Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「クワイエットプレイス:DAY1」

2024年06月30日 11時46分49秒 | 映画(2024)
無理ゲーの際を攻める。


2018年の公開時は、低予算のサプライズヒットだった「クワイエットプレイス」。続篇が作られるなど相当な稼ぎがあったのだろう。今回は、大都会ニューヨークを舞台に特殊撮影満載の大作として映画館に帰ってきた。

第1作の時点で既に世界が崩壊していたところ、そのきっかけとなった最初の日々、クリーチャーが地球へ襲来してきた時期を描く前日譚的な作品となっている。

最近よく見る前日譚、作られる割りには、その後の出来事が分かってしまっているだけに盛り上がらないことがよくある。しかし本作に関しては、パニックの規模が前作を遥かに上回るものとなることが容易に想像でき、ある意味まったく違う作品として期待が膨らんだ。

冒頭、ニューヨークの雑踏の音量が90デシベルであるという字幕が出る。何百万人が常に動き続ける街で音を出さないことがどれだけの無理ゲーであるか、この時点で映画のイントロとしては成功である。

さて、第1作では登場人物の出産という驚くべき無理要素を入れていたが、今回は大都会が舞台であることに加えて、主人公がホスピスに通う末期患者であることと、彼女がネコを肌身離さず連れていることを突っ込んできた。

赤ちゃんもそうだが、ネコも鳴くよね。本来であれば。しかしそこはきちんと乗り越える。演技も上手い素晴らしいネコである。代わりに、服が破れた音だけで襲われてしまうかわいそうな人がいるところは、相変わらずさじ加減が上手いクリーチャーである。

そういった苦言は多少ありながらも、ニューヨークの街で繰り広げられるクリーチャーと人間の戦いは非常におもしろく見られる(戦いと言っても人間は逃げるしかないのであるが)。自動車の防犯アラーム、公園の噴水、地下鉄の構内など、都会ならではのアイテムを駆使した攻防は見どころに溢れている。

そしてパニック映画の添え物でありながら結構重要な要素ともなる主人公のストーリーについても、それなりに作られていて白けさせない。ホスピスという設定が最後になって生きてくるところも加点要素である。

前日譚のもう一つのネックは、当該作に続く続篇が作りにくいことにあるが、この後本シリーズはどこへ向かうだろうか。

(80点)
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「ザウォッチャーズ」

2024年06月30日 10時55分21秒 | 映画(2024)
見つめていたい。


1983年に全米No.1の大ヒットとなったThe Policeの"Every Breath You Take"は、実は執拗に監視を続けるストーカーの歌だというのは有名な話である。

柔らかなメロディーに騙されがちだが、君のすべての呼吸をI'll be watching youと言われたら、ぞぞっと寒気がする。そう、"Watch"はいくつかある「見る」の中でも「監視する」の意味を強く含む単語なのである。

あのM.ナイト・シャマラン監督の娘、I.ナイト・シャマランがメガホンをとったということで一部で話題の本作。"Watchers"=監視者とは誰なのか?父親と同様にとんでもないものが大画面にばーんと登場してしまうのか?というあたりに関心を持ちつつ映画館へと足を運んだ。

主人公のミナを演じるのはD.ファニング。久々に見たが、少し擦れた感じの女性が似合うようになっていた。

何やら心に傷を抱えていて、目に力がなく、持て余した時間を電子タバコをふかすことで消費するミナは、知り合いからの依頼を受けて遠くの町までオウムを運ぶことになる。しかし、クルマはうっそうとした森の真ん中で突然動かなくなり、助けを求めに行ったミナは道に迷ってしまう。

もうすぐ夜が来る。ただごとではない物騒さに恐怖を感じるミナの前に年老いた女性が現れ、死にたくなければ付いてくるよう告げた。老女の後を追ってたどり着いたその場所は、大きな窓のあるコンクリートの箱部屋であった。

ミナを含む4人の人間は、箱の中で"Watchers"から常に見られている存在だと言う。彼らは何故人間を見るのか。そしてそもそも彼らの正体は何なのか。

本作には原作が存在するらしいが、不思議な設定を組み立てる手並みでは父親譲りの巧さを見せる。

更に、"Watchers"の見せ方に関しては、影や光の加減を使うなどによりあからさまにせず余白を持たせた形をとっている点で、父親よりも格調高い画面を作ることに成功している。

事前の印象からホラーを期待した人には物足りないかもしれないが、ファンタジーとして見れば、彼らの正体やその背景、ミナと"Watcher"が対峙するクライマックスの展開に疑いなく合点がいく。

何よりも、食傷気味になってもシリーズものの続篇やアメコミヒーロー絡みで商売せざるを得ない状況において、独自性を持った作品を作り続けることは非常に意義のあることであり、その流れを受け継ぐ逸材の出現を歓迎したい。

(75点)
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「告白 コンフェッション」

2024年06月02日 13時32分37秒 | 映画(2024)
墓まで持っていくべき案件。


上映時間74分。最近長時間化が著しいと言われる中で激しく逆行する潔さ。

主人公の浅井は、大学の山岳部で一緒だったジヨンと登山の最中に悪天候に見舞われ遭難してしまう。ジヨンは足に大けがを負っており長い距離を歩けそうもない。死を確信したジヨンは突然浅井に告げる。

「俺はさゆりを殺した」

さゆりは、これも山岳部で一緒だったが、16年前に遭難して行方不明になってしまった女性である。突然の告白に戸惑う浅井だが、その後近くに避難できる山小屋を発見する。

死に際の告白のつもりだったのに、助かってしまった。気まずい・・・、というか秘密を知ってしまった自分は消されるのでは?二人のひと晩の攻防の行方はいかに。

映画の冒頭はあまりのショボさに笑ってしまった。難しいのかもしれないけど、もう少し導入部を丁寧に描けなかったかなと。告白された浅井がちょっと立ち上がって数歩歩いたら向こうに山小屋が見えたり、動けないから死を確信したのだろうに、浅井の肩を借りたら目と鼻の先くらいとはいえ少し高台の山小屋まであっさりたどり着けてしまったり。

その後もコントのようなやりとりが続く。自分を殺そうとしているのではと怯える浅井が、ジヨンの持っているサバイバルナイフを奪おうとトイレに行っている隙に試みるが、突然背後にジヨンが立っていて仰天する。大けがしている人間が音を立てずに近寄るってあり得ないでしょう。

まあ、そんなこんなで何を見せられてるんだ状態が結構続く中で、ジヨンはついにキレて山小屋の中で鬼ごっこが始まる。階段落ちやら、貞子風の這いずりやら、ジヨンが体を張ってがんばるが、ストーリーも後半の後半に入ってようやく意外性が出てきておもしろくなる。

半分ネタバレになるが、キーワードは浅井の秘密と夢オチである。救助隊への電話で「一人です」と言った部分が回収され、あまりに強烈だった夢の影響で思わず現実のジヨンに引っ掛かる言葉を漏らしてしまう顛末はうまくできていた。

それより何より映画館の大画面で奈緒のアップが見られただけで、かなり満足度が上がったのであるが。

(70点)
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「関心領域」

2024年06月02日 12時24分37秒 | 映画(2024)
塀が隔てる正しさと幸せ。


ナチスドイツを題材にした作品は様々あって、ジャンルも正統な歴史モノからSFやコメディまで実に幅広い。いわばレッドオーシャン状態であり、ここで新たな作品を作ろうとしても新味を出すのはなかなか難しいのではないかと思っていた。

そうした中で本作は、アウシュビッツ捕虜収容所の隣に家を建てて暮らしている家族の日常生活を描くという画期的な設定を打ち出してきた。ナチスの蛮行を直接映さずに、空気感だけでどのように異常性を伝えることができるのか大いに興味を持った。

冒頭、黒い画面にタイトルが映され、それが消えた後不穏な音楽とともにしばらくブラックアウトが続く。アカデミー賞では音響賞を受賞したそうだが、エンドロールの音楽を含めて、何気ない日常に潜む異常性を伝えるのに一役買っていた。

主人公はドイツ軍人のルドルフとその家族。ルドルフは、アウシュビッツ捕虜収容所の所長を務めており、敷地に隣接する一角にプール付きの庭を持つ一軒家を構えていた。

軍人でも所長となれば管理職なので、普段の仕事は公務員のごとく決まったルーティンに乗った出退勤である。職住近接だから家族と触れ合う時間はたっぷり確保できる。ルドルフも妻もこの生活に満足しており、遠い先の将来にまで夢を膨らませるのだった。

ただ、昼は青空の下で太陽の輝きに隠されていた部分が夜になると感じられるようになる。時折響く発砲のような音や、塀の向こうから沸き立つ煙。一切の説明はないが、我々は想像してしまう。

もちろん音や煙は夜にだけ出ているのではない。少しずつ目を凝らして、聞き耳を立ててみると、日常のそこかしこに収容所の暗部のかけらが転がっているのが分かってくる。

ルドルフたちの会話、一家に住み込みで働いているメイド、川遊びをしていたときに流れてきた物質。冷静になってみれば、ここは明らかにほかとは違う空間である。しかしルドルフの妻は、「ここは若いころから夢みてきた場所」と言う。彼女はメイドに向かってこんなことも言う。「夫に頼んで灰にしてもらうよ」

映画の背景や、大局的な歴史を学んでいる者からすれば、何という物言いであり傲慢な態度かという反応になるのだが、ミクロ的に彼女の視点に立ってみれば、実はそれほど常識外れな人物ではないことを理解できてくるところがおもしろい。

ある日、ルドルフは転属を命じられる。栄転ではあったが、妻はアウシュビッツの地を離れるのを嫌がり、彼は単身で行くことに。行った先では軍部の戦略担当とでもいう仕事に就き、アウシュビッツで行おうとしているハンガリーから大量の捕虜を輸送する作戦の中核を担うことになった。

彼は功績を認められ、ほどなくアウシュビッツに戻ることが決まった。大勢の人の命を奪うことが成果とされ、輝かしい人生の階段を上っていく。それがいかに誤ったことなのかは、奪われる側に立って実際に感じてみないことには分かりようがない。

帰還が決まったルドルフは妻に電話で知らせた後、職場を去ろうと階段を下りていくが、急に吐き気に襲われる。インサートされるのは、おそらく現代の収容所の博物館の展示物である大量の靴や遺物。神の手を持った映画の作り手が出演者にいたずらをしたようだ。

それにしても、「関心領域」というのは、直訳ではあるがよくできたタイトルである。不幸は関心の外にあるのだ。最近マイノリティに配慮し過ぎる事例もあるが、それでも気付いてもらえなければ不幸のままなのだから声を上げなければいけないのである。

(80点)
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