100年目の分断。
最後に東京ディズニーリゾートへ行ったのはいつだったか。子供の希望に応えてクルマを走らせて、湾岸を下りる側道でスピード違反の切符を切られたときだから、もう10年ほど前になるのかもしれない。
時代は大きく変わった。USJの台頭で必ずしもディズニー一強ではなくなり、新型コロナを経て人々の生活様式も様変わりした。何より世界情勢も含めて世の中全体がきな臭くなっている。
そのような中で迎えたウォルトディズニーカンパニー創立100年の節目。記念作品として大々的に世界公開された本作であるが、北米での興行成績はどうも芳しくないらしい。
まず言っておかなければいけないのは、作品自体の完成度が低いわけではないということである。作画や音楽にしっかりと力を入れて作られていることは十分に伝わってくる。
問題は設定である。
テーマはタイトルにもなっている「希望」。魔法の力で人々の希望を支配する国王に主人公・アーシャが立ち向かうという話であり、ディズニーがこれまで紡いできた歴史の中心軸といえる内容である。話の構成は勧善懲悪で、前向きな主人公、優しい親族、個性豊かな友人、かわいらしい相棒キャラクターと、配役も王道。おそらくディズニーファンであれば大いに満足できる物語だろう。
しかし前述のとおり時代は変わった。ディズニーが人一倍気を遣っている多様性の時代である。既にディズニーの価値観が多数派ではなくなっているのである。それでも、その事実を理解して価値観の押しを抑えめにして、ほかのエンタメ要素を前面に出す戦術もあったが、彼らはそうしなかった。
このアーシャという主人公の価値観こそが絶対正義であると、これまでの作品の作り方を踏襲してしまったが故に、ライトな支持層からも離脱者が出てしまっているのが現状なのではないか。アーシャは国民を無視する国王のやり方を非難するが、見方を変えればアーシャのやり方も極めて独善的に映る。あれは国王の所有物ではないのだから盗んでもよいとか、おじいちゃんの願いだけまず取り戻そうとか。
そんなわけで、とにかくアーシャという主人公に魅力がない。見た目のポリコレは、それが予算を集めるのに都合が良いのだから、仕方がないというか当然の選択なのだが、それ以上に、前向きだとか、諦めないとか、ちょっとだけドジであるとか、既視感のあるキャラクターであることがいただけない。肌の色やそばかすなど外見の多様性に拘る割りに、主人公のキャラクターが画一的になるのはディズニーの致命傷と言ってもいいと思う。
そうした登場人物が集まって「希望は諦めなければ必ず叶う」とまで言っていないのは救いだが、画面に出てくるキャラクターたちは希望を持つことですごく満たされており、そこはおそらく現在の生活や先行きに不満や不安を持つ多くの人たちにとって共感できるものではないであろう。
そもそも多様性の時代において希望の追求は対立を招くことが自明である。アラブの希望、ユダヤの希望、中国の希望、台湾の希望。みんな抱くことは否定しないが、それらがすべて叶うことは不可能であり、諦めたり妥協したりというプロセスがなければ成り立たない。そこに目を向けないのであれば浮世話に徹底した作りにすべきなのである。
繰り返しになるが、本作はコアなディズニーファンにとっては大満足であろう。しかし、多くのそれ以外の人には刺さる内容にはなっておらず、皮肉にもディズニーが標榜してきた多様性が順調に進んでいることの証左となっている。彼らが今後も理想を追求して作品を作り続けるとしたら、世の中の一部の勢力を対象とすることを前提に作品の規模等を考えなければいけないことになるだろう。
(15点)
最後に東京ディズニーリゾートへ行ったのはいつだったか。子供の希望に応えてクルマを走らせて、湾岸を下りる側道でスピード違反の切符を切られたときだから、もう10年ほど前になるのかもしれない。
時代は大きく変わった。USJの台頭で必ずしもディズニー一強ではなくなり、新型コロナを経て人々の生活様式も様変わりした。何より世界情勢も含めて世の中全体がきな臭くなっている。
そのような中で迎えたウォルトディズニーカンパニー創立100年の節目。記念作品として大々的に世界公開された本作であるが、北米での興行成績はどうも芳しくないらしい。
まず言っておかなければいけないのは、作品自体の完成度が低いわけではないということである。作画や音楽にしっかりと力を入れて作られていることは十分に伝わってくる。
問題は設定である。
テーマはタイトルにもなっている「希望」。魔法の力で人々の希望を支配する国王に主人公・アーシャが立ち向かうという話であり、ディズニーがこれまで紡いできた歴史の中心軸といえる内容である。話の構成は勧善懲悪で、前向きな主人公、優しい親族、個性豊かな友人、かわいらしい相棒キャラクターと、配役も王道。おそらくディズニーファンであれば大いに満足できる物語だろう。
しかし前述のとおり時代は変わった。ディズニーが人一倍気を遣っている多様性の時代である。既にディズニーの価値観が多数派ではなくなっているのである。それでも、その事実を理解して価値観の押しを抑えめにして、ほかのエンタメ要素を前面に出す戦術もあったが、彼らはそうしなかった。
このアーシャという主人公の価値観こそが絶対正義であると、これまでの作品の作り方を踏襲してしまったが故に、ライトな支持層からも離脱者が出てしまっているのが現状なのではないか。アーシャは国民を無視する国王のやり方を非難するが、見方を変えればアーシャのやり方も極めて独善的に映る。あれは国王の所有物ではないのだから盗んでもよいとか、おじいちゃんの願いだけまず取り戻そうとか。
そんなわけで、とにかくアーシャという主人公に魅力がない。見た目のポリコレは、それが予算を集めるのに都合が良いのだから、仕方がないというか当然の選択なのだが、それ以上に、前向きだとか、諦めないとか、ちょっとだけドジであるとか、既視感のあるキャラクターであることがいただけない。肌の色やそばかすなど外見の多様性に拘る割りに、主人公のキャラクターが画一的になるのはディズニーの致命傷と言ってもいいと思う。
そうした登場人物が集まって「希望は諦めなければ必ず叶う」とまで言っていないのは救いだが、画面に出てくるキャラクターたちは希望を持つことですごく満たされており、そこはおそらく現在の生活や先行きに不満や不安を持つ多くの人たちにとって共感できるものではないであろう。
そもそも多様性の時代において希望の追求は対立を招くことが自明である。アラブの希望、ユダヤの希望、中国の希望、台湾の希望。みんな抱くことは否定しないが、それらがすべて叶うことは不可能であり、諦めたり妥協したりというプロセスがなければ成り立たない。そこに目を向けないのであれば浮世話に徹底した作りにすべきなのである。
繰り返しになるが、本作はコアなディズニーファンにとっては大満足であろう。しかし、多くのそれ以外の人には刺さる内容にはなっておらず、皮肉にもディズニーが標榜してきた多様性が順調に進んでいることの証左となっている。彼らが今後も理想を追求して作品を作り続けるとしたら、世の中の一部の勢力を対象とすることを前提に作品の規模等を考えなければいけないことになるだろう。
(15点)
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