Con Gas, Sin Hielo

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「もうひとりのシェイクスピア」

2012年12月24日 00時18分08秒 | 映画(2012)
巧みな言葉に乗せられた風の末路。


何が驚きって、あのR.エメリッヒ監督の作品ということである。

世界の終わりにしか興味がないとさえ思えたものが、突然の宗旨替えとも言えるジャンルの作品を出してきたのだから、まずはお手並み拝見となるのだが、これがどうしてなかなか面白い。

これは監督の力量か、それとも題材自体に大きな魅力があったのか。

文学にまったく明るくない立場として関心を持ったのは、この話に関して、真実と噂と創作の境がそれぞれどこにあるかというものである。

まずは真実。登場人物は英国王朝の同じ時代を生きた実在の人物であり、王位の継承、謀反による処罰等の出来事も歴史的事実である。

次に噂。シェイクスピア別人説は18世紀から繰り広げられている論争らしい。その中でも本作で描かれるオックスフォード伯説は最有力と言われているとのこと。

もうひとつ、本作で重要な要素の一つとなるエリザベス1世の醜聞も噂である。生涯独身を貫きながらも、様々な男性とただならぬ関係にあったらしいというのが通説のようだ。

つまり、それ以外の部分が本作の脚色ということになるのだが、それにしても、いかに公然と語られる噂とはいえ、世界に冠たる誇り高き英国王室に対し、現代の大衆芸能さながらの不祥事をてんこ盛りにしてしまうところはすごい。

あまりに昔の話だと特段のこだわりはなくなるのか。関係者の懐が深いのか単にドライなのかは不明だ。しかし、この作業をやり遂げるには、相当の手腕が必要であることは間違いない。

幼い頃から文学好きなオックスフォード伯・エドワードは、若き日に文武双方で国のために役立ちたいと語った。

しかし、劇中で描かれる後年のエドワードは、武力で国に貢献する機会はなく、一家の家計を破たんさせ、挙げ句の果てに、よりによってとんでもない人物と不貞行為を働くという体たらく。主役でありながら実は極めて恥づかしい人物になっている。

それでも文才だけは着実に磨かれていき、曲がった形で世の中に出た彼の言葉は大衆に圧倒的な支持を受けるのだ。

国や家庭を切り盛りする能力がないのに、言葉で人を束ねる力には長けている・・・。気付いた瞬間に背筋が凍りつく思いがした。

いるよね、作家で政治を語る人たち。政治家になった人もいる。もし彼らの能力が欠けているとすれば、その先に待ち構えるのは当然悲劇である。

エドワードが政敵・セシルを追い落とそうと謀った作戦は、人心掌握と見通しの失敗によりもろくも崩れていく。一方で、大衆にはまったく人気がないセシルが、悪役然とした佇まいをしつつも辛抱強く着実に世渡りをこなす様が対照的に描かれる。

そこに監督の思想が込められているかどうかは判断できない。しかし、事実と噂を組み合わせていった結果として生まれた、そこそこ確からしい物語がこのような形になったということが実に興味深いのである。

(85点)
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