Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」

2015年08月30日 01時12分36秒 | 映画(2015)
食べ方が気まぐれな巨人。


コミックを実写化する場合、原作のファンを中心に批判が起こるのは常である。原作の人気が高ければ高いほど抵抗感も強まり、本作においても、配役のイメージが異なる、物語が書き換えられているといった声が強く聞かれている。

ただ、原作を一度も読んだことがない立場からすればそんなことは関係なく、純粋に楽しめる作品に仕上がっているかどうかに集中することができるのは、ある意味幸せなことかもしれない。

そんな前提での感想になるのだが、まず良かった点として挙げられるのは、「巨人」がよくできていたことである。

読んだことはなくても、何とも気持ち悪い生き物の姿は印象に強く刻まれており、理不尽に人間を食らう場面が遠慮なく描かれていたことに感心した(ちなみにPG12指定)。

ただその他は首を傾げることが多かった。

まずは冒頭。エレン、ミカサ、アルミンの主要メンバーが登場するが、後から声入れしたのがはっきり分かる音声編集に興醒めする。

エレンは現世に背を向け、壁の外に自由を夢見る青年という設定だが、残念ながら思慮の浅い生意気な若造にしか見えない。これは三浦春馬の演技力がどうこうと言うより、生い立ちや心理面の描写がないままで、あさっての方向を向いている姿を見せられてもどうしようもないというもの。

他の人物も、同様な理由でどうにも感情的に入れ込むことができない。エレンと同じ兵団に加わる人たちは、エレンの歩きに合わせて移動するカメラの背景としてさらっと紹介されるだけである。

そもそも顔が汚れでくすんでいて認識しづらいし、それぞれがワンポイントエピソードのみのキャラクターになっているから、とにかく存在が軽い。ラブラブのカップルとシングルマザーは予想どおり捨て駒として捕食される。

捨て駒といえば、巨人が次々に人間を食べていくのは前述のとおりなのだが、クライマックスのアルミンを襲う場面での間延び感もいただけない。

荒唐無稽なおなはしにリアリティを求めることはナンセンスと分かってはいるが、雑魚キャラは無慈悲に噛みちぎっていたものを、たっぷり時間をかけて口に運び、ご丁寧に舌の上に乗せちゃう。

で今度は、助けに来たエレンが巨人の口が閉じるのを両手で懸命に押さえる。この辺は、マンガのひとコマだと違和感なく読み進められるものが、実写だと途端に印象が変わってしまう典型だろう。

それでも俳優陣はよくやっていると思う。長谷川博己石原さとみは、これまで見たことがないタイプの個性を出しているし、桜庭ななみや、食べられちゃったけど水崎綾女も短い時間の中で魅力を十分発揮していた。水原希子だって悪くない。

世間では反感を買いやすいSEKAI NO OWARIのテーマ曲もよくできていて、売れているグループの勢いを感じる。

総括すれば、困難なお題に対して多くの要素をよく盛り込んで、キャストもスタッフも全力で取り組んだことは伝わってくるけれど、引き込まれてカタルシスを感じるという次元にはほど遠い内容だったというところ。

当初名前が挙がっていた中島哲也氏が監督を務めていたらどうなっていただろうと思わずにはいられない。

(50点)
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「ジュラシックワールド」

2015年08月30日 01時11分00秒 | 映画(2015)
ぜいたくなアトラクション。


前作のほとんど憶えていない、というかたぶん観ていない「ジュラシックパーク3」から14年が経過しての新作。1作めからは20年以上の年月が過ぎていることに驚く。当時、鳴り物入りの公開で、初日の渋東シネタワーで設定した早朝6時台上映の回を観に行ったことを思い出す。

もちろん当時もCG技術の最先端を取り入れて観客を驚かせたのだが、そこから更に大きく進んだ技術は、ついに夢とされていた恐竜のテーマパークをオープンさせた。

水族館のショー、ふれあい動物園、サファリパークの要素を組み入れた体験型施設、ライド系アトラクションにホログラムを駆使した展示館と、そこは確かに恐竜にそれほど興味を持っていなくても一度は足を運びたくなるテーマパークとなっていた。

そしてお決まりではあるが、ちょっとしたミスから恐竜が園内の安全管理システムを破って大パニックに陥る。

主役となる恐竜は遺伝子操作によって生まれたハイブリッド種というのが、今回の肝となっている。

情報化社会が進み消費のサイクルが加速度的に速くなった現代は、最先端を走っていたはずの企業があっという間に抜き去られ置いてきぼりを食らう。

テーマパークの商業的な成功を持続するためには、新しい企画を切れ目なく投入して飽きられないようにしなければならないということで、様々な動物の特徴を取り入れた新種を作り出したというわけだ。

過度な競争が無理を承知の開発を駆り立てるという図式自体は絵空事ではない。説教臭くならない程度に教訓を入れるのも健全な娯楽の鉄則である。

遺伝子組み換え恐竜は、赤外線の熱反応を遮ったり、擬態を駆使して姿をくらませたり、知能が格段にレベルアップ。凶暴性ももちろん制御不能で、自らの進む道にいる者は、人間であろうが恐竜であろうが踏みつぶし食いちぎる。

しかし人間も負けていない。週刊誌の批評で指摘されているとおり、主役の女性はハイヒールでジャングルを駆け巡る。凶暴な恐竜と対面した少年たちは、何年も放置されていた自動車を修理しパーク内を疾走する。滝壺に落ちたすぐ後でも火がつけられるマッチも活躍する。

細かいことを言っても仕方ない。というかおそらく誰も求めていない。これは映画である以前にアトラクションなのだから。

翼竜が隔離されていたドームが破壊され、大勢の人が避難していたパークの中心にプテラノドンが押し寄せる。人間がおもちゃにされた上に巨大な恐竜にばっくり飲み込まれる。

収拾がつかなくなった事態に下した最後の決断は、禁断の「あの恐竜」を解き放つこと。

真打登場。扱いがゴジラだ。

恐竜同士の戦い。逃げ惑う人間。こちらは「エイリアンVSプレデター」か。

とにかく映画としてはどんどん薄くなるのだけど、惜しげもなく画を繰り出してくるから、テーマパークのアトラクションと思ってみると、すごくお得感がある。

本作のヒットで、しばらくはこうした4DX仕様の作品の製作が続くのだろう。お金かけないで楽しめる小粋な娯楽作品も観たいのだけど。

(70点)
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「ミッション:インポッシブル/ローグネイション」

2015年08月30日 01時08分28秒 | 映画(2015)
どの時代にも通じる娯楽の頂点。


見るからにこだわりの強そうなT.クルーズが、継続して思い入れ続ける唯一のシリーズも第5作めを数えることとなった。

今回先着来場者がもらえる特典のポストカードは、これまでのシリーズの一場面をアイコン化した図柄でなかなか洒落ているのだが、これを見ると、各作品が約5年のきっちりした間隔で製作されていることと、いずれにも作品を象徴する名場面があり、時間が経っても観る者の記憶に刻まれていることに改めて気付かされる。

しかも、それらがすべてT.クルーズが体を張って挑んだものなのだから凄い。CG等の技術に頼ることなく娯楽を突き詰めていく姿は、彼がスーパースターであることの証明でもある。

そんな彼が満を持して送り出してきた作品なのだから、続篇とはいえ完成度が下がるはずがない。S.ペッグのベンジーやJ.レナーのブラントがイーサン・ハントとともにチームとして活躍するようになって、ますます面白味を増している。

キャラクター設定でいえば、今回のヒロイン・イルサが持つ謎の女っぷりの加減もちょうどいい。敵か味方か分からない、助けたと思えば裏切るのは、ボンドガールや峰不二子から連なるスパイ映画に欠かせない美女の王道だ。

悪役を演じるS.ハリスの佇まいもいい。冷酷で固められた表情、不安定に揺れる高い声、憎々しげな振る舞いの積み重ねがラストのイーサンとの一騎打ちを一層盛り上げる。最後の決着も意外だが爽快だ。

物語は、複雑な国際情勢に対処するために秘密裏に集められたスパイの精鋭チームが暴走して世界を恐怖に陥れる話が軸となり、そこにイーサンが属するIMFとCIAの組織間の対立が横軸で絡む。分かりやすいが、気が抜けるほど単純なわけでもない、ほどよい塩梅に仕上がっている。

そして最大の売りであるアクションだが、T.クルーズは宣伝で盛んに流している輸送機の扉にしがみつくシーン以外にも、息継ぎが許されない水中アクション、モロッコの町を駆け抜けるバイクスタントと、豪華盛り合わせを惜しげもなく提供してくれる。

更に特筆なのは、そのアクションシーンが、すべてはっきり視認できることである。画面が暗かったり、動きの速さにアングルがついていかなかったりということがまるでなく、ストレスなく観ていられるというのは、撮る側が計算できていないと成り立たないはずであり、この点に関してもまさに脱帽なのである。

T.クルーズ、53歳。アップになったとき、さすがに顔の弛みに年齢を感じた場面もあったが、彼にしかできない質の高い作品をできるだけ長く送り続けてほしいものである。

(90点)
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「ミニオンズ」

2015年08月30日 01時05分47秒 | 映画(2015)
ちょいワルに行こう。


「怪盗グルー」シリーズの不思議な生物、ミニオンたちを主役にしたスピンオフというか前日譚を描いた本作。

彼らが人気となった理由は、もちろん愛らしい姿かたちやとぼけた行動にあるのだが、それ以上に彼らを語る上で欠かせないのは、その時代で最もワルいボスに仕えるという設定である。

いつも脳天気で、強さを競う世界とは縁遠い存在に見える彼らが何故こうした行動をとっているのか。話は人間が地球上に登場する遥か昔へ遡る。

海の中にいる魚から、より大きな魚へ。陸上に上がれば恐竜へと、食物連鎖をなぞるように彼らのボスは力が強い方へと変遷していく。

人間が地球を支配するようになると当然ミニオンのリーダーは人間になる。人間は捕食されない代わりに、ミニオンたちの失敗によって次々に葬り去られてしまうのだが。

で、ここで注意である。

上述のとおり、ミニオンの設定は「最もワルいボス」に仕えるはずだったものが、歴史を辿ると、かつては恐竜のように力が強い者についていく習性であったことが今回初めて分かる。

それが人間をリーダーとして慕うようになってから、リーダーはワルい者であるべきと刷り込まれたということは・・・、そう、人間界ではワルい者こそがトップに立つという皮肉が描かれているのだ。

憎まれっ子、世にはばかる。人の世はいつも権力闘争に勝ち抜いた者だけが頂に上れる。いくら清廉潔白で正しかろうと、それだけでは生きていけないのである。

もちろんミニオンたちに身についたこの考えは厳密には正しくない。その証左として、世界最凶の悪人・スカーレットを探し当てたものの、ちょっとした手違いから、逆にスカーレットに命を狙われるハメに陥ってしまう。

結局はミニオンらしからぬ(?)個別キャラの勇気ある行動でスカーレットを撃退し、やがてグルーの元へ・・・と話は繋がるのだが、結局、彼らは「悪さ」になびいているのではなく「力の下の安定」を自然に求めているのである。彼ら自身、気付くことは最後までないだろうが。

それなら人間とたいして変わりないじゃない。そう、ミニオンの存在はまさしく「庶民」と括ることができる。

小さな存在で、群れて行動し、しょっちゅう失敗ばかりするけれど、毎日を楽しく暮らすことが何よりも幸せな「庶民」だ。

そう考えると、リーダーを失って自分たちだけで共同体を形成したときのミニオンたちの様子が興味深く映る。便利さを享受しながら満足感を得られていない現代社会と似てない?

ただ、周辺のリーダーを見渡したとき、一見強い統率力を持っていそうな中共やキム一族は、それこそスカーレットのように圧政を強いてきそうだから、普通に考えて、存命するエリザベス女王をさらっとアニメキャラに描く自由と寛容さがある欧米諸国に「ついていく」のは必然だと思うのだけど、それっておかしいかな。

さて、大きく逸れたので話を映画に戻そう。

話は荒唐無稽で強引な引っ張り方も多い。60年代や欧米の芸能に絡めたネタが散りばめられて子供向けに押し込める国内興行とのズレを感じるが、深く考えなくてもいいでしょう。それなりにヒットするだろうから。

最近の傾向に違わず、字幕版は日本橋、六本木、新宿、神戸の限定公開。天海祐希が悪いとは思わないけど、夜1回の上映で構わないから選択の自由がほしいところ。

エンドロールでS.ブロックたちの名前に混じって、H.サナダの文字を発見。悪党集団のうちのスモウレスラーの声を担当していたらしい。ハリウッドで日常的にオファーがあるところは素晴らしいの一言。

そんな真田広之、吹替版ではナレーターを担当。経緯を知らなければ唐突感を覚える配役だろう。

(70点)
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「ターミネーター:新起動/ジェニシス」

2015年08月30日 01時02分22秒 | 映画(2015)
過去から2017年まで一気に上書き。


シリーズとしては第5作めながら、J.キャメロン等をもって実質的には「1」と「2」の正統な続篇と言わせている本作。

それなりに楽しめたけど記憶に残っていないということから言えば、よほどの出来映えでない限り、永遠に「3作め」を作り直す羽目になるのかもしれない。そうした意味で「2」の存在は大きいと言えよう。

元々はA.シュワルツェネッガーがカメオやCGではなく本格的に復帰するというのが最大のウリであった本作。それだけだと正直時間を割いてまで観ようとは思わなかったのだが、「J.キャメロンお墨付き」という看板にはさすがに反応してしまった。好むと好まないに拘らず、完璧主義の監督が認めた作品とはどうなっているのかという点に興味は膨らまざるを得ない。

本作の主人公はカイル・リースだ。抵抗軍のリーダーとなったジョン・コナーに助けられ、ジョンの誕生を守るため(作るため?)時空を越えて過去へ向かうというのが既定のおはなし。

しかし、今回カイルが辿り着いた過去で待っていたのは、聞いた話とはまったく違う世界であった。

「1」の冒頭で登場した、地球上初めてのターミネーターが何故か別のターミネーターに打ち負かされる。カイルを待ち受けるT-1000型ターミネーターがいる。カイルを知るはずのないサラ・コナーが助けに来て、しかも既に戦士になっている。

一度にたくさんの謎がぶちまけられて、誰がどうしてこうなったのか、未来と過去を繋ぐ糸の結び目を少しずつ解くように話が進む。

磁力で分子を構築する最新・最強のターミネーターが登場するが、「審判の日」や機械との戦いよりは、上述の謎解きの方に重心がかかっているように思えた。

だから話として確かにおもしろい。これをキャメロンが認めたということは、ターミネーターはタイムトラベラーの話だったんだと目からウロコ。

ただ、タイムトラベルに付き物のパラドックスは、少し突っ込めばおそらくてんこ盛りであろう(一つ挙げれば、サラがカイルを信じるきっかけとなった手のひらメッセージは、その後サラがカイルに授けたもので、メビウスの環状態になっているが、これはカイルとジョンの関係と同じか)。

加えて、いかにも悪役顔のジョン・コナー(J.クラーク)。E.ファーロングもすっかりすさんでしまったが、もう少し線の細い人に演じさせたら、より謎解きがおもしろくなったのではないかと邪推する。

サラ・コナー(E.クラーク)も今までの印象に比べると、何と言うかかわい過ぎる。かわいいは正義なので大いに満足なのだが、戦いの迫力が少し削がれたことは否めない。タイムトラベル・ミステリーだからこその配役なのかもしれないが。

シュワ氏は、初期型のターミネーター(T-800)は表面が劣化するという設定を味方に普段どおり。でも、それなら最後のバージョンアップで若返る選択肢はなかったのかな?と、意地悪を言ってみる。

あと、続篇はいらないかな。それなりにまとまったし、シュワ氏の年齢を考えればもう十分かと。

(75点)
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「インサイドヘッド」

2015年08月30日 01時00分23秒 | 映画(2015)
ほんっっっとに、邪魔。


「トイストーリー」が公開されて20年。CGアニメという目新しさだけではない、斬新な切り口の作品を生み出し続けてきたピクサー。

ただ、ディズニーと和解したあたりからだろうか。期待外れの新作か続篇という印象が強くなってきた感が否めない。

そんなピクサーの新作は、人間の頭の中の感情を擬人化して描くという、ひさしぶりの「新境地」。

北米での興行成績は、お化け映画「ジュラシックワールド」の後塵を拝したものの、評価を含めてまずまずということで期待が膨らんできたのだが、ここで思わぬ横やりが。

それがネットの記事でたまたま見てしまった「映画「インサイド・ヘッド」でのドリカムに困惑する人々」という記事。

なんでも映画開始前にドリカムのフルコーラスPVが流れるらしい。それも、バックの映像は公募で集めた全国のまったく知らない方々の画像とのこと。

当然わが国限定企画なのだが、困ったことに字幕版を観に行ってもこれがもれなく付いてくるらしい。

本気で迷った。観ようか観るまいか。

主役の声あてが竹内結子という時点で吹替版の選択肢は消えていて、都心まで行かなければならないことは決定していたのだが、それ以上のハードルだった。

結果、映画ついでに六本木での用事を作って観ることにしたのだが、なんと、映画の内容に触れないでこんなに行数を使ってしまった。

まあ、噂のPVはまさに予想どおりでした。結婚式のビデオや年賀状の家族写真を邪心なく喜んで受け止められる心の綺麗な人が企画したのでしょう、きっと。

と、テンションを下げて観た本篇だが・・・。後に改心するとはいえ「JOY」の押し付けがましいところが受け入れられなかったかな。

誰の頭にもあの5人の組み合わせがいて、人によって誰がリーダーになるかは違うらしいと。設定は悪くないのだけど、その5人も喜怒哀楽を持っているわけで、やっぱり少し無理を感じた。

さすがにクライマックスは涙腺に響いたけど、その前の、司令室から放り出されて戻ろうと必死になるあたりでは、まさかの睡魔に襲われた。主人公たちが2次元になる画はピクサーとしては意外性があったが、それ以上に突き抜けた展開をFROGMANで見ているから。

ただ、エンディングにドリカムが流れなかったのはよかった。エンドロールで立つ人にも曲を聞かせたくて冒頭に持ってきたのか?

(60点)
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「アベンジャーズ/エイジオブウルトロン」

2015年08月30日 00時58分36秒 | 映画(2015)
物語は実はかなり複雑。


夢の企画と言われた「アベンジャーズ」も無事第2弾が作られた。

前作は、大きかった期待の割りにあまりノレなかったという印象が強く残念だったのだが、今回は数ある娯楽大作の一つ(実際今年はそんな感じ)と思って観たのがよかったようだ。

特に、前作は、性格的に個性の強いアイアンマンばかりが実質リーダーとして目立っていたところを、今回は、ホークアイの家庭や、ハルクとブラックウィドウの関係など、短いながらもそれぞれのキャラクターを掘り下げた場面があったため、単にアクションを立て続けに繰り出すよりメリハリが利いて見応えがあった。

新キャラクターも登場。驚異的なスピードを誇る兄と、人の心を操る妹の双子コンビは、はじめ敵方としてアベンジャーズを翻弄する。ここで唯一心に立ち入らせないのが普通の人間であるホークアイというところがおもしろい。

ただ、この双子の能力は話にアクセントを加える点ではおもしろいのだけれど、性質としてはX-MENのミュータントに寄っているので、超人映画の限界を意識する部分でもあった。

それよりかは、本作最大の敵ウルトロンが人類を滅亡させるために作り上げた完璧な肉体に人工知能JARVISが組み込まれたヴィジョンの存在がユニークであった。新アベンジャーズに残るようなので、今後の活躍に期待である。

それにしても、後からWikipediaなどを見ると、全然ストーリーを追いかけられていなかったことを思い知らされる。詰め込み過ぎで説明不足だったと責任転嫁しておこう。ある程度楽しめたのでそれで済むことではあるが。

あと気になったのは、「この映画を、<愛>を知る全人類に捧げる」という宣伝文句だ。

確かに、上述の家族愛や男女の愛、兄妹愛もあったことはあったけど、このアベンジャーズで「愛」を前面に出さなければいけない事情を目の当たりにすると、わが国の市場が歪んでいることを改めて実感する。

「アベンジャーズ」で泣きたいとは思わないのだが。

(75点)
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