思惑の範囲に収まらないのがスーパースター。
音楽映画はテンポが大事。そのあたりB.ラーマン監督は手慣れたもの。
才能に命が吹き込まれる少年時代、未知の世界を切り開き社会現象を巻き起こす黎明期、社会の壁と衝突しながらも自分を貫き進んで行く円熟期、そして家庭や健康の崩壊を経て迎える終末期と、エルヴィスが辿った波瀾万丈の人生を異なる色合いで小気味良く描いてみせている。
そして誰もが分かっていると思うが、本作のもうひとりの主役はエルヴィスを長年支えたプロデューサーのトムパーカー大佐である。
世間ではエルヴィスを食い物にしたとして悪役的な捉えられ方をされており、本作でもビジネスに徹底した言動や行動が際立っている。
しかし、ここが巧いところなのだが、大佐の語りで進む物語では、彼は必ずしもエルヴィスをいいように利用してるわけではない。
もちろん自分に儲けが転がり込むことが最優先だが、その手段として常に彼の才能を最大限に活かす方法を考えていた。そしてそこには彼や彼の家族の生活を守り長く商売を続けていくことも含まれていた。
二人の不幸はいくつかある。
まず、エルヴィスの才能が大佐の掌中に収まらなかったことである。人種問題で非難を浴びたときに大佐は路線を変更することで逆風をかわそうとしたが、エルヴィスは小手先の対処法を良しとはしなかった。
次に、エルヴィスが優し過ぎたことである。大佐と連れ添っていくことに限界を感じ、新しい仲間と世界を目指すと決めたはずなのに、最後に「お世話になった人だから」とあいさつをしに行ってしまった。そこで大佐の言葉に丸め込まれラスベガスのホテルショーに「軟禁」されてしまう。
ショウビズ界では、ステージを上げるために情を捨てて過去を断ち切ることはよくある話と承知しているが、それができなかったのである。世界は危険だからしばらくは米国内で活動って、確かに70年代は過激派が相当はびこっていたけど、米国だって劇中に出てくるような暗殺事件が起きていたじゃないか。
そして最後は、エルヴィス自身のコントロールがままならなかったことだろう。映画の中で足早に彼の足跡をたどると、演出もあるだろうけれど、一定程度は大佐に従うものの最後は大爆発を起こしてしまう繰り返しである。
この手の伝記もので必ず辿り着く結論なのだが、スーパースターという生き物は、決まって生き方が不器用なのである。
現代はこうした不幸を出さないように、特に管理面で工夫がされているのだと思う。でも、逆説的だけど管理されている限りは常識を超えるスーパースターが出てくることはないような気もする。
改めてエルヴィスは幸せだったのかを考えてみると、上では不幸という言葉を使ったが、良い人生だったのではないかと思う。母親こそ早いうちに失ったが、父や妻子は少なくとも不幸な道を辿ったようには見えない。彼自身は好きな音楽に囲まれて生きることができたわけだし、その意味では、大佐はそこまで責められるべき人物だったようにも見えないのである。
クセの強い大佐役のT.ハンクスが安定した重しとなる傍らで、新星のA.バトラーはスーパースターをみずみずしく演じ、随所に若手アーティストを巧みに採り入れた音楽が彩るなど、非常にバランス感覚の優れた作品であった。
(85点)
音楽映画はテンポが大事。そのあたりB.ラーマン監督は手慣れたもの。
才能に命が吹き込まれる少年時代、未知の世界を切り開き社会現象を巻き起こす黎明期、社会の壁と衝突しながらも自分を貫き進んで行く円熟期、そして家庭や健康の崩壊を経て迎える終末期と、エルヴィスが辿った波瀾万丈の人生を異なる色合いで小気味良く描いてみせている。
そして誰もが分かっていると思うが、本作のもうひとりの主役はエルヴィスを長年支えたプロデューサーのトムパーカー大佐である。
世間ではエルヴィスを食い物にしたとして悪役的な捉えられ方をされており、本作でもビジネスに徹底した言動や行動が際立っている。
しかし、ここが巧いところなのだが、大佐の語りで進む物語では、彼は必ずしもエルヴィスをいいように利用してるわけではない。
もちろん自分に儲けが転がり込むことが最優先だが、その手段として常に彼の才能を最大限に活かす方法を考えていた。そしてそこには彼や彼の家族の生活を守り長く商売を続けていくことも含まれていた。
二人の不幸はいくつかある。
まず、エルヴィスの才能が大佐の掌中に収まらなかったことである。人種問題で非難を浴びたときに大佐は路線を変更することで逆風をかわそうとしたが、エルヴィスは小手先の対処法を良しとはしなかった。
次に、エルヴィスが優し過ぎたことである。大佐と連れ添っていくことに限界を感じ、新しい仲間と世界を目指すと決めたはずなのに、最後に「お世話になった人だから」とあいさつをしに行ってしまった。そこで大佐の言葉に丸め込まれラスベガスのホテルショーに「軟禁」されてしまう。
ショウビズ界では、ステージを上げるために情を捨てて過去を断ち切ることはよくある話と承知しているが、それができなかったのである。世界は危険だからしばらくは米国内で活動って、確かに70年代は過激派が相当はびこっていたけど、米国だって劇中に出てくるような暗殺事件が起きていたじゃないか。
そして最後は、エルヴィス自身のコントロールがままならなかったことだろう。映画の中で足早に彼の足跡をたどると、演出もあるだろうけれど、一定程度は大佐に従うものの最後は大爆発を起こしてしまう繰り返しである。
この手の伝記もので必ず辿り着く結論なのだが、スーパースターという生き物は、決まって生き方が不器用なのである。
現代はこうした不幸を出さないように、特に管理面で工夫がされているのだと思う。でも、逆説的だけど管理されている限りは常識を超えるスーパースターが出てくることはないような気もする。
改めてエルヴィスは幸せだったのかを考えてみると、上では不幸という言葉を使ったが、良い人生だったのではないかと思う。母親こそ早いうちに失ったが、父や妻子は少なくとも不幸な道を辿ったようには見えない。彼自身は好きな音楽に囲まれて生きることができたわけだし、その意味では、大佐はそこまで責められるべき人物だったようにも見えないのである。
クセの強い大佐役のT.ハンクスが安定した重しとなる傍らで、新星のA.バトラーはスーパースターをみずみずしく演じ、随所に若手アーティストを巧みに採り入れた音楽が彩るなど、非常にバランス感覚の優れた作品であった。
(85点)