Con Gas, Sin Hielo

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「運び屋」

2019年03月17日 12時21分37秒 | 映画(2019)
改心するのに遅すぎることはない?


C.イーストウッド、御年88歳。この年齢で毎年のように監督作品を輩出するだけでも驚くことなのに、今回自ら主演も買って出るという元気さには敬服するしかない。

「グラントリノ」の時点で既に頑固な老人役がぴったりだった彼は更に10年歳を取った。

今回演じるアールは頑固ではなくプレイボーイとして浮名を流した自由人。周りからちやほやされるのが好きで、家族の大事なイベントをすっぽかすことが多く妻や娘から縁切り状態にされていた。

90歳の運び屋がいたという実際にあった事件から発想を得たということだが、話の中心を貫くのはあくまで家族の話である。

人は人生をどう終着駅へ送り届けるのか。商売がうまくいっているときは考えなくてよかったことに金がなくなってようやく気付く。長い人生で自分は何を築いたのか。しかし大切な家族は既に去ってしまった。

結局は金で人や名声をつなぎ止めるしか術がない。アールは薄々危ないことと気付きながらも麻薬の運び屋に深入りしていく。持ち前の器用さで結構うまくいってしまうところが切ない。

反省しないところにハッピーエンドはないだろうと思っていたところに飛び込んでくる妻危篤の知らせ。締め付けが厳しくなった麻薬組織のノルマとの天秤にすべてがかかる。アールがとった選択は・・・。

彼のしたことを冷静に考えれば、家族から見放されても当然だし、不幸になっても自業自得と突き放すこともできる。しかしもっと単純に見れば、アールは人の良い社交家で決して人を傷つけようと思って行動していたわけではないことが分かる。みんなから好かれていたし、家族もそんな彼の魅力は十分に承知している。だからこその怒りでもあるのだけれど。

悪人ではない彼が素直な気持ちを打ち明けて妻のそばに寄り添ったとき。家族を置き去りにした時間から比べたら遥かに短いけれど、長さではなく思いが伝わることで罪が許されることには何の違和感もない。

アールは裁判の場で、高齢者という立場を都合よく利用されたと訴えれば無罪の可能性もあったにもかかわらず有罪を受け入れる。これは運び屋としての罪ではなく、これまでの人生を償う意味で選んだ道なのだと理解する。収容所で花いじりをするアールの脳裏に愛する家族の姿が映っていると考えればこれ以上のハッピーエンドはないのである。

(80点)
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