Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

(新規)「ブラックアダム」

2022年12月31日 20時58分55秒 | 映画(2022)
ヤー!!パワーー!!!


立て続けに主演作が公開され、いずれもがメジャー系の娯楽大作であるにも拘らず、まだこれといった代表作に恵まれていない。

D.ジョンソンに対するイメージはこんなところだろうか。かつてのシュワルツェネッガーの系譜を継ぐ肉体派男優としてそれなりに認知度も高いと思うのだが、「ターミネーター」のような作品がない。

そんな彼の最新作がDCコミックスと来た。これまた何とも微妙。

宣伝文句にはこう書かれている。「最"恐"アンチヒーローVSヒーロー軍団」

いわゆるヴィランを主役に据える作品はマーベルでもDCでも多く作られているが、主役が完全悪というのはメインストリームでは成り立たないので、結局は善人でしたというのが大抵の流れ。言ってみればD.ジョンソンにはぴったりなのかもしれない。

しかし、ぴったりを裏返せば意外性を欠くということでもあり、ブラックアダムという単体は特に魅力的には映らなかった。

見た目のままの怪力と鋼のように強い肉体も個性としては月並みで、戦う時はDCで毎度おなじみのガチンコな力比べにならざるを得ない。

そうした中で意外とおもしろかったのは、脇を固めた「ヒーロー軍団」であった。

JSA(ジャスティスソサエティオブアメリカ)は、世界を救うために結成されたスーパーヒーローチーム。すなわちアベンジャーズだ。

チームを率いるのは、金ぴかの兜をかぶると特殊な能力を発揮する魔術師・ドクターフェイト。彼の操る術が視覚的におもしろく、演じるP.ブロスナンの存在感も加わって、パワーゲーム一辺倒の流れにスパイスを利かせていた。

力の強さではブラックアダムにまったく叶わない中で「VS」と掲げてどうするのかと思ったが、はじめの完全な敵対関係から少しずつ理解を深めて、それでも流儀が違うから決してチームにはならないという、それぞれの揺らぎが練られた脚本が良かった。

ただ、最後に出てきた方は、やっぱりという感じがした。次はまた壮絶な力比べをするのだろう。

(60点)※12月7日21時投稿
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「母性」

2022年11月23日 19時03分15秒 | 映画(2022)
母性が先天性なら「親ガチャ」という言葉は成り立つ。


戸田恵梨香永野芽郁の首を締めようとしているポスターがショッキングな本作。

母は言う。「私は強く、娘を抱きしめました」。娘は言う。「母は強く、私の首を締めました」。

何故二人の間にこれほどの乖離が生まれたのか。物語は、母の証言、娘の証言、母と娘の証言という三部構成で真相に迫っていく。

なにしろ原作が湊かなえである。観る側としては、普段目を背けている人間のどす黒い部分を俎上に載せてくる覚悟で臨んでいた。

しかし、冒頭でいきなり社会人となった娘役の永野芽以が出てきて肩透かしを食らう。あ、この母娘は最悪の結末を迎えるわけではないんだ。

母・ルミ子は、上流家庭で母親の温かく大きな愛に包まれて育ってきた。その存在は大きく、母の強い想いに応えることがルミ子の行動規範の最優先事項となっていた。

結婚相手には、母が気に入った絵画を描いた男性を選んだ。はじめは彼の画風に魅力を感じていなかったが、母が最大の賛辞を述べるのを聴いて、自らの意識を寄せていった。

実家を出て夫婦で住むようになっても、ルミ子の母親第一主義は変わらなかった。ルミ子が生きていく中での正解は、必ず母親が示してくれた。やがて娘を授かり、母はたいそう喜んでくれた。自分はこのまま幸せな人生を歩めると、ルミ子は疑いなく思っていたはずだ。

しかし、突然その日はやって来た。あろうことか最期に母がルミ子に言ったのは、自分ではなく娘のために生きろということであった。

「母の愛が、私を壊した」という言葉がキャッチコピーに使われているが、ルミ子の母は決定的に誤っていたわけではなかった。娘から母になる過程を伝えるべきではあったが、不幸な事故でかなわなかったに過ぎない。

親の自覚を持てずに子供を不幸な目に遭わせる事件が絶えない。そうした親は子供を持つべきではなかったのか?

本作でルミ子の娘・さやかは、女性は二つのタイプに分けられると言う。母親タイプと娘タイプである。

しかしそれを認めるとして、娘タイプが子供を育てることができないとは思えない。そもそも子育ては親だけで成り立つわけではない。半分以上は子供自身の資質に依るものだと思う。親はなくとも子は育つと言うし。

つまりこの映画を観て思ったのは、母と娘の話として興味深くはあるものの、ルミ子のキャラクターが特異で心の奥深くまでは染みてこないということである。

もう一人言及が必要な母親が高畑淳子が演じる義母である。性格がキツく、ことあるごとにルミ子に強く当たるが、いわゆる毒親だとしても子供が必ず不幸になるわけでもない。

だから子育ては難しい。そして時々とてつもなく楽しい。

(70点)
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「ザメニュー」

2022年11月19日 20時42分06秒 | 映画(2022)
食べることが楽しくなくなったら、人生の半分以上終わってるんじゃないかな。


著名なシェフが孤島のレストランで振る舞う特別なディナーコース。しかし何かがおかしい。

招待されたのは12名のお客。年代、性別、人種が多様な彼らの共通点は、自身の雑談やシェフ・ジュリアンとの対話を通して少しずつ分かってくる。

主人公は若い女性・マーゴ。ディナーには知り合いのタイラーから誘われた。どうやら予定していたパートナーに断られた穴埋めらしい。

タイラーはジュリアンの料理の腕だけでなく、メニューを説明する言葉にも涙を流すほど感動する。よほど心酔しているらしい。

しかし心酔しているのはタイラーだけではなかった。レストランで働くすべての従業員が、まるで独裁者に従うみたいに一糸乱れぬ結束で料理を準備しているのだ。さすがは超一流のレストラン。これからどんな料理が運ばれてくるのか、客たちの期待は高まるばかりであった。

そんな様子が変わったのは、2品めの料理が運ばれてきたところであった。本来はパンが運ばれてくるところを、出てきたのはパンにつけるオイルだけ。

ジュリアン曰く、パンは昔から庶民の食べもの。高貴なお客様方に出すものではないとのこと。苦笑しながらも、超一流は考えることも違うと矛を収める客たち。

そして3品め。出てきたのは看板料理のトルティーヤ巻き。しかしそのトルティーヤには、それぞれのお客用に特注のレーザープリンターで焼き付けられたデザインが施されていた。

さらにコースは4品め、箸休めと続くのだが、メニューが進むごとに恐怖と不気味さが増していく演出は見事であった。

異常さを湛えながら冷静にプロフェッショナルに徹するジュリアンを演じるのはR.ファインズ。彼以上の適任はいないだろうと思える配役である。

新しい料理の準備ができて彼が手を叩くごとに、客たちの寿命は削られていく。なぜここに自分たちが招かれたのか。ジュリアンに理由を明かされても、もう逃げることも戻ることもできない。どんな些細な理由であれ、レストランの中ではジュリアンが下した決断に従うほかないのである。

しかしそんな中で、マーゴだけは明らかにここにいる理由がなかった。ジュリアンにとっては計算違いであるが、それですべてを壊すわけにはいかないと、マーゴにある決断を迫る。

まったく予想のつかない物語に恐怖映画以上の圧迫感を覚え、細い糸ほどの希望を手繰り寄せようとしてはひっくり返される展開に他人事ながら悔しい思いを抱く。映画を観ながらこれほど手に汗を握ったのは久しぶりの体験だった。

時間を追うごとに覆っていく絶望感。せめてマーゴだけでも逃げる術または倒す術はないものか。

ここからはひょっとすると個人の趣味で評価は変わるかもしれない。だけど、個人的にはこの無理ゲー世界の着地点は、ほぼ完ぺきであった。予想しない方向からアプローチし、納得のいく理由で局面を変えてみせた。マーゴとジュリアンのキャラクターをブレさせずに物語をまとめたのだ。これはすごい。

物語もさることながら、とにかくテンポが良い。メニュー1品ごとに盛り上がりがあり、その山が少しずつ大きくなる。それも緩むことなく小気味よく進む。レシピの説明字幕もブラックでありながら笑えてしまうほど心憎い(ブラックといえば、映画のタイトルでもある「メニュー」の最後の扱いも素晴らしかった)。

料理が中心軸にあるから、画としてもキレイである。ジュリアンの集大成となる最期のメニューは、キレイな地獄とでも言おうか。食べられるわけではないけど、料理を冒涜しているのでもない。チョコレートがスプラッタに被る場面、スモアはちょっとトラウマになるかもしれない。

彼はなぜあんな行動に出たのか。もう食に携わることが楽しいころには戻れないと悟ってしまったのだろうか。

と思いながら、帰りがけに高貴なディナーとはかけ離れたから揚げ定食に舌鼓を打つのであった。

(95点)
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「ブラックパンサー/ワカンダフォーエバー」

2022年11月19日 09時29分52秒 | 映画(2022)
圧倒的な正しさの継承。


この映画の感性が合わないことは百も承知なのだが、MCUのフェーズ4の最後を飾る作品と言われてしまっては観ないわけにはいかない。

主演のC.ボーズマンの急死で、おそらく大きな路線変更を余儀なくされたであろう本作。

蓋を開けてみれば、予想どおりとはいえ、亡き国王ティ・チャラの周囲にいた女性たちが先頭に立って国を率いていく流れは、以前よりも一層時代に即した展開になったのではないだろうか。

ワカンダは永遠。何故永遠なのか?それは、ワカンダは絶対的に正しく、世界がそれに倣っていく世界が理想だから。

前作で世界にその存在を知らしめたワカンダ王国は、国連で大きな発言力を持つようになっていた。

劇中、国連の会議の席でで米国やフランスが、ワカンダのみに所在する鉱物資源のヴィブラニウムの採掘権を他国にも認めるべきだという発言をするが、それに対しワカンダの代表である女王(ティ・チャラの母親)は「あなたたちは信用できない」と言って拒否する。

世界の名立たる各国が辺境の小国ワカンダに一目置く理由。それはワカンダが正しいからではなく、世界を牛耳る財産であるヴィブラニウムを独占しているからにほかならない。

現実の世界ではロシアとウクライナの戦争が泥沼化している。経済制裁で孤立化したロシアがどこまでもつかという話も一時はあったが、天然ガスでヨーロッパ諸国の生命線を握っていることなどから、侵略を諦める様子はまったくない。国連では拒否権を持っているから包囲網が広がることもない。

ワカンダは持てるヴィブラニウムを最大限に有効活用して強かに生き延びてきた。世界や人類の平和へウィングを広げたとしても、そのことは変わらない。

しかし今回突然、同じヴィブラニウムで文明を築いたタロカンという海底王国の存在が明らかになる。ヴィブラニウムというオンリーワンで生きてきたワカンダは一体どうなるのか。

タロカンは中米にルーツを持つ種族のようだ。これまた実に正しい。ヒスパニックの人口、特に移民は急速な勢いで増えてるからね。

タロカン王のネイモアは、ワカンダに対し、力を携えて世界を支配しようと持ちかける。しかしティ・チャラの妹である王女・シュリはそれを拒む。

そうなったら戦って決着をつけよう。タロカンの存在を知らない世界各国は「ワカンダで内戦が勃発」と報じる。

興味深いのは、一貫して正しさを通すワカンダの人たちが決して戦うことを否定していないことである。実際の世の中では、戦禍が広がらないように多少の妥協をしてでも裏での話し合いを続けるけれど、まあ戦闘シーンがないと画にならないとはいえ考えてしまう。

ワカンダとタロカンの戦いの決着の仕方も実に正しい。復讐心に駆られて始めてしまった戦いが誤りであれば改心すれば良い。白人の国は信用できなくても、少数派の民族や人種の人たちなら信用してもいいかもしれない。なぜならワカンダは正しいから。

何を言おうが、どんなに不満を抱こうが、世界は力のある者によって統治され、変えられていく。

前作より戦闘シーンは見やすくておもしろかったです。

(55点)
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「すすめの戸締まり」

2022年11月12日 22時13分19秒 | 映画(2022)
11年経って、子供たちは大きくなった。


もはや新海誠監督作品の公開はお祭りである。

そのおかげで「君の名は。」「天気の子」を地上波で見ることができた。

公開時の記事ではいろいろ言ったけど、改めて観ると両作品ともやっぱりおもしろい。特に「君の名は。」は、最終的に町民が避難できた流れを今回は飲み込めたので評価が変わった。まあRADWIMPSが出過ぎという印象は変わらないが。

そこで本作である。公開前には、東日本大震災を題材にしていて緊急地震速報の音が流れるのを事前に周知したことが大きな話題になった。

世の中の災いは、廃墟にたたずむ扉の向こうからやって来る。扉の内側には災いが外へ行かないように見張る「要石」があるのだが、ときどき抑えきれずに災いは「ミミズ」という形で飛び出していく。それが地震だ。

前2作ではフィクションの災害、それも確率としては低そうな隕石や首都沈没を描いたのに対し、今回のテーマは過去に実際に起きた地震災害ということで、アプローチも観る側の姿勢も大きく異なることとなった。

ベクトルも違う。前2作は災害が発生してしまったのに対し、今回は全力で起きないようにするというものである。どんなに力を尽くしても抗えないことが世の中にはあるということを見せた後に、それでも努力することは尊く価値のあることだと言っているのだ。

まあ正しいよね。自然災害以外にも理不尽なことが多く無力感に襲われるけど、世の中そうそう悪いことだらけでもない。これは同じ東日本大震災を扱った「天間荘の三姉妹」とも通じるところか。

今回は何より「戸締まり」という言葉のチョイスが良い。「見守り」とか「番人」とかではない極めて日常的な言葉であり、しかも響きとしてとても新鮮である。

そして廃墟。廃墟となった地では、かつて人が集い営みが形成されていた。被災地も同じ。その地の過去に、かつて暮らしていた人々に思いを馳せて大切に鍵をかける。これらの要素を結び付けて物語を紡いでいく感覚はさすがだと思った。

緻密さとダイナミックさが一体となった画の迫力は当然今回も健在である。全国各地を回るサービスと、何と言っても災いをもたらす「ミミズ」の造形が特に印象深かった。

少し分かりづらかったのは猫のダイジンだろうか。彼はすずめに何を期待していたのか。そしてなぜ草太が邪魔だったのか。これももう1回観ないとだめかな。

(85点)
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「ドントウォーリーダーリン」

2022年11月12日 20時50分27秒 | 映画(2022)
無能ならば尻に敷かれておけ。


かつてはJ.キャリーの「トゥルーマンショー」、最近では「フリーガイ」なんかが当てはまるだろうか。主人公が暮らす世界が何者かに作られた虚構のものだったという設定の映画は一定の頻度で作られている。

大概のパターンとして、冒頭は何の疑いもなく平和な日常を送る主人公の姿が描かれ、それが些細なことをきっかけに「何かがおかしい」という感情が芽生え、大きなうねりに飲み込まれていくという流れで話が進む。作られた世界は必要以上に明るいトーンに彩られ、真実のどす黒さとの対比がおもしろさのポイントとなってくる。

そこで本作であるが、最初に思ったのは、これは「何かがおかしい」ではなく「すべてがおかしい」よね?ということであった。

主人公のアリスと夫のジャックは、ビクトリー計画という一大プロジェクトに参加している。計画の参加者は砂漠のど真ん中に作られた町に住んでいるが、町はプロジェクトのリーダーであるフランクが完璧に管理しており、そこに暮らす限りは絶対の安全が保証されているというものである。

現代を舞台にしているとは一言も言っていないが、住人たちは時流と隔絶された、いわゆる古き良き時代の生活を送っている。

ブラウン管のテレビを見て、レコードで音楽を聴く。朝の決まった時刻になると、それぞれの家から夫たちが一斉に家を出て、クラシックなアメ車に乗って同じ職場へと向かって行く。

フランクは混沌を嫌悪し、対称性に正しさを感じているようである。その世界で違和感なく過ごす住人たちにどうやって気付きが訪れるのか。

アリスにとってのきっかけは隣人のマーガレットの異変であった。不安定で何かに怯えるような様子を見せる彼女に関し、周囲の人たちは一様に「彼女は病気で治療が必要」と言う。

しかし思い返せば、自分もときどき妙な幻想を見ることがあるし、卵料理を作ろうとしたら殻だけで中身がなかったというようなおかしなこともある。アリスの中に疑心が混じった好奇心が生まれた。

社会生活というのは、日々いろいろな人と出会って触れ合うことを重ねて経験値を積み上げていくものである。しかし、フランクは物理的に囲い込むことで、町の住民の成長を止めて思考の多様性を奪った。

彼の言うことは間違いない、彼に従っていれば大丈夫。シンプルな論理は、楽で気分がいい。でも、それが誤りだったとしたら?

世間を騒がせている新興宗教や社会の分断などは、シンプル思考が先鋭化したなれの果てという感じがする。気付けないのか、気付きたくないのか。

「気付いてしまった」アリスは、たとえ狂人に思われようとも同調に抗おうとするが、興味を引くのは、この世界の本質を理解した上で暮らしている住民たちである。

客観的に「すべてがおかしい」と見える世界が彼らにとっては理想郷であり、実はそれを多様性の面から否定することはできないのである。

この映画で最後まで分からなかったのは、フランクがなぜこの世界を作ったのかである。普通に考えれば金儲けなんだけど、ビジネスならアリスのようなケースを想定した危機管理はするはずなので、自分の理想郷を強引にでも拡大して世界を変えようとしていたと見る方が正しいのかもしれない。

ところどころ「?」が浮かぶ展開や演出もあったが、やはりこのジャンルに外れは少ない。

(80点)
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「チケットトゥパラダイス」

2022年11月09日 21時34分55秒 | 映画(2022)
浮世離れの安定感。


G.クルーニーJ.ロバーツ。20年以上トップに居続けるザ・ハリウッドなトップスター2人の競演。それでいて大作感のない肩の力を抜いたようなハッピーな娯楽作品というところが、逆に目を引く本作。

二人の役どころは10年以上も前に別れた元夫婦のデヴィッドとジョージア。顔を合わせれば必ず嫌味の言い合いになるほど相性は最悪。

そんな二人の唯一の共通点が一人娘への愛情の深さだったのだが、その娘が卒業旅行で訪れたバリ島で現地の男性に恋をして結婚を決断してしまう。

これは一大事と休戦協定を組んで何とか結婚を思いとどまらせようと旅立つのだが・・・というお話。

G.クルーニーが演じるデヴィッドは決してかっこいい父親ではない。口は悪いし、踊りもダサい。年頃の娘にとって、愛情はあるけど若干うざったいという典型的な父親である。

一方のジョージアも、まだまだ恋愛は現役で知り合いのパイロットから求婚されているという設定ではあるが、必要以上にデヴィッドを罵ったり、娘の結婚を邪魔するために非道徳なことをしてしまったり、こちらも欠点が露出した、決してスマートじゃない女性となっている。

しかし、この困った両親も二人のスターが演じると何をやっても気品やオーラがにじみ出てくるから不思議だ。世の中アンチエイジングと言って背伸びしてがんばっている人が多いけど、元が備わっていれば、大スターじゃなくてもそれなりに輝いていられるのではないだろうかと少し思った。

映画の紹介では、なんとか娘の結婚を阻止しようと二人が駆け回るような印象を抱くが、上に書いた二人の気品も手伝ってドタバタコメディーにはなっていない。両親とも実際には結婚を潰そうという気持ちは半分程度で、もう半分は自分の娘を信頼して結婚を確認しに来ているように見えた。

そんな娘のリリーを演じたのは、「ディアエヴァンハンセン」でも好演していたK.デヴァー。彼女の理知的な佇まいは、両親の揺るぎない信頼を理解する助けになっている。

他の登場人物も悪人はおらず、南の島の明るい陽射しが常に降り注ぎ、物語も絵に描いたようなハッピーな展開を見せる。

驚きや発見があるわけではないけれど、閉塞感に覆い尽くされそうになる中で、映画館にいるときくらいは幸せな気分に浸りたいという思いにしっかりと寄り添ってくれる、実は稀有な作品なのであった。

(75点)
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「天間荘の三姉妹」

2022年10月30日 15時55分25秒 | 映画(2022)
生ある者の再生と、生なき者の救済と。


観る前にどの程度の情報を持つことが正しいのか。これは映画人生の永遠のテーマである。

本作について知っていたのは次の二つ。何かの原作のスピンオフ作品であること。そして、主人公が生と死の狭間の世界に迷い込む話であること。

天間荘はその狭間の世界・三ツ瀬に建つ旅館。やって来るお客は現実の世界では瀕死の状態にあり、この旅館に滞在する間に生き返るのかあの世へ旅立つのかを自分で決めなければならない。

ある日、天間荘へ連れてこられた主人公・たまえ。彼女は実は天間荘で働く若女将・のぞみと、その妹で近所の水族館で働くかなえの、腹違いの妹であった。

物語の前半は、右も左も分からない世界に連れてこられながらも素直な心で奮闘するたまえと、突然知らない親族が客としてやって来て戸惑いながらも、たまえの純粋さに心境の変化を見せる姉たちを中心に進む。

この時点で本作の世界のルールは分からない。ただ確実なのは、この旅館の宿泊客が相当な「訳あり」であることであった。

1か月も滞在している財前さんは気難しく、大女将や若女将の言うことを聞かなかったが、たまえのことは気に入って次第に笑顔を見せるようになる。

たまえと姉たちが決定的に異なっている点、そしてこの世界が生まれた謎が、後半に怒涛のように描かれる。

日本人は無宗教者が多いと言われるが、それは決して信心がないとか欠けているとかいうわけではなく、おそらく我々の多くは他国の人たち以上にスピリチュアルなものへの関心が高い。

それはこの国が豊かな自然を有する一方で、災害の危険性と常に隣り合って生活しているからにほかならない。だから、個人としての神を信仰するのではなく、もっと大きな括りでの祈りを捧げるのである。

長い歴史の中で何度も大きな自然災害に遭ってきた我々は、この世界がときどき理不尽なことを起こすのを知っている。それでも打ち負かされる度に立ち上がってでき上がったのが、いまのこの国なのである。

三ツ瀬に暮らす人たちの何が違うのか。なぜのぞみたちが財前さんとそりが合わなかったのか。それは彼女たちがある種の諦めを抱いていて、その空気感が伝わったからではないのかと感じた。

現実を見ずに安住の地に居ることは楽かもしれない。しかしそれでは前へは進めない。

生きているとままならないことがたくさんある。むしろ上手くいくことの方が少ないかもしれない。でも、生まれた意味はきっとある、自分の役割はきっとあると思えば、この世界も案外悪くないと思えるようになるのではないか。

エンディングで流れる玉置浩二絢香の曲。ただ綺麗なのではなく、昼の日差しも夜の闇も、夏の暑さも冬の寒さも、すべてを湛えるから世界は美しいのである。

主題歌もそうだが、配役がとにかく豪華。ほぼテアトル系専属だったのんが座長の作品に、カメオ出演を含めてこれだけの俳優陣が集まったことに感動した。

ただ、この舞台装置だったら、主人公をのんが演じるのは必然としか言いようがない。宮城県人にはとにかく刺さる。中村雅俊高橋ジョージは県人枠というところか。

(90点)
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「LAMBラム」

2022年10月24日 22時55分02秒 | 映画(2022)
歪んだ幸せは長くは続かない。


羊と「禁断」の組み合わせで思い出すのは、クローン羊として世界的な話題を呼んだ「ドリー」である。

羊って、見れば見るほど表情が乏しく1頭1頭の違いが分かりづらい。そのうち、小屋で飼われている何頭もの羊が、ドリーの印象も相まってクローンもしくはCGか何かの合成に見えてきてしまった。

もちろん禁断の存在である「アダ」は特殊技術で作られたモノに間違いないのだが、小屋で飼われていた羊や、自分の子供を心配して家に見に来た羊はどうだったのだろう。

事前の情報で「アダ」がどのような存在なのかある程度知ってはいたが、映画の中ではまったく説明がない。前半に出てくる人間がイングヴァルとマリアという羊飼いの夫婦だけなので台詞もほとんどない。なので、禁断が誕生する瞬間もことのほか淡々と進み、二人は当然のようにそれをわが物とする。

人間の年齢にすると4歳か5歳くらいになったのだろうか。二人とアダは完全な親子として日常を送っていた。ともに食事をし、農作業に出かけ、お風呂に入り、寝床に就く。

ある日、イングヴァルの弟が現れてともに暮らすことになる。ここでも二人は当然のように彼にわが子を紹介する。戸惑う弟にイングヴァルは告げる。

「これは我々の"しあわせ"なんだ」

常識的には疑うべきであるにも拘らず、イングヴァルと妻のマリアにとってその存在は必然であった。これは神が私たちに授けた贈り物に違いない、と。

弟はこの狂気をあいまいに受け入れたが、終わりは突然にやって来る。

二人は誤ったことをした。ただ、それを責められるかといえば断定はできないような気がする。埋められずにいた心の隙間が原因で、思いがけず落とし穴にはまってしまったと考えると、突拍子もない設定ながら極めて普遍的な話であると感じた。

(70点)
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「グッドナース」

2022年10月22日 10時51分37秒 | 映画(2022)
誰かがどこかで止めていれば。


ジェンダーフリーがかなり世の中に定着し、男女を分ける言葉やカテゴリーの多くが姿を消したり形を変えたりしているが、幸いにも"nurse"という単語には性別を固定する概念がなかったため引き続き、というよりもむしろ頻繁に使われるようになった気がする。

本作に登場する主役二人も女性と男性の"nurse"である。細かい背景は説明されないが、二人とも子供を持つが配偶者とは別離しており、自らの収入で生計を立てなければならない看護師という立場にある。

特に女性看護師のエイミーは心臓に危険な病を抱えており、子育てと仕事と健康維持という難題をぎりぎりのバランスで毎日をこなしている。そんなときに男性看護師のチャーリーは、夜勤のヘルプとしてエイミーの病院へやって来た。

多くの病院で勤務した経験を持つチャーリーは、仕事での助けになる以上にエイミーの体調や家庭を気遣ってくれるようになる。そんな彼に信頼を寄せるエイミーであったが、その傍らで病院では不可解な事件が立て続けに起きるようになる。

冒頭に流れる過去の別の病院での緊急事態の様子でストーリーの柱は予測が付き、実際その予測に間違いはなく、そういった意味で展開の妙を楽しむ種類の作品ではない。

しかし、それを差し引いても主役の二人を演じるJ.チャステインE.レッドメインに終始目が釘付けになる。

苦しみ、悲しみ、信頼、疑惑と揺れ続けるエイミーに対し、常に包み込むような穏やかな表情のチャーリー。しかし、その笑顔のすぐ下にはどす黒い感情が蠢いていたのである。

本作は実話に基づいた話であり、映画の中でも実際にも犯罪の動機は不明とされている。

確かにわが国でも、医療機関や介護施設に勤務する者が患者や利用者を標的にした犯罪を犯す事件を聞くことがある。おそらく彼らは根っからの犯罪者ではなく、その職業を目指したときは尊い目的を持っていたはずだ。

しかし何かがそれを変えた。医療や介護ばかりではない。国会議員も不祥事を起こした企業の役員も同じである。

この映画の中で最も衝撃だったのは、事件に関わった病院がことごとく隠ぺいに走っていたことだ。悪い報せほど早く報告するのが鉄則と言われる中で、あまりに手に負えない案件だと蓋をしてしまおうとするのは万国共通なんだと虚しい気持ちになった。

一連の事件で被害に遭った遺族の方々に心からお悔やみを申し上げたい。

(80点)
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