Con Gas, Sin Hielo

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「太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男」

2011年02月13日 19時38分28秒 | 映画(2011)
演者の熱意と骨太の事実が脚本を救う。


「殺してやる」と言っても本当に相手を殺すつもりはなかったんでしょう?というのは「十二人の怒れる男」だったと記憶している。

しかし、戦時中の「命を懸けて」は、まさに生命の存亡の線上で発せられていた言葉だった。

敗戦が近くなると、日本人たちは捕虜になるくらいならと自ら玉砕の道を選んだという。

玉砕という行為が勇気ある行動だったかといえば、それは自信を持って否と答える。あれはまさに現代の日本人も陥りがちな集団心理だからである。

この映画の大場大尉の振舞いが輝かしく映るのは、誰もが流されていく時代の中にありながら、判断基準の軸をぶれることなく守り続けたからに相違ない。

それは何か。

命の大切さ?惜しいけど違う。

映画の冒頭での大場大尉は、命を守ることを優先する人物ではなかった。自らも参加した総攻撃において命がなくなろうとも後悔はしなかったはずだ。

それが変化を見せるのは、民間人と共に野営を組むようになってからのことだ。兵士以外の人たちの生き方を間近に見ることで、彼の考えに広がりが生まれたのだ。

「命を懸ける」は決して「命を捨てる」に非ず。むしろ命は「失くしてはならないもの」である。

では、命をなくしてはならないと考えながら命を懸けることは矛盾しないのか。現代の政治家が、政治不信の中で「政治生命を懸けて」と言っても誰にも信じてもらえないのと何が違うのか。

そのカギは、実はまさにこの映画の中に描かれている。

それは誇りだ。日本人としての誇り。そして尊厳。もう少し平たく言えば、人間としての尊厳と言ってもいいかもしれない。

命を懸けると言った言葉や行動の裏にその人の動かざる信念が感じられたとき、人はそれに敬意を示しついて行く。それがリーダーとしての資質なのだ。

今の時代が何故混沌に満ちているかといえば、そうした信念を感じさせるものが欠如しているからなのである。守るものが己の地位やプライドだけと見透かされた瞬間に人は離れていく。

話を映画に戻してみると、物語の展開としては、若干上滑り的に急いでしまう点も見られたものの、元々が骨のある話だけに全篇を通して引き付けられた。

役者陣も、主演の竹之内豊はもちろん、あの阿部サダヲまでが緊張感の糸を繋いでおり好感が持てた。

細かい点を取り上げるよりも、ここに描かれている人たちの心情に思いを巡らせそれぞれが何かを感じ取れれば、十分に価値のある作品だと思う。

(70点)
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