Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「ROMA/ローマ」

2019年03月31日 21時28分07秒 | 映画(2019)
哀愁のメキシコ。


アカデミー賞レースの台風の目となったNetflix作品がイオンシネマだけでの特別公開となった。

冒頭、オープニングタイトルの裏でタイルの床面を掃除する音と周りから聞こえる鳥のさえずりだけが聞こえてくる。サラウンドでかつ繊細な音響に、これちゃんと映画館向きに作られてるんじゃないと驚く。

説明が一切ないまま人物が次々に登場する。掃除していたのはクレオという女性。風貌や身なりからどうやらこの家に仕えるメイドらしいと分かる。そこへ帰ってくるのは白人の一家だ。

子供たちは一様にクレオになついている様子。そこへ家の大きさに明らかに不釣り合いな大型車がやって来る。壁にミラーを接触し、タイヤで犬の糞を踏みつけて何とか車庫へ入る。

運転していたのは一家の主たる父親だった。しかしクレオとの親密な関係とは違い、この父親は一家、特に母親にとっては気が向いたときに現れるお客さんのようなものであった。

多くを語らない中で一家とクレオを巡る日常が淡々と描かれる。話の舞台が1970年前後のメキシコだというのも、結構時間が経って部屋に貼られたサッカーのポスターなどを見てからである。

メイドを雇っているといっても中進国のメキシコでそこまで裕福なわけではない。もちろん女性の権利が進んでいる時代でもない。父親と疎遠な一家は身を寄せ合って生きていくしかなかった。

クレオは欲を張るわけでもなく毎日を正直に生きている。それゆえ一家に受け入れられてきたが、不安定な国情は彼女に平和な生活を許してはくれず、彼女は人生の分岐点で図らずも地震や政変といった事象に遭遇する。

しかしどれだけ苦しい思いをしようとも彼女は曲がることなく歩を進める。泳ぎができない彼女が子供たちのために自ら高波の海へ入っていく場面は、そんな彼女の静かで強い意志が凝縮された印象的な場面だ。

この場面に限らず、本作は全篇を通して誇張した表現に頼らずに切々と心の深いところに訴えかけることに成功している。健気な主人公たちと比べて身勝手で威嚇的な男性の描き方もその一助となっている。

「ROMA」というタイトルだけが謎だったが、後から調べるとどうやらメキシコシティに存在する地区の名称らしい。ある一場面によって(おそらく)R-15指定になったことと合わせて、何とももったいないミスリードであった。

(85点)
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「ブラッククランズマン」

2019年03月23日 01時11分52秒 | 映画(2019)
憎しみが玄関のドアをノックしている。


ピアノの黒鍵と白鍵は隣り合って完璧なハーモニーを奏でるのに我々は何故そうならないのか。Stevie WonderとPaul McCartneyが歌ってから40年近くが経とうとしているのに、人種間の距離は近付くどころかむしろ遠のいた感すらある。

先日のアカデミー賞で「グリーンブック」が作品賞を受賞した瞬間、S.リー監督は怒りのあまり会場を出て行こうとしたという。

そこまで思い入れのある渾身の作品が、この「ブラッククランズマン」だ。あのKKKに潜入捜査を試みた黒人がいたという信じられない実話をもとに、現代にも通じる差別意識をエンタメ要素を織り交ぜながら描いている。

現代のハリウッドだから当然トランプ大統領を皮肉る場面も多い。各所での発言を聞くかぎりリー監督の思いでもあるのだろう。

しかし全篇を貫いて読み取れるのは、この根深い対立は決して白人が加害者、黒人が被害者という単純な構図ではないということである。

クライマックスに差し掛かろうとする場面でKKKの集会と黒人の集会が交互に映される。

KKKは明らかに作り物と分かる昔の映画で白人が黒人を懲らしめる場面を見て喝采を送る。一方で黒人の集会では老人が過去の不幸な事実を語る。彼が語るのはおそらく事実なのだろう。あまりの悲惨さに聴衆が顔をしかめる。

しかし皮肉なことに両方の集会が行き着く先は同じなのである。KKKが「ホワイトパワー!」と叫べば、黒人たちは「ブラックパワー!」と声を上げる。

これは決して誇張ではない。この映画には、先鋭化した人と比較的穏当な人が黒人白人とも一定の割合で配置されている。おそらくこれは現実の世界に近い。つまり世間には少なからず過激な思想を抱いている人がいて、暴発の危険をはらんでいるということなのである。

主人公・ロンのキャラクターもあって全体的に明るいトーンで描かれているが、この映画が突き付けているのは出口の見えない絶望的な断絶である。不当な歴史があったかどうかではなく、いま存在する憎悪が出発点となり新たな憎悪を生み出しているのだ。

これを見れば「グリーンブック」の世界が大甘に思えるのも仕方がないし、リー監督が怒ることにも理解はできる。ただぼくはおとぎ話としての「グリーンブック」は決して否定はしない。

また本作は素晴らしいと思うが、リー監督の思想にも同意はしない。彼はアカデミー脚色賞のスピーチの最後に「次の選挙では正しいことをしよう」と言った。当然"Do the right thing"に掛けての言葉なのだが、今回の映画を見るかぎり「正しいこと」が何かという問いに対する解答はない。

そもそも選挙で「正しくない」選択を敢えてする人などいない。それぞれがそのときに正しいと思った選択肢に投票し、数が多かった者が勝利するのが選挙というものなのである。

民主主義であれば多数決で方向性が決まり、独裁国家であればある指導者の判断ですべてが動く。自由主義の社会でマイノリティが発言する力を持った結果として、意見が対立したときの先鋭化が激しくなったのだから皮肉と言うほかない。

もっと社会が成熟すれば、その力を協調や融和へ持っていこうという機運が高まるのかもしれないが、どの国を見てもそんな余裕はなさそうである。

ロンが仲良くなった社会活動家のパトリスは、彼が真っ当な思想を持った警察官だと分かっても警察組織を"pig"と敵視し一緒にはなれないと言う。そんな二人が会話する部屋のドアをノックする音が響く。

とっさに銃を構える二人。鍵穴の向こうの光景は、映画が綴ってきた物語以上に深刻な現実社会そのものであった。エンタメ作品の形をとりながら社会問題を正面から投げかける。それも偏りを極力排するバランスが秀でているから脚色賞というのは至極納得である。

(95点)
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「キャプテンマーベル」

2019年03月21日 09時05分17秒 | 映画(2019)
あと1か月。


サノスの指ぱっちんからもうすぐ1年。じりじりとしていたアベンジャーズにようやく希望の展開が訪れることになった。

それにしてもマーベルの戦略に完全に乗せられている。悔しいけれど認めざるを得ない。

「アベンジャーズ/インフィニティウォー」の衝撃の次に持ってきた「アントマン&ワスプ」の展開。スーパーボウルの日に解禁された新作の予告映像。そしてこの時期に来ての本作公開である。

もはや一見さんお断りと暗に言っているようにも見えるが、もちろん本作は単独の作品として十分に成り立っていて非常に見応えがある。

冒頭は宇宙が舞台で初めて聞く単語が次々に出てくるので付いていけるか心配になるが、キャラ設定が分かりやすいこともあってか問題なく話に入り込むことができた。

主人公の記憶を巡る謎、彼女は何者なのか、何のために戦っているのか、本当の敵は誰なのか。すべてが整理されているし、映画としての魅力である意外な展開もありがちではあるがおもしろく観ることができた。

そして何よりニック・フューリーの前日譚が事細かに描かれているところが大きな見どころである。最近の映画では当たり前の若返り技術であるが、今回のS.L.ジャクソンは全篇を通して若いままである。これができるなら、俳優が突然亡くなっても続篇を作り続けられそうな気がする。

そして当然のように小ネタがアベンジャーズシリーズに繋がっていく。フューリーは何故アイパッチなのか、彼が塵となる前に交信を試みた相手は誰だったのか。

主役を演じたB.ラーソンはかなり良かった。マーベル初の女性単独ヒーローということで注目を浴びているが、性別を抜きにして美しく凛とした佇まいがぴったりハマっていた。

独自の敵も何人か出てきて逃がしちゃっているので、彼女を軸としたシリーズは長く続けるつもりなのだろうという意志が伝わってくる。新生アベンジャーズになるのかな。

至るところに90年代ロックが流れるところも好印象だ。これまであまりフィーチャーされることがなかった気がするが、NO DOUBT、HOLE、NIRVANAなど改めて聴くとノリのいい佳曲が多く、痛快なアクションシーンと相性がいい。

キャプテンマーベルのパワーは桁外れ過ぎて汎用性がない気もするが、これからも楽しませてくれると期待するのに十分な作品であった。

(85点)
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「シンプルフェイバー」

2019年03月21日 08時08分27秒 | 映画(2019)
劇薬の二人、触媒の関係。


独特の立ち位置で活躍する女優、A.ケンドリック

美人なんだけど「目を見張るような」まではいかない、どことなく垢抜けない感じが残る風貌(個人的感想です)。ただそれが他にはない個性となって、彼女が最もハマる役柄が次々に舞い込んでくる。

「マイレージ、マイライフ」の新入社員も、「ピッチパーフェクト」のベッカも彼女を上回る配役は考えられない。後者では曲もヒットさせる多才ぶりである。

本作の冒頭では、そんな彼女が演じるステファニーが投稿するブログの映像で始まる。誰が興味を持つのか分からない少し痛い映像の中で彼女は親友の失踪を打ち明ける。

「親友」のエミリーはステファニーとは対照的な人物として描かれる。B.ライブリーはA.ケンドリックと同世代ではあるが、身長やら髪の色やら見かけやら確かに正反対。そんな二人は、子供の学校の関係からお互いの秘密をしゃべり合う関係になる。

中盤で行方不明だったエミリーは死体となって発見される。最も怪しくしたたかそうに見えたキャラクターの退場は、観る側はの立ち位置を一気に不安定なものとさせる。

更に一生懸命キャラのステファニーがエミリーの夫・ショーンに惹かれはじめると、誰の立場に寄り添って話に付いていけばよいのかまったく分からなくなる。

この3人の関係は2対1の構図で目まぐるしく入れ替わる。誰と誰が味方で誰が敵なのか?この事件の本質はどこにあるのか?サスペンスでありながら恐怖というよりは小気味いい展開なのは、3人のキャラクター、特にステファニーによるところが大きい。

シングルマザーで経済的に豊かなわけでもない彼女は、育児だけでも大変なのにせっせとブログを更新する。今の境遇に落ち込んだり不平を言ったりするのではなく、あくまで前向きに生きる姿がエミリーやショーンとの向き合い方にも生きてくる。

エミリーもエミリーで不遇な生い立ちを補って余りある上昇志向でのし上がってきた。そんな二人の女性の対決がおもしろい。実はこの二人、対照的なようでとても相性が良いのだ。

ラストにひとまず決着がつくが、暫定の白黒で敗れた側もまったくへこたれていないところが、流れる音楽と相まって奇妙な爽やかささえ感じられた。

(75点)
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「運び屋」

2019年03月17日 12時21分37秒 | 映画(2019)
改心するのに遅すぎることはない?


C.イーストウッド、御年88歳。この年齢で毎年のように監督作品を輩出するだけでも驚くことなのに、今回自ら主演も買って出るという元気さには敬服するしかない。

「グラントリノ」の時点で既に頑固な老人役がぴったりだった彼は更に10年歳を取った。

今回演じるアールは頑固ではなくプレイボーイとして浮名を流した自由人。周りからちやほやされるのが好きで、家族の大事なイベントをすっぽかすことが多く妻や娘から縁切り状態にされていた。

90歳の運び屋がいたという実際にあった事件から発想を得たということだが、話の中心を貫くのはあくまで家族の話である。

人は人生をどう終着駅へ送り届けるのか。商売がうまくいっているときは考えなくてよかったことに金がなくなってようやく気付く。長い人生で自分は何を築いたのか。しかし大切な家族は既に去ってしまった。

結局は金で人や名声をつなぎ止めるしか術がない。アールは薄々危ないことと気付きながらも麻薬の運び屋に深入りしていく。持ち前の器用さで結構うまくいってしまうところが切ない。

反省しないところにハッピーエンドはないだろうと思っていたところに飛び込んでくる妻危篤の知らせ。締め付けが厳しくなった麻薬組織のノルマとの天秤にすべてがかかる。アールがとった選択は・・・。

彼のしたことを冷静に考えれば、家族から見放されても当然だし、不幸になっても自業自得と突き放すこともできる。しかしもっと単純に見れば、アールは人の良い社交家で決して人を傷つけようと思って行動していたわけではないことが分かる。みんなから好かれていたし、家族もそんな彼の魅力は十分に承知している。だからこその怒りでもあるのだけれど。

悪人ではない彼が素直な気持ちを打ち明けて妻のそばに寄り添ったとき。家族を置き去りにした時間から比べたら遥かに短いけれど、長さではなく思いが伝わることで罪が許されることには何の違和感もない。

アールは裁判の場で、高齢者という立場を都合よく利用されたと訴えれば無罪の可能性もあったにもかかわらず有罪を受け入れる。これは運び屋としての罪ではなく、これまでの人生を償う意味で選んだ道なのだと理解する。収容所で花いじりをするアールの脳裏に愛する家族の姿が映っていると考えればこれ以上のハッピーエンドはないのである。

(80点)
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「翔んで埼玉」

2019年03月10日 13時06分47秒 | 映画(2019)
埼玉は地球を救う。


差別、いじめ、ハラスメントといった言葉が日常的に使われ社会問題となっている現代。どれだけディスられようとも怒るどころか喜んでいる不思議な人たちがいる。

それが「翔んで埼玉」を見た埼玉県人である。「埼玉人はバカなのか?」

必ずしも地元愛がないわけじゃない。地方から出てきた人も多く熱量は低いかもしれないが、他の土地と比べて明らかに劣っていることはない。

結局は余裕なのである。海がないことは事実だが、遊びに行こうと思えばすぐ行ける。名物がなくても生活に困ることはない。むしろそんなことを遥かに凌ぐ便利さがあり、豊かな生活を送っているのが埼玉県民なのである。

「世界埼玉化計画」というのは案外に奥が深くて、それは言い換えれば全世界が等しく中くらいになる世の中ということにほかならない。

高校生の主人公をGACKTが演じている。男性の生徒会長役を二階堂ふみが演じている。そして何故か二人ともうちなーんちゅである。

しかしそんなことは誰も気にしない。埼玉に縁のない人が埼玉人のフリをしても、表現が現実とかけ離れたものであっても文句を言う埼玉県民はいないのだ。

もちろん差別は問題だ。間違いは正していかなければならない。しかし時によっては殊更に声を張り上げることでかえって余計な隔絶を生み出していることがあるのも事実である。

世界中が埼玉だったらいいのに。そう思わせるのに十分なのが、この作品とそれに連なる数々の現象なのである。

ネタは古くから言われているものをはじめ、映画の宣伝や記事でもさんざん聞いていたので特に目新しいものはなかったが、この辺りも定番好きな日本人の嗜好に合うのかもしれない。

あるあるネタをみんなで笑い合う。映画館内は平和な空気で満ちていた。この時間が続きますように。

(75点)
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「スパイダーマン:スパイダーバース」

2019年03月03日 14時41分44秒 | 映画(2019)
コミックス映画の革命。


T.マグワイア主演の第1作が公開されてまだ20年程度しか経っていないのに、実写版が2度リブートされて今度はアニメ版ときた。何故スパイダーマンはここまで製作者の新しい意欲を呼び起こすのか。

はじめはまたスパイダーマンなの?と思ったところもあったが、本作は、ディズニー・ピクサーの指定席だったアカデミー長編アニメーション賞を受賞するなど賞レースを席巻し批評家からの評価も非常に高い。IMAXでの先行上映とタイミングが合ったのでひと足先に映画館で体験してきた。

まずこの作品は過去の作品の焼き直しではない。まったく新しい立ち位置から描かれたスパイダーマンである。

スパイダーマンの魅力と特徴は何かと言えば、普通の高校生が突然ヒーローの能力を授けられるという点にある。

「大いなる力には、大いなる責任が伴う」。シリーズが変わっても常に現れるこの言葉は、ヒーローとしての戒めであるとともに一般の人間社会とも通底する重要な教訓である。

自らの役割と背負うべきものを自覚し大人へと成長していく主人公の姿は、同世代は自分のこととして、大人世代はかつて通った道として、すべての人が共感を抱く仕組みになっているのがスパイダーマンなのである。

今回の主人公はおなじみのピーターパーカーではない。マイケルモラレスは、黒人系でPost Maloneを聴いて街の壁にスプレーアートなんてしちゃういまどきの少年である。

モラレスの世界ではピーターパーカーのスパイダーマンが日々悪と戦い続けていたが、ある日彼は敵との戦いに敗れ命を落とす。

ここからピーターパーカーがいない、見たこともないスパイダーマンの世界が繰り広げられると思ったら展開はその遥か斜め上へ飛んでいった。

何故この作品はアニメとして作られたのか。描かれる世界観を見ればそれは明らかである。次元を超える荒唐無稽としか言いようがない話が、アニメの手法によって巧く頭の中に入り込んでくる。

吹き出しが画面に描かれ、スパイダーマンが何かを感じ取ると頭から波動の線が現れる。映画とコミックの垣根を軽やかにスイングするように渡っていくうちに、観る側もそのスピードに乗せられ疾走していく。

先進的で挑戦する作品。きらびやかで華やかな作品。遊び心にあふれた楽しい作品。そしてスパイダーマンの基礎をしっかり踏襲している作品。あらゆる形容詞が収まってしまう多彩な魅力に満ち溢れた映画である。

映画の可能性は無限に広がっていく。

(90点)
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「グリーンブック」

2019年03月03日 14時02分29秒 | 映画(2019)
過去の理不尽と、現代の息苦しさ。


アカデミー賞には審査員のほかに時代という審査も乗り越えなければいけないようだ。

今年の作品賞に輝いた本作に非難の声が巻き起こっている。白人目線で綴られた都合の良い作りがけしからんということらしい。

米国の南部を中心に黒人が白人と同じ場所にいること自体が忌み嫌われていた時代。黒人天才ピアニストのドン・シャーリーは厚い壁に挑む演奏ツアーを決行する。多くの困難が予想される中で、彼は腕っぷしとはったりに定評があるトニーに運転手として同行するよう依頼する。

冒頭のトニーは、自宅の修理に来た黒人が使ったコップをゴミ箱に捨てるなど既に差別意識が根付いている人物として描かれる。これは彼の特質というよりは時代がこうだったという表現でもある。

給与のためとはいえドン・シャーリーと行動を共にすることになったトニーは、旅を続けるうちに黒人が受けている差別がいかに理不尽なものなのかを自分のことのように体験し、今までの意識が変わり始める。

まったくもって「いいはなし」である。出自や性格がまったく異なる二人故に生まれるコメディ的な要素も含めてまさに映画向きの題材と言える。

しかしこれが良くないらしい。

昔は差別意識を持っていたトニーが善に目覚めた。そんなの嘘っぱちだ、と言うのである。

一般論。現実社会では大統領を含めて差別意識が未だにはびこっている。

個別論。ドン・シャーリーの家族からは、トニーが近しい友人関係にあったという事実はないとの抗議が上がっている。

当事者たちは既にこの世にはなく真実は分からない。しかし映画なのだから必ず真実だけを描かなければならないということはないのではないか。

当時の黒人が置かれていた状況は、ステレオタイプに過ぎる感じもあったものの分かりやすく伝わってくるし、実在のトニーはそうではなかったかもしれないが、劇中のトニーが持つ感情やとった行動に観客が共感することで、映画として伝えたいことは正しく届いているはずだ。

現代に差別が残っている事実まで内容に含めれなければ作品が成り立たないことはないとぼくは思う。それは別のところで並行して議論を続けていけばよい。

「いいはなし」は作品賞として脚光を浴びることによってその影もが露わになってしまったのは残念としか言いようがない。本作で最優秀助演男優賞を受賞したM.アリは複雑な思いを抱いていることだろう。

(80点)
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