Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「サスペリア」

2019年01月31日 21時25分08秒 | 映画(2019)
ひとりの頭じゃ理解できない。


「決してひとりでは見ないでください」。同じ世代ならば映画ファンでなくても知っている名キャッチフレーズだ。

70年代のオカルトブームに続いて公開されたイタリア発の恐怖映画。子供だったぼくにとっては、映画館に足を運ぶ選択肢にもならないまま通り過ぎていった作品だった。

そんな懐かしい作品が40年ぶりにリメイクされると言う。しかも監督は昨年「君の名前で僕を呼んで」が高評価を得たL.グァダニーノ監督である。「サスペリア」をB級のスプラッタムービーと思っていたぼくには驚きであった。

ネット等に流れている情報を見るかぎりでは、話の大枠は踏襲しているものの表現やストーリーは大きく書き換えたらしい。強く印象に残ったのは、見た目に芸術性の高い仕上がりになっているということだった。

逆に言い換えれば難解な部分が多く、例えば主人公のスージーが観る悪夢などはいくつもの細切れの画像が脈絡なくフラッシュバックされ、それぞれが何を表しているのかを一度で理解するのはまず無理である。

映画全体を一言で片付ければ、舞台となるバレエ団は魔女の巣窟だったという話なのだが、この魔女の所業をどう捉えるかという点にも特徴が見られた。

バレエ団で起こる奇怪な事件と並行して背景でニュースとして流れるのは、70年代に社会を震撼させたドイツ赤軍によるハイジャック事件である。

魔女のバレエ団と赤軍。集団が狂気に囚われていく様子を重ねて描いたのか。時代の空気に流されて誤った道を進まないように現代社会に警鐘を鳴らそうとでもしているのか。

血しぶきが飛び肉体が引き裂かれるようなホラー映画の要素も残っている中で、監督のメッセージ性が強く前面に出た意識高い系の作品となっている。

ラストのオチもどうやらオリジナルとは大きく異なるようだ。スージーはよくあるホラー映画の主人公の女性像とは明らかに違っていた。ただ、この治め方は有りなのかもしれないが、どこか釈然としない点が残るのも正直なところである。

感性の違いもあり、人を選ぶ作品であることは間違いない。Thom Yorkeの音楽は画面と合っていて良かった。

(75点)
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「ホイットニー~オールウェイズラヴユー~」

2019年01月19日 16時22分10秒 | 映画(2019)
誰も救おうとしなかった。


ともにショウビズ界の歴史に残る大スターであるにも拘らずこの差は何だろう。

「ボヘミアンラプソディ」は空前の大ヒットとなり、世の中は何度めかのクィーンブームに沸いている。一方で本作は陽の光を避けるようにひっそりと限定公開されているに過ぎない。

内容も対照的だ。前者がエンターテインメント性に優れ観た人の気持ちを高揚させるのに対し、本作は記録映像とインタビューを織り交ぜたドキュメンタリーであり、至るところで音楽が流れているのにまったく娯楽性を帯びずに心が荒涼とするばかり。

観る前に抱いていた印象は大雑把に言えば、映画「ボディガード」で頂点を極めたW.HoustonはB.Brownの結婚のあたりからドラッグに溺れるようになったというもの。

米国社会は、銃規制に消極的なトランプ政権を声を荒げて批判をするのに何故薬物には甘く、むしろPV等で公然とドラッグ常用を想起させるパフォーマンスをするのかずっと疑問に思っていた。

しかしこの映画を観て感じたのは、あまりにも深いところに根差している問題への絶望だった。

80年代半ばにすい星のごとく登場した彼女の陰には、既にその後の破滅を招くすべてが存在していた。人種、性別、家庭・・・。世の中にあるすべての障壁をまとっていたと言っても過言ではない中で、彼女は幼い頃からドラッグ常習者であった。

彼女の才能を見込んで育て上げた母や、チームとしてビジネス面を支えた父や兄らが登場してそれぞれの見解を語るのだが、言葉を聞けば聞くほど彼女の才能を吸い取って生きてきたようにしか見えなかった。

もちろん仕方のない部分はある。黒人差別が残る中で貧困から抜け出そうとしたら並大抵のことではかなわない。

エピソードとしてM.Jacksonとときどき会って何も言わずに長い時間を過ごしていたということが挙げられていた。二人は黒人の地位向上に貢献しながら孤高の存在だったという共通点があった。

悲劇的な死で幕を閉じた彼女の人生だが、その功績が色あせることは決してない。シングルチャート7作連続1位は、現在の集計方式やリリースの傾向を見るかぎり永遠に破られない記録として残るだろう。

ただやはり悔やまずにはいられない。誰か助けられる人はいなかったのか。キーパーソンと思われる同性の女性はインタビューに出てこなかった。「ボヘミアンラプソディ」でフレディを救ったような家族や友人がいれば、大きなステージで再びスポットライトを浴びる姿を見られたかもしれなかったのに。

(70点)
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「アイフィールプリティ! 人生最高のハプニング」

2019年01月10日 08時07分13秒 | 映画(2019)
今年も1年がんばりましょう。


正月は何がおめでたいのかを竹田恒泰氏が調べたところ、「何もめでたいことはない」という結論に至ったそうだ。めでたいから祝うのではなく、おめでとうと声を掛け合うことによって良い空気を醸成することが重要なのである。

そういう意味からすれば、本作は現在映画館で観られる作品の中で最もお正月向きと言えるのかもしれない。お世辞にも器量良しとは言えない女子が、ふとしたことから自分がスーパーモデル級であると勘違いしたことによって人生が一転するポジティブなコメディである。

主人公のレネーは太めの体型から自分に自信が持てず、仕事もプライベートももやもやした毎日を送っていた。ある日、通っていたスポーツジムでの事故で頭を打ったときから鏡に映る自分の姿が一変。「私の夢がかなった」とあらゆることに積極的に取り組むようになると、仕事も彼氏もすべてがうまく回り始める。

設定が設定だけに展開はすべてがベタ。前半はコケたり服が破れたり徹底的に冴えないレネーをさらけ出す。

これがどう変わるのかがこの映画の肝なのだが、おもしろいのは彼女がどんなスーパーな美女になったのかはまったく映し出されないところである。

絵的には、こんな姿に変わったと彼女は思い込んでいるというビジュアルを示した上で、実際周りにはこう見えていると明確に映した方が分かりやすいのだが、それを敢えてせずに主演のA.シューマーの演技だけで観る側に伝えることを選択した。

そしてそれは明らかに成功している。素敵な女性像は人によって異なる。というよりも、誰もがそれぞれ輝く要素を持った人間であるという本作の主題を考えれば、この演出は必然とも言えるだろう。

レネーは確かに一変したのである。それは見かけではなく生きる姿勢という点で。クライマックスのプレゼンシーンはきれいごとと分かっていても、正月ということもあってか清々しい気持ちになることができた。

悪役が出てこないのも良かった。M.ウィリアムズは、地位も美貌もありながら世襲で会社を継いだことへの負い目やどうやっても治らない甲高い声をコンプレックスに持つ社長を好演。最近いろいろな作品で見かけるが芸達者ぶりが際立っている。

一年の計は元旦にあり。明るく楽しく前向きなところに人も運気も集まってくる・・・といいな。

(75点)
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