普通になることこそが難しかった。
外国に赴任していたとき、メイドを雇っていた。
トイレは別だった。借りた集合住宅が初めからそういう仕様になっていたので、雇われる側も特に差別感を感じることはなかったと思うが、実際はよく分からない。
本作は、メイドを人間扱いしないことが当然という時代と地域を舞台にしている。
幼い頃に世話になり教育を受けたにも拘らず、大人になると周りに同化し差別の助長に加担し社会環境は引き継がれていく。
虐げられてきたメイドの暴露本とも言える"THE HELP"には、雇用主である白人たちの非道ぶりがてんこ盛りだ。
しかしこの映画は、勧善懲悪の図式を示しながらも、結果としてメイド側の全面勝利という結末にはならない。
暴露したことを後悔はしないものの、メイドの一人、エイビリーンの未来に明確な光が射すわけではない。むしろ先には更なる苦難が待ち受けているようにも見える。でも、これが現実。
エイビリーンたちが投じた一石が少しずつ波状に拡がって、初めてスタート地点に立てるのである。言い換えれば、そこから改めて雇う側と雇われる側という普通の関係が始まるということ。
普通の関係とは何かといえば、それはお互いが歩み寄れる関係だ。
暴露本はメイド側からの話ということもあり、意地の悪い白人と善良な黒人という図式になっているが、これでは普通の関係にはなれない。
実際には善い白人も悪い黒人もいる。
例えば、多くのメイドが決起する直接のきっかけとなった指輪事件。雇う側はメイドに金を工面するべきだったのか。メイドが指輪をくすねて現金化したことに問題はないのか。
友人同士でも金の貸し借りは禁物と言うし、在外勤務の際には盗癖のあるメイドを解雇したという話もよく聞いた。
要は、メイドであろうが誰であろうが、人とのつながりはそれぞれ千差万別で対応するということ。当たり前。
でも、彼女らにはその当たり前すら成り立っていなかったわけで、それ故の苦悩がここでは描かれているのである。
その物語を、決して惨めさを極端に誇張することなく盛り上げた俳優陣は見事だった。O.スペンサーのアカデミー助演女優賞獲得には至極納得だし、白人側も黒人側もぴたりとハマって観る者を引き込んだ。
(70点)
外国に赴任していたとき、メイドを雇っていた。
トイレは別だった。借りた集合住宅が初めからそういう仕様になっていたので、雇われる側も特に差別感を感じることはなかったと思うが、実際はよく分からない。
本作は、メイドを人間扱いしないことが当然という時代と地域を舞台にしている。
幼い頃に世話になり教育を受けたにも拘らず、大人になると周りに同化し差別の助長に加担し社会環境は引き継がれていく。
虐げられてきたメイドの暴露本とも言える"THE HELP"には、雇用主である白人たちの非道ぶりがてんこ盛りだ。
しかしこの映画は、勧善懲悪の図式を示しながらも、結果としてメイド側の全面勝利という結末にはならない。
暴露したことを後悔はしないものの、メイドの一人、エイビリーンの未来に明確な光が射すわけではない。むしろ先には更なる苦難が待ち受けているようにも見える。でも、これが現実。
エイビリーンたちが投じた一石が少しずつ波状に拡がって、初めてスタート地点に立てるのである。言い換えれば、そこから改めて雇う側と雇われる側という普通の関係が始まるということ。
普通の関係とは何かといえば、それはお互いが歩み寄れる関係だ。
暴露本はメイド側からの話ということもあり、意地の悪い白人と善良な黒人という図式になっているが、これでは普通の関係にはなれない。
実際には善い白人も悪い黒人もいる。
例えば、多くのメイドが決起する直接のきっかけとなった指輪事件。雇う側はメイドに金を工面するべきだったのか。メイドが指輪をくすねて現金化したことに問題はないのか。
友人同士でも金の貸し借りは禁物と言うし、在外勤務の際には盗癖のあるメイドを解雇したという話もよく聞いた。
要は、メイドであろうが誰であろうが、人とのつながりはそれぞれ千差万別で対応するということ。当たり前。
でも、彼女らにはその当たり前すら成り立っていなかったわけで、それ故の苦悩がここでは描かれているのである。
その物語を、決して惨めさを極端に誇張することなく盛り上げた俳優陣は見事だった。O.スペンサーのアカデミー助演女優賞獲得には至極納得だし、白人側も黒人側もぴたりとハマって観る者を引き込んだ。
(70点)
何故かウルウルして最後まで観てしまいました。冷静さを失って観ていたわけでは
ないのですが、、、、。
記事を読ませて頂きハタと気づいたのは当たり前が何かということですよね。善悪の図式をいつのまにか無意識の間にこれで納得している
自分に気づいたような・・・。
お恥ずかしい限りです(汗)
いい話だったと思います。
劇中で描かれる差別の数々は基本的に異常でした。
大きな流れを変えるには、ある意味小さな違和感に目をつぶるのは必然だと思います。
ただ、いま進行形である事象の中にも異常と思しきものがありますが、
こちらはみんながパニック症候群に陥ってしまっていて
どうしようもない気がしています。
すみません、話がずれました
だけど今年のアカデミー賞、
作品賞ノミネート枠10のうち9しかないし、
この作品も入れる程かなぁっていうのが正直なところ。
ほかにもファミリーツリーや戦火の馬とかマネーボール。。。
昔はほんとに名作と言える作品、面白い作品が入ってたけど。5作品に戻しても良いのでは?って思えてます。
そうですか、ノミネート9作品だったんですか。
気付きませんでした、というかアカデミーも結構いい加減なものですね。
枠を増やしたのは、何より商業的な意味合いが多いと考えれば、
効果が見られない限り揺り戻しもあると思うのですがどうでしょうか。
さすがに全作品観られないので、
比較する楽しみがなくなってしまいました・・・。