Con Gas, Sin Hielo

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(新規)「フェラーリ」

2024年12月31日 18時21分23秒 | 映画(2024)
命を削った日々のその先に。


子供のころのスーパーカーブーム、80年代後半からのF1ブームは経験しているが、それほどのめり込んだわけではないので、この映画で描かれた話は初めて知ることばかりであった。

エンツォフェラーリは1947年に妻のラウラと共同でフェラーリ社を設立した。レーシングドライバーの経歴を持つ彼は、性能の優れたスポーツカーを生産し、有名レースでの優勝を重ねることで会社の地位を高めることに成功した。

しかし、過剰なまでのモータースポーツへの投資は会社経営を圧迫していく。更に1956年には、ラウラとの間にできた息子のディーノが病死し、エンツォの愛人騒動と相まって夫婦仲は最悪になり、そのことは重大な企業判断をする際の足かせにもなっていた。

名匠M.マン監督がメガホンを取った本作は、そんなエンツォにとって激動の1年となった1957年に焦点を絞って描く。

冒頭、朝のまどろみの中で目覚めるエンツォ。横で寝ている女性を起こさないように彼はそっと家を出て行く。彼が向かった先にいたのは、妻のラウラ。そう、柔らかなぬくもりで包み込んでいた冒頭の女性は、いわゆる愛人のリナ・ラルディだったのだ。

息子のディーノの死因は病気だから、決してエンツォに全責任があるわけではない。しかし、ラウラの行き場のない怒りは、仕事に傾倒し過ぎたり、外に愛人を作ったり、父親としての責務を果たしたとは言えない彼に行き着く。

エンツォの評価は実母からも低く、「フェラーリ家を継ぐべきだったのは長兄(既に死去)だ。エンツォではない」と言う始末。居心地が悪くなった彼は、ますます仕事と愛人へと遠ざかっていく悪循環に陥っていた。

フェラーリ社を立て直すためには、もっとレースに勝たなければならない。彼は契約ドライバーに命を懸けた究極のパフォーマンスを要求する。

現代より技術力で劣り、安全面の意識も高くなかった時代。レースに参加する者は常に死と隣り合わせの日々を送っていたのだと想像する。実際に劇中には事故のシーンが登場し、レース前にドライバーがパートナー宛てに覚悟の手紙を書いている描写もある。

なぜそこまでして・・・と思うが、エンツォの凄みによってそんな言葉は口をつく前に消し飛ばされる。現代社会なら間違いなく社会的制裁を受けるであろう男は、そのカリスマ性で歴史を作ってきた人物でもあった。

主演のA.ドライバーは特に最近演技派としての評価が高いが、一度見たら忘れない大きな作りの顔と、実際に大きい体格(身長189cmとなっている)に精巧な老けメイクを施すことで、このエンツォという男の迫力を大画面で押し出すことに成功している。

そして負けず劣らずの迫力を見せるのはラウラ役のP.クルスで、可憐なラテン系のイメージとは程遠い、常に青白い炎を湛えて夫と相対する情念の女性を演じている。

理想とかけ離れてしまった現実の悲しみに浸ることもできずに、ただただ命を削り続けることしかできない彼らを切なく思う。似た立場に立ったとして、同じような生き方はできないし、選ぼうとも思わない。

ただ人生には正解はない。一生懸命に生きた人たちの人生は尊重されるべきものであり、そうすることで生まれた輝かしい歴史があることには敬意を払わずにはいられない。

一切の緩みや休息のない中で繰り広げられる演技合戦に、旧式のレーシングカーによる公道レースの迫力のある映像が加わり、大画面で観るべき屈指の作品となっている。

それにしても、あんなことが「ミッレミリア」で起きていたなんて・・・。あの場面は、長い映画鑑賞生活の中でも結構トラウマになりそうです。

(85点)※7月7日18時20分投稿
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