海監督。今回も日常の景色をダイナミックに書き換えてみせた。
前作ではその展開のスケールに面食らってしまったが、今回は多少なりとも身構えていたのかもしれない。主人公の帆高と陽菜が「変えてしまった」東京の景色は案外すんなり受け入れることができた。
物語は今回の方が好きだ。思い悩む少年・帆高、天空と結節する気高さを持つ陽菜の主人公二人だけでなく、彼らを囲む大人たちや陽菜の弟といったキャラクターが生きていた。
そして予告でもその力の一部を見せつけていた画の美しさである。
100%の晴れ女が祈ると、世界に光が差し込みぱあっと世界が輝き出す。湧き立つ雲が雨をもたらし、雨の一粒一粒が大海を泳ぐ魚のように躍る。
「天気」という題材がいかに鉄板だったかというのが分かる。
天と地をつなぐ者として悲しい運命を持つ陽菜。突然消えた陽菜を前に帆高は思う。「愛にできることは・・・」。
世界がどうなろうと構わない。大事な人と一緒にいることを選ぶ。
最近は異常気象とよく言うけれど、それはちっぽけな存在である人間の立場から見た話である。その意味からすれば、「ぼくたちは世界の形を決定的に変えてしまった」というのも実はおこがましい話で、実際は「世界の形を変えることをしなかった」に過ぎない。
自分のステージでもっと自分のために生きていい。利己的な思想の助長にも聞こえかねないが、人どうし、国どうしの衝突が多くなる中で、うまく生きていけない人は増えている。そうした人たちにこの話が届けばいいと思った。
(85点)
台風崩れの熱帯低気圧が通り過ぎて、関東地方もどうやら梅雨明けを迎えそうだ。
例年より雨の季節が長かった今年、映画館へ行く度に流れていたのが本作の予告。
「雨、雨、雨」
新海誠監督の繊細なタッチで描かれた雨雲の下の東京の景色はリアリティを持って捉えられ、その後の少女が発する「今から晴れるよ!」という台詞に不思議と惹きつけられた。
社会現象にまでなった前作「君の名は。」で岐阜県に彗星を落とした新海監督。今回も日常の景色をダイナミックに書き換えてみせた。
前作ではその展開のスケールに面食らってしまったが、今回は多少なりとも身構えていたのかもしれない。主人公の帆高と陽菜が「変えてしまった」東京の景色は案外すんなり受け入れることができた。
物語は今回の方が好きだ。思い悩む少年・帆高、天空と結節する気高さを持つ陽菜の主人公二人だけでなく、彼らを囲む大人たちや陽菜の弟といったキャラクターが生きていた。
そして予告でもその力の一部を見せつけていた画の美しさである。
100%の晴れ女が祈ると、世界に光が差し込みぱあっと世界が輝き出す。湧き立つ雲が雨をもたらし、雨の一粒一粒が大海を泳ぐ魚のように躍る。
「天気」という題材がいかに鉄板だったかというのが分かる。
天と地をつなぐ者として悲しい運命を持つ陽菜。突然消えた陽菜を前に帆高は思う。「愛にできることは・・・」。
世界がどうなろうと構わない。大事な人と一緒にいることを選ぶ。
最近は異常気象とよく言うけれど、それはちっぽけな存在である人間の立場から見た話である。その意味からすれば、「ぼくたちは世界の形を決定的に変えてしまった」というのも実はおこがましい話で、実際は「世界の形を変えることをしなかった」に過ぎない。
自分のステージでもっと自分のために生きていい。利己的な思想の助長にも聞こえかねないが、人どうし、国どうしの衝突が多くなる中で、うまく生きていけない人は増えている。そうした人たちにこの話が届けばいいと思った。
(85点)