Con Gas, Sin Hielo

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「死霊館 エンフィールド事件」

2016年07月18日 12時06分35秒 | 映画(2016)
取り憑かれてなお美少女。


1970年代はオカルトブーム真っ只中。「エクソシスト」に代表される悪魔との闘いが映画界を席巻した。

悪魔ではない人間同士の諍いが社会全体を閉塞感に満ちた恐怖へ陥れている21世紀の現代、オカルトブームも古き良き風情と懐古する対象になっているのかもしれない。

舞台は英国へ移るが、話の基軸は前作と同様に家族の絆が悪霊に立ち向かう点にある。で、またしても子供たちがとにかくかわいい。

この辺りは映画の脚色と言うこともできる。「エクソシスト」のL.ブレアなんてとんでもない顔にさせられたものだが、本作のジャネットが憑依されてから見せる表情はむしろ凛々しい。

怪奇現象が起きる光景とかわいい少女の日常を目で見た立場であれば、この家族の言い分に疑問を挟む余地はないのだが、間接的な情報しか与えられなかったとすれば女性の評論家のように少女の狂言と決めつけてしまうことがあっても仕方がない。ジャネットの空中浮遊の写真など、ほとんどオウムの麻原レベルである。

ウォーレン夫妻の立場も同様だ。テレビや講演などで超常現象について語る彼らに対する世間の目は必ずしも好意的なわけではなかった。本作の立ち位置から見れば明らかに不当な評価なのであるが。

映画だから、極めてドラマ的な作りにもなっている。妻ロレインの予知夢と主人公たちに襲いかかるぎりぎりの恐怖。盛り上がるが、そこまででき過ぎる現実があるか?と懐疑的になる自分に霊感が下りてこないことだけは分かる。

ただそこはあくまで"based on"であり、そこを割り切って観る限りでは、小道具、照明、音声、カメラアングルといった恐怖映画の演出のツボを着実に押さえていて、安心して怖がる(妙な日本語だが)ことができる作品であった。

特に、肝心な部分を時々映さない演出は興味深かった。

例を挙げれば、ウォーレン夫妻の前でジャネットの霊を呼ぼうとする場面で、霊は「見られていては出て行けない」と言う。

夫・エドはジャネットに背中を向けると、カメラの焦点はエドに、後ろで椅子に座るジャネットは輪郭が分からないくらいにぼかされてかろうじて動いている様子だけが確認できる。

現象に懐疑的な見方をする者にとっては茶番以外の何物でもないと受け取れる。ウォーレン夫妻ですら100%信用するというわけにはいかない中で、ぼけた背景の霊がしゃべり続ける。

主人公たちに寄り添う映画的な演出が基本にある一方で、こうした解釈が定まらない点を相応の場面として描き切る姿勢と力量に感心した。

大事なのは、霊や悪魔がいるかいないかではない。真実であれ偽りであれ、危機的な状況に置かれている家族を救う手立てを見つけることこそが求められているのであり、この点に関してウォーレン夫妻にまったくブレはないのである。

このことは現実の恐怖にもきっと当てはまるはずだ。人間が生きて生かされている目的は大事な人を守ることにある。

(75点)
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