Con Gas, Sin Hielo

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「カフェソサエティ」

2017年05月07日 01時05分52秒 | 映画(2017)
時が流れても変わらないもの。


今年もW.アレン作品が観られる幸せを感じる季節がやって来た。

今回の俳優陣はJ.アイゼンバーグK.スチュワートS.カレルと、実績は折り紙付きながら新鮮な顔触れが揃った。

アイゼンバーグ演じる主人公のボビーは、仕事に行き詰まりを感じて故郷のNYを離れてハリウッドへ転居する。そこには映画界を仕切る敏腕エージェントとして名を馳せる叔父のフィルが暮らしていた。

フィルの計らいで雑用を始めたボビーの前に現れたのがクリステン演じるヴォニーだった。ヴォニーは初めから付き合っている人がいると公言していたが、ともにする時間が増えるほど二人の距離は縮まっていく。

やがて来る決断の時と、その後も複雑に絡み合う関係。二人の行く末はどうなっていくのか。

人が下す選択は、客観的な結果としては正解であっても別の視点から見れば間違いなのかもしれない。現状に満足していながら、他の選択肢に心を惑わされてしまう愚かさが見事に描写されている。

主人公を取り巻く人たちの設定も相変わらず巧い。人種や性格、宗教などの要素を多様に当てはめながら、決して散らかることなく一つの話に収れんさせている。

なぜ収まるのかを自分なりに考えてみたのだが、人間性の違いはあっても愚かさを持った不完全な人間という点で一貫しているからではないだろうか。

恋愛気質のヴォニー、典型的な成り上がりセレブのフィル、どうやら騙されやすいボビーの妻、口先の理想ばかりが先行する共産系の義兄。客観的にダメなところが分かりやすいから物語に入っていきやすいのである。

ボビーも優し過ぎるところが欠点でありヴォニーを勝ち取ることは叶わなかった。しかし、彼の欠点は様々な人たちと渡り合える強みへと転換する。

劇中では同じように登場人物のそれぞれに関し、日常の中で欠点を補いながら暮らしている様子が描かれる。とても温かく、おそらく現実に沿った切り口と言えるのではないか。

ただその温かくなった分なのか、愚かな主人公が壮絶なドタバタ劇を繰り広げるアレン映画特有の場面がなかったのは意外だった。

年月を経て立場が変わっても基本的な気質は変わらない。堂々と目の前に現れたヴォニーに対してボビーのとった態度は、映画としては意表を突かれたが感情としては妙に腑に落ちた。

すべてが壊れてゼロから再出発する希望というパターンとは違い、昇るか落ちるか分からない不穏なさざ波が立っているようなエンディングはかえって印象的に映った。

(90点)
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