Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「裏切りのサーカス」

2012年06月29日 23時26分04秒 | 映画(2012)
後追いに終始。


怪しげな登場人物が多い。舞台が飛び、時間が飛ぶ。狂言回しによる解説はなし。

とにかく物語が難解だ。

何か起こりそうな空気や個性的な俳優陣のおかげで、一瞬の眠気にも襲われなかった。にも拘らず、肝心なところで物語を見失ってしまっていた気がする。

裏の世界を描きつつも、派手な撃ち合いなんてものはない。とことん張り詰めた糸の上を渡るような心理戦。

分かっていても、本部から機密情報を持ち出そうとするときのスリルは、観る側を強く締め付ける。

ただ、次の展開に移ったときに、なんでこう来るんだっけ?と突然置いてきぼりを食ってしまう。

なんて頭悪いんだ自分・・・と若干落胆しながら、懸命に頭の中で話を繋げていくしかなかった。

結局「もぐら」は一人だったのか?一緒に動いていたTINKERやSOLDIERは何だったのか?

(50点)
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「ファミリーツリー」

2012年06月28日 23時12分13秒 | 映画(2012)
それでもそばにいる。


何事もないように重ねられていく日常は、良くも悪くも家族としての実績を形作る。

家族が大事だという思いは持っていながら、日々の仕事にかまけてついおろそかになってしまっていた主人公マット。

妻が突然いなくなって(正確に言えば姿はあるのだが)初めて見えたものは、ちょっとやそっとじゃ取り返せないほど変わってしまっていた家族それぞれの関係だった。

あのG.クルーニーが、焦りの表情でどたどた走り、どうにも趣味の良くない赤いシャツを着る。

顔も声もG.クルーニーなのに、どう見ても年頃の娘が煙たがりそうなオヤジになっている。

でもオヤジはがんばる。丁寧にがんばる。

途方に暮れたり、逆上したりしそうになっても、今一度踏みとどまり、父として、家長として、果ては由緒ある一族の末裔としての責務を果たそうと努める。

そんな姿を間近で見ながら、自らも成長し父親との距離を縮めていく長女アレックスが強く印象に残る。

改めて家族とは何なのかと考える。

マットには財産分与の権利を有する多くのいとこたちがいる。

土地を処分するための会議で顔こそよく合わせるものの、彼らには妻エリザベスの生命維持装置を外すことを伝えていない。

血が繋がっているから家族なのではない。お互いがかけがえのない存在と思えることがまず大切なんだ。

相手の心が自分に向かい、自分もそれに応えるだけの気持ちを持っている。そのときに自分たちが「家族」であるという感情が生まれるのではないだろうか。

かっこ悪い父親を疎ましく思うかもしれない。言葉遣いが汚い娘にがっかりするかもしれない。でも少し間をおけば、自然と同じソファに座ってテレビを見ている。それがきっと家族だ。

娘のBFシド、義父のスコット、妻の浮気相手ブライアン・スピアーとその妻ジュリーと、マットの周りには、どうにも相容れることが難しそうな人物が多く登場する。

しかし彼らは決してただ邪魔なだけの存在ではなく、彼らにも家族が存在し、浅からぬ思いを抱いていることをしっかりと描いている。

こうした点が、映画全体の温かく柔らかい空気を醸し出していて好印象を残すのだろう。ハワイの風景とともに。

(90点)
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「ソウルサーファー」

2012年06月17日 01時13分38秒 | 映画(2012)
前へ、前へ、前へ。


あまりによくできた話というのは、見ている方が恥ずかしくなってしまうことがあるのだが、エンドロールを観るかぎり、この映画はどうやら事実をほぼ忠実に再現しているようだ。

神は乗り越えることができる者にこそ試練を与える。

近視眼的なアプローチでは物事の本質は見えない。

これは全篇を通して主張している本作のシンプルかつ強いメッセージだ。

ヒロイン・ベサニーは、ハワイに生まれ、両親も兄も親友も日常=サーフィンという環境の中で育ち、何の迷いもなくプロサーファーを目指すサーフィン漬けの日々を送っていた。

そこでの突然の事故。

自分にサーフィン以外の道はないと一度は再起を目指すも壁にぶつかり、改めて突きつけられる人生の選択。

しかし彼女は、自らの強い意志と冷静な判断、周囲の深い愛情により正しい道を導き出す。

一度はサーフィンの道を諦めかける設定になっているが、本当にそんな迷いがあったのか信じられないほど、それ以外のベサニーは強く見える。

それはやはり彼女にとっての海の存在の大きさにほかならない。

冒頭で、自分の血管には海水が流れているという言葉があったとおり、すべての土台であり、創造主=神にも近い存在なのだろうと推測すると同時に、信じることの強さを思い知らされる。

翻ってわが国は、まさにいま震災後の混乱の中を生きている。

進むべき道を決められず未だ迷い続けているが、我々はできると信じることが何より大切だ。同時に、近視眼的に些細なことを妄信してしまうことは避けなければいけない。

シンプルで強い物語を彩るのは、美しいハワイの海と華麗なサーフィンのパフォーマンスだ。

A.ロブH.ハントD.クエイドといった演者たちは、地元のサーファーとしてスクリーンにぴったりハマっていた。

かなり差し替えもあったのだろうと想像するが、超一流のサーファーの演技も充実。大きな波が次々に押し寄せるハワイの海のスケールの大きさも実感した。

あとの注目はC.アンダーウッドだろう。ようやく日本版のアルバムが発売された既にスーパースターの彼女だが、ベサニーの指南役といういきなりの重要な役で出てきたのには驚いた。

(70点)
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「ロボット」

2012年06月10日 23時40分28秒 | 映画(2012)
ハリウッドよ、これが映画だ!


かつてマサラ映画ブームがあったのは、もう10年以上前のこと。

いまだ「スーパースター」の地位が揺るぐことないラジニカーントは、1949年生まれというから御歳63歳!

一応近未来志向であったり、ミュージカル部分がやや少なめだったり、いわゆるインド映画からすれば少し変化があるが、その一方でサービス精神は突き抜けんばかりの力がある。

ラジニカーント、何でもやります。

アクション、ロマンス、ミュージカルは当たり前。メイクも派手に、ちょっとスプラッター気味があったかと思えば、火災に出産に奔走し、最後はチョコレート工場のウンパルンパ並みの増殖から一気にトランスフォーム。

いわば一人アベンジャーズ状態、もしくはそれ以上。この1本観るだけで、ハリウッド映画数本のカロリーが摂取できる。そんな感じだ(あくまでカロリー換算)。

宣伝のポスターでは中心に写る女性がロボットのように見えるが、彼女は疑いなく人間のヒロイン。非常に綺麗。

でも、年齢差30歳近くありながら違和感なく恋人役を演じられちゃうラジニカーント。結局は彼のすごさに行き着かざるを得ないのがこの映画。

見どころがたくさんある中でいちばん笑えた(?)のは、感情を備わってから初めてヒロイン・サナのキスを受けた瞬間のロボット・チッティの表情。シンプルだけど、なかなかお目にかかれない類のものだ。

そして"Intermission"の文字。やはりインド映画といえば大長編、の構成は健在であった。

あと興味深かったのは、主役の博士がこのロボットを作った目的が軍事用だったってことと、その設定自体があまり否定的に扱われていないこと。ライバルの邪魔が入らずすんなり兵器として使われていたらどうなったんだろう。

(80点)
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「君への誓い」

2012年06月10日 22時21分13秒 | 映画(2012)
積み重ねる時間の尊さ。


実話に基づいたストーリーという下りはよく聞くし、記憶喪失という事象も遥か昔から使われている鉄板だ。

それでもこの物語が陳腐に感じられないのは、もちろん妻・ペイジ役をR.マクアダムスが演じているからと、あとひとつ、夫・レオが独白する人生観に共感するところがあったからだと思う。

人生には決定的瞬間が訪れる時がある。大きなうねりの前では、それまで積み重ねてきた時間は何の力も持たない。

交通事故に遭ったペイジは、ある瞬間以降の記憶をすべて失う。そこにはレオと過ごしたすべての時間が含まれており、力を持つどころかペイジの中にレオは存在すらしなくなってしまった。

かつての漫画「キャッツアイ」の最後で、記憶を失った瞳に対して「こんなすばらしいことはない。瞳ともう一度恋ができるなんて」と俊夫が言う場面があるが、この映画では、前のフィアンセに思いを寄せている時点で記憶が途切れているなど、なかなか状況は複雑で厳しい。

何て理不尽なと思いそうになるが、そこにも当然意味はあった。記憶が切れる瞬間こそがペイジの人生の分岐点であり、その後の時間の積み重ねで必然的にレオと出会うことができたのだ。

ペイジの両親の立場になって考えてみるのも興味深い。ある時、突然針路を大きく変えて自分らの元を離れていった娘が、突然その時点まで戻ってきたのである。

例えば新興宗教にハマってしまったなんて状況だったら、それは全力でもう娘は離すまいとするだろう。

しかし、謎解きのような展開で明かされるペイジの分岐点。改めて過酷な事実と向き合ったペイジの行動が興味深い。

前回は両親と完全に絶縁してしまったのに対し、今度は、一緒に住むことこそやめるが、父の計らいで再入学した法学校に通いながらゆっくり人生を見つめ直すのだ。

そして彼女の新しい人生の選択に大きく影響するのが、記憶にはないが記録として残っていたレオとの誓いの言葉だった。

大きなうねりの前では無力かもしれない日々の積み重ね。それでもそれはいまの自分を確立したすべてであり、一つとして無駄な瞬間はないのである。

「シャーロックホームズ シャドウゲーム」「ミッドナイトインパリ」ではちょっと残念な役回りだったR.マクアダムスは、今回はヒロインとして本来の輝きを存分に発揮しており、そんな彼女の姿を拝めるだけでも個人的には観る価値ありだった。

(80点)
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「メンインブラック3」

2012年06月03日 17時23分09秒 | 映画(2012)
宇宙の次は時空を越えて。


本作の公開に合わせてTV放映した「1」と「2」を観た。

特に1作目は印象が強く、少し観ただけで当時の記憶が次々に戻ってきた。独身で北九州に住んでいた時分、黒ずくめの男二人のポスターやパネルを見て、公開前のかなり早い頃から期待を膨らませていた。

実際に観たときは、ミクロとマクロが結び付いている世界観や、誰も知らない存在が地球の平和を守っているという舞台背景を大いに気に入ったものだ。

ちなみにそのときの映画館は海老名のワーナーマイカルシネマズ。まさかその頃は、その近所に住むようになるとはこれっぽっちも思っていなかった。

「2」も「3」も、タイトルロールの独特の字体は変わらず。不思議なもので、その字を見ただけでこれから起きる何かに期待を寄せてしまう。

が、今回の3作目。うわさによると、図らずも涙を誘われる感動の場面があるとか。本当?しかもそれっていいの?と少々疑問を抱きつつ本編に入った。

「2」から既に10年。主役2人以外のキャストはさすがに交替せざるを得なかった。管理職のZと犬の姿の半相棒のフランクは逝去の設定。

それでも、W.スミスは相変わらず若々しいし、T.リー・ジョーンズもCMで見慣れていることもあって、10年も経ったという感覚はしなかった。

その他では、MIB本部の外観や内装もさほど変化はなし。10年って、世の中変わったようで実は変わっていないのかもしれない。そもそも宇宙とは規模が違う。

今回の物語は、簡単に言えばBKTFである。

ビフみたいな宇宙人が、過去に戻ってマーティーの父=「K」を亡き者にしたせいで現代が危機に。それを覆すべくマーティー=「J」も過去に飛ぶ。

もちろん決してパクりなどではなく、話はおもしろいし盛り上がる。

何より1969年という設定が効いている。ラブ&ピース、アポロ計画、NYメッツという、長い時間を経ても色あせないトピックが詰まったこの時期は、米国と取り巻く世界にとって大きな転換期であった。

そこにMIBが、誰にも知られることなくがっしりとくさびを打ち込んでいたというのが、本シリーズの基本を忠実に押さえた設定でありおもしろい。

そして最後に待っていたのが巷で言われていた「感動」だった。何も気にせず端役の使い捨てかと思った直後の展開には正直驚いた。

辻褄は・・・などと考える前に「そう来たか」と唸ってしまったので、その時点で脚本の勝ち。

ついでに言えば、若き「K」にJ.ブローリンを当てたことも大きい。ポスターを見た時点で「やられた」と思ったが、劇中でもCGを使うよりよほど自然でよかった。

途中からキーマンとして現れる希少種の宇宙人グリフィンも、シリーズの世界観を後押しした。

世の中は、無限にある可能性の一つ一つを辿って進んだ成果である。その意味では、無駄なものなんて一つもない。それが宇宙に比べて取るに足らないほど小さな存在であっても。

自らの存在を理解すること。奇をてらうことなく可能性を着実に追求すること。

何か現代を覆う閉塞感を破るヒントって、意外にこんなところに隠れているのかもなどと思った。

独身のとき海老名のワーナーマイカルで観た「1」から14年余り。「3」が、同じ海老名ながらTOHOシネマズで娘と3D観賞というのも感慨深かった。

(90点)
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