パッドマンフィーバー、パッドマンフォーエバー。
「合理的」という言葉を調べると「論理にかなっているさま。因習や迷信にとらわれないさま」とある。
本作の主人公はインドの小さな村で暮らすラクシュミという男。経済的に決して豊かではないが、勤勉な仕事ぶりと愛する妻と過ごす日々は幸せにあふれていた。
そんな彼が日常のふとした光景に違和感を抱いた。月に数日間、女性が家族から離れて過ごす期間のことだ。病気でもないのに別の部屋に隔離されるだけでなく、体に密着させる大切な布が忌み嫌われるようにぞんざいに扱われている。
妻の身を案じたラクシュミは市販の生理用品を購入するが、当時(劇中では2001年と言われていた)のインドではとても高価なものであった。彼の稼ぎではとても買い続けられるものではない。かといって妻の健康のためにこのような不衛生な状況を放っとくわけにはいかない。
彼は思い立つがままに生理用品を自分で作り妻に試しに使うように勧める。しかし見よう見まねでできるようなものではない。ラクシュミが懸命になればなるほど周りの目は冷たくなっていく。生理用品に没頭するなんて頭がおかしくなったのではないかと。
かっちりとした横分けがいかにも真面目感を醸し出しているラクシュミが布や綿で生理用品を手作りして女性に渡す様子は客観的に見て明らかに異常だ。前半の彼はとにかく痛々しかった。
インド映画名物の途中休憩を挟み、舞台は村の外へと移る。家族の理解を得られず孤立無援のラクシュミだったが、大学や企業への接触と試行錯誤を繰り返してついに市販品と同レベルの製品を作ることに成功する。
ここから訪れるのは人生の大逆転だ。発明コンテストで大統領賞を受賞し、草の根の商売も軌道に乗る。クライマックスは国連本部でのスピーチだ。
冒頭の説明にあるように、実際の話に脚色が加えられていることは間違いない。それでも彼が行ったことの熱量に疑いはなく、その本質を突くものとして国連本部のスピーチは深く心に刻まれる。
「合理的」にはもう一つ意味がかかれている。それは「目的に合っていて無駄のないさま」。
今思えば、そして先進国から見れば至極当たり前のことと思う衛生環境の改善。しかしそれは誰かが声を上げないかぎりは、変えることを無駄だと思う空気にとらわれて実現しなかった。
ただ変わることを拒む側の心情も理解できる。今までそれほど不都合がなかったのに何故変えるのか。本当に変えなければいけないものなのか。
答えがはっきり分からない中での判断はとても難しい。夫の味方でいたくてもそうなりきれない妻は辛かったことだろう。
ラクシュミの成功に携わった女性・パリーの存在は興味深い。思想も嗜好もまったく異なる彼女が現れたからこそラクシュミの活動は飛躍的に成長を遂げることとなった。
少しだけ恋愛感情的な話が描かれるのは映画としての演出に過ぎないのかもしれないが、ラクシュミにとってパリーが妻とは別の意味でかけがえのない存在であることは間違いない。その意味で、はっきりと彼女の大切さを言葉にして伝えた上で明確な決断を下すラストは、インド映画らしく実に爽やかな後味だった。
(85点)
「合理的」という言葉を調べると「論理にかなっているさま。因習や迷信にとらわれないさま」とある。
本作の主人公はインドの小さな村で暮らすラクシュミという男。経済的に決して豊かではないが、勤勉な仕事ぶりと愛する妻と過ごす日々は幸せにあふれていた。
そんな彼が日常のふとした光景に違和感を抱いた。月に数日間、女性が家族から離れて過ごす期間のことだ。病気でもないのに別の部屋に隔離されるだけでなく、体に密着させる大切な布が忌み嫌われるようにぞんざいに扱われている。
妻の身を案じたラクシュミは市販の生理用品を購入するが、当時(劇中では2001年と言われていた)のインドではとても高価なものであった。彼の稼ぎではとても買い続けられるものではない。かといって妻の健康のためにこのような不衛生な状況を放っとくわけにはいかない。
彼は思い立つがままに生理用品を自分で作り妻に試しに使うように勧める。しかし見よう見まねでできるようなものではない。ラクシュミが懸命になればなるほど周りの目は冷たくなっていく。生理用品に没頭するなんて頭がおかしくなったのではないかと。
かっちりとした横分けがいかにも真面目感を醸し出しているラクシュミが布や綿で生理用品を手作りして女性に渡す様子は客観的に見て明らかに異常だ。前半の彼はとにかく痛々しかった。
インド映画名物の途中休憩を挟み、舞台は村の外へと移る。家族の理解を得られず孤立無援のラクシュミだったが、大学や企業への接触と試行錯誤を繰り返してついに市販品と同レベルの製品を作ることに成功する。
ここから訪れるのは人生の大逆転だ。発明コンテストで大統領賞を受賞し、草の根の商売も軌道に乗る。クライマックスは国連本部でのスピーチだ。
冒頭の説明にあるように、実際の話に脚色が加えられていることは間違いない。それでも彼が行ったことの熱量に疑いはなく、その本質を突くものとして国連本部のスピーチは深く心に刻まれる。
「合理的」にはもう一つ意味がかかれている。それは「目的に合っていて無駄のないさま」。
今思えば、そして先進国から見れば至極当たり前のことと思う衛生環境の改善。しかしそれは誰かが声を上げないかぎりは、変えることを無駄だと思う空気にとらわれて実現しなかった。
ただ変わることを拒む側の心情も理解できる。今までそれほど不都合がなかったのに何故変えるのか。本当に変えなければいけないものなのか。
答えがはっきり分からない中での判断はとても難しい。夫の味方でいたくてもそうなりきれない妻は辛かったことだろう。
ラクシュミの成功に携わった女性・パリーの存在は興味深い。思想も嗜好もまったく異なる彼女が現れたからこそラクシュミの活動は飛躍的に成長を遂げることとなった。
少しだけ恋愛感情的な話が描かれるのは映画としての演出に過ぎないのかもしれないが、ラクシュミにとってパリーが妻とは別の意味でかけがえのない存在であることは間違いない。その意味で、はっきりと彼女の大切さを言葉にして伝えた上で明確な決断を下すラストは、インド映画らしく実に爽やかな後味だった。
(85点)
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