限界がないとは輪廻にも似て。
脳の機能を100%活かせる薬があったら。「世にも奇妙な物語」的な着想であり、主人公が様々なトラブルに巻き込まれるところも想定内。
主人公エディは元はクズ人間予備軍。それが薬の力に頼ってのし上がろうというのだから、倫理的に見れば彼に肩入れする要素はないのだが、B.クーパーが演じることで何処か応援したくなってしまう。
冴えないエディも「スーパー」なエディも絵になるが、イタリア語や中国語をさらっと話す姿を目の前で見せられたら、そりゃヨリを戻そうという気持ちにもなるって。冒頭の絶体絶命場面と、薬の副作用で記憶が飛ぶというハングオーバー的な演出もご愛嬌。
話の大筋において意外性は少ないが、脳の覚醒を色調で表現したり、物事を見通す力を疾走感あふれるストリートビューで模したりと、映画という媒体ならではの視覚効果で決して中だるみすることはなかった。
あと強いてあげるとすれば、ラストの描き方がおもしろい。
ここで終わるの?エディは本当に限界を超えたのか?そして作品としての彼の裁きは?
「スーパー」になった彼がちょっとした場面(投資の指南か何か)で同じようなことを自ら言っていた記憶があるが、欲望を越えた先にあるのは新たなる欲望でしかない。
薬によって得た成功を到達点とできないかぎり、次の目標に向けて薬を飲み続けなければいけない。
超越した能力は、この終わることのないメビウスの環を支配し管理することができたのか。その先に待つのは、栄光か自らの破滅か。回答を示さないところは、押し付けがましくなく好感が持てた。
(70点)
脳の機能を100%活かせる薬があったら。「世にも奇妙な物語」的な着想であり、主人公が様々なトラブルに巻き込まれるところも想定内。
主人公エディは元はクズ人間予備軍。それが薬の力に頼ってのし上がろうというのだから、倫理的に見れば彼に肩入れする要素はないのだが、B.クーパーが演じることで何処か応援したくなってしまう。
冴えないエディも「スーパー」なエディも絵になるが、イタリア語や中国語をさらっと話す姿を目の前で見せられたら、そりゃヨリを戻そうという気持ちにもなるって。冒頭の絶体絶命場面と、薬の副作用で記憶が飛ぶというハングオーバー的な演出もご愛嬌。
話の大筋において意外性は少ないが、脳の覚醒を色調で表現したり、物事を見通す力を疾走感あふれるストリートビューで模したりと、映画という媒体ならではの視覚効果で決して中だるみすることはなかった。
あと強いてあげるとすれば、ラストの描き方がおもしろい。
ここで終わるの?エディは本当に限界を超えたのか?そして作品としての彼の裁きは?
「スーパー」になった彼がちょっとした場面(投資の指南か何か)で同じようなことを自ら言っていた記憶があるが、欲望を越えた先にあるのは新たなる欲望でしかない。
薬によって得た成功を到達点とできないかぎり、次の目標に向けて薬を飲み続けなければいけない。
超越した能力は、この終わることのないメビウスの環を支配し管理することができたのか。その先に待つのは、栄光か自らの破滅か。回答を示さないところは、押し付けがましくなく好感が持てた。
(70点)
こんにちは。不謹慎な話ですが、ありえない
ような願望って持つことありませんか?
まさしくこのお話はそんな人間の心を現して
いるように思いました。
とはいえ、簡単に人生が成功するなんて
やはりそんな上手い話はないでしょうが。
おっしゃるように彼はこの先も薬を飲み続ける
というある意味リスク(本人は思っていないかも)背負うんでしょうね。
ラストの展開はえぇ~と驚きましたが。
でも面白かったです。
ありえない願望、妄想なら日常茶飯事です。
人間の心の弱さかもしれませんね。
それを肯定的に受け止めたのが藤子・F・不二雄氏のドラえもんで、
否定的に突き落としたのが藤子不二雄A氏の笑ウせぇるすまんでしょうか。
話がすっかりズレましたが、
主人公エディは頭がキレキレになったわけだから、
当然リスクのことも100%理解していると思います。
その上でどうすればリスク回避できるのかを全力で考えるわけだから、
理屈からいけば、やはり彼は無敵だということになります。
うらやましいとは思わないですけどね。