Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「ボスベイビー」

2018年03月23日 22時10分11秒 | 映画(2018)
「おとうと」という生き物。


兄弟というのは、他人には分からない繋がりがある。ただ、兄から見た弟と、弟から見た兄ではその形が全然違っているだろう。

ぼくは「弟」の方だから、兄の気持ちは分かりようがないのだけれど、この映画のように、もう物心もついた年齢になって突然家族が一人増えるというのはただごとではないという想像はつく。

この映画の主人公・ティムは7歳の男の子。父と母の温かい愛情を一身に受け幸せに暮らしていたところに、ある日スーツに身を包んだ怪しい赤ちゃんがやって来た。

ティムはいつもたくましい想像力を働かせて遊んでいるという設定で、冒頭からカラフルでテンポよく目まぐるしく場面が飛び回る。

そんな中で"おっさん"赤ちゃん=ボスベイビーが登場するので、現実なのかティムの想像の産物なのか分からない仕掛けになっている。

突然現れて、両親の関心を奪い取っていった得体のしれない奴。これに想像の枝を足していくと、何かを企んでいるスパイになるというのは納得のいく設定だ。

このスパイの任務は、子犬に押され気味の人気を巻き返すためにペット会社から秘密を盗み出そうということらしい。なかなか小学生的な発想だ。想像だとは決めつけられないけれど。

怪しい侵入者をなんとか追い出したいティムと、潜入捜査の邪魔になるだけのティムをおとなしくさせたいボス。ベクトルの違う二人だが、目的を達成する手段が実は一緒だということに気付く。ボスが目的を達成すれば、彼はティムの前から姿を消すというのだ。そのために二人は、両親の前では手を組んだように見せかけるという行動に出る。

けんかするほど仲が良いというクラシカルな兄弟関係を違った角度から捉えた物語である。派手でスピーディーなティムの世界の合間に大人目線の情景が時折カットインされる。それでも、ボスベイビーが空想の産物だという決定的な描写はないのが粋な作りだ。

話は当然のように、対立していた二人がついに当の兄弟になるという流れになる。ティムにとって怪しい存在でしかなかった弟に名前が付けられる。

最後に、一連の話は大人になったティムが自分の娘に聞かせていたものだったという展開になる。その横には何かを彷彿とさせる黒いスーツの「弟」。子供時代と変わらない悪戯っぽい二人の様子がまた微笑ましい。

ティムの想像の世界、表情豊かなキャラクターたちと、全体的にデフォルメというか、メリハリが効いた映像で突っ走っていてリズムが非常に良い。それでいて、最後は温かい家族の関係に少し心が和ませられる。軽く気分転換して元気を出したいときには向いている作品だと思う。

(75点)
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「リメンバーミー」

2018年03月21日 21時16分13秒 | 映画(2018)
彼岸の中日にご先祖を想う。


人は二度死を迎えるとはよく言われる話だ。二度とは、物理的な肉体の死と生きている者の記憶から消える精神的な死。

古今東西、国の違いに関係なく、人は死に関して畏敬の念を抱いており、世界各地に独自の宗教的なイベントが存在する。

その大概は、生きている者が亡き者たちの魂に呼びかけるというもの。中でもメキシコの「死者の日(Dia de muertos)」は世界でも有名な生と死の祭典である。

今回のピクサー作品は「死者の日」が包含する精神的世界、つまり死者が住む世界の映像化に挑戦した。もちろん誰も見たことのない世界なので、作品の成否は、想像力の豊かさと観る側に働きかける表現力に大きく委ねられるものとなった。

代々続く靴職人の家系に生まれ育った主人公の少年・ミゲル。彼には心の奥に秘めた夢があった。それはミュージシャンになること。

しかし、彼の家には決して破ってはいけない掟があった。

「音楽禁止」

靴づくりを生業にした4代前のイメルダには音楽にまつわる辛い思い出があり、自分を不幸にした音楽を家族から遠ざけなければならないという考えを代々受け継ぐこととしたのだ。

メキシコ、大家族、音楽。魅力的なキーワードが序盤に並べられ、これから始まる冒険への期待が大いに高まる。

掟を破ったことが家族にバレたミゲルは家を飛び出し、ミュージシャンになるチャンスをつかむために町の音楽コンテストに出場しようとするが、地元の伝説の英雄・エルネストデラクルスのギターを手にすると死者の世界へ迷い込んでしまう。

序盤の家族との光景で予想されたことだが、現実社会で写真や銅像として出てきた人たちが死者の世界で元気に暮らしている姿が描かれる。実はこれだけでも夢のような話で結構感動する。

葉っぱが敷き詰められた生死の境にある橋などは若干オレンジが強調されていたが、全体としては決して単色ではなく多様な色彩に溢れた生き生きとした世界として描かれていた。死後もみんな楽しく暮らしている。これがどれだけ生きている者を安心させることか。

ミゲルが死者の世界から現実に戻るためにはご先祖たちの許しを得る必要があるのだが、イメルダの出した条件はやはり「音楽禁止」。それだけは譲れないミゲルは再び逃げ出し、別の先祖であるイメルダの夫を探すことにする。

ミュージシャンになる夢を追ってイメルダと小さい娘を置いて出て行った夫。話の展開からあっさり正体が分かってしまうのは致し方ないところではあるが、それでも過去の傷が修復されていく下りには素直に感動させられた。

原題の"Coco"は、高齢でほとんど語らずいつも椅子に座っている曾祖母の名前だ。彼女はイメルダの娘であり、生者、死者いずれの登場人物とも面識があり、生と死の橋渡しの象徴である。

生きている家族は彼女の姿や言葉の向こうにご先祖を思い浮かべ、死者たちは彼女の記憶に留まり続けることによってその存在を生き永らえている。

この映画の中でミゲルは実際に死者の世界へ足を踏み入れて二つの世界の間を取り持つことになるが、人はいつでもその夢を頭に描くことでつながりを感じ安寧を得る。死への旅路でもある人生の中で、自分の成り立ちを見つめ直し、お世話になった人たちを思い出すことの大切さを改めて実感した。

(85点)
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「ブラックパンサー」

2018年03月10日 00時01分58秒 | 映画(2018)
ノーベル平和賞最有力!


現代は便利で生きにくい。それは人や物の間の距離や時間が短くなったからにほかならない。

他者と簡単につながれる一方で不必要な衝突も増えた。世界がひとつになれる技術が逆に反目や対立の原因を創り出したのだ。

本作の舞台であるアフリカの架空の小国・ワカンダ。ここだけで採掘される鉱物資源によって超大国に匹敵する技術と文明を享受しながらも、先人は、これらを悪用されることを恐れて国の門戸を閉ざしてきた。

新たな国王になった主人公ティ・チャラは大きな決断を迫られる。恵まれた資源の恩恵を開放し世界を苦境から救うのか、このまま自国民の安寧のために国際社会に背を向け続けるのか。

政治的正しさが前面に押し出される傾向はハリウッドにおいて特に顕著であり、昔のアメコミが元ネタとはいえ、まさに現代の社会ニーズに100%合致した題材であることがよく分かる。

上に掲げた主人公の選択肢は、二者択一に見せかけながら事実上の一択問題である。黒人が上に立つ国家が白人を遥かにしのぐ能力を有し、それを世界のために分け与える。この設定に表立って異を唱えられる人はいないだろう。

しかし、辺境のブログだから言ってしまうと、こうしたこの映画の外観にとても強い同調圧力を感じてしまい、素直に楽しむことはできなかった。

例えば、ティ・チャラはワカンダの伝統に則った決闘(鉱物資源のパワーによらない闘い)で敵役のエリックに敗れて一旦王の座から退くことになる。しかし、エリックが国王でいてはいけないと再び戻ってきたティ・チャラは、伝統そっちのけの大乱戦で王位を奪い返すのである。

話の筋としてはエリックが明確に悪役と位置付けられているのでなんとなく違和感がなくなるのだが、ティ・チャラのみを見るとやり方が独善的過ぎる。

感覚は人それぞれなのに正しいものは一つと押し付けてくる気持ち悪さが至るところから漂ってきていた。

押しつけといえば、音楽でフィーチャーされているKendrick LamarやSZAに関して、彼らがグラミー賞の主要部門で受賞できなかったことに対して「それはおかしい」という炎上騒ぎになったことを思い出した。ベストニューアーティストに輝いたAlessia Caraが素直に喜べなくなり実にかわいそうだった。なんともグロテスクな時代になったものだ。

設定や背景の話ばかりしてきたが、本篇の方もこれといって評価する点はなかった。

キャラクターに魅力を感じなかったし、祭典や衣装・美術などアフリカ系部族を強調した描写の多さには少し退屈したくらいだ。かなり露骨な黒人描写も多くて、これって差別と捉えられないの?という疑問が湧いてきたのだけど、黒人が演じればすべて免罪なんだろう。

また、アクション映画によくある判別しにくい戦闘シーンという要素も当てはまってしまった。特に、主人公と敵役の一騎打ちにおける、まさにとどめの一撃が何をどうしたのかまったく分からずという致命的な状況であった。

「アベンジャーズ/インフィニティウォー」で帰ってくると言ってもまったく心が躍らない。というか、最後に出てきた男って誰だ?

(50点)
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「シェイプオブウォーター」

2018年03月04日 16時37分23秒 | 映画(2018)
力なき者を護るのは愛。


間もなく発表となる第90回アカデミー賞で最多の13部門ノミネートと話題になっている本作。おたく監督として名を馳せているG.デル・トロ監督が放つ異色のファンタジーである。

主人公は耳は聞こえるが言葉を話すことができないイライザ。再上映専門の古びた映画館の2階に住み、夜のとばりが下りる頃に目覚まし時計の音で起き、夜通し政府の研究所で清掃員として働く日々を送っていた。

しゃべらない彼女は一見幸せなのかそうでないのかが分からない。ただ、仕事へ向かうバスの車窓に映る夢見がちな表情は、まるでこれからサクセスストーリーが待ち受けるヒロインのように見えた。

そんな彼女の前に突然現れたのは、研究所に極秘で運び込まれた謎の生物。研究所の責任者・ストリックランドの指を食いちぎった半魚人のような生物に対して、何故か心を奪われるイライザ。やがて謎の生物の方も彼女の思いを感じ取り、二人は生物学の垣根や常識を超えた関係を築いていく。

筋立ては分かりやすい。人物設定も非常に単純で、主人公をはじめとしたいわゆる弱者に対して、職場の幹部や国家といった強大な存在を対極に配置。彼らは異質なものの象徴である謎の生物を力で押しつぶそうとする。

そういった物語の構図は社会的正しさを求める現代の風潮に合っているのだろう。でも、それを加味したとしても、この風変わりな作品にアカデミーがどう判断を下すのかはなかなか予想がつかない。

もちろん作品の価値は扱うテーマだけではない。音楽や美術など細かいところにもデル・トロ監督のこだわりがしっかり表現されているからこその13部門である。

1960年代前半は、米ソが覇権を競い合う冷戦の創成期。差別がべったりと染みついた社会には、上流に所属する者だけが触れられる世界と、下流として生きる者が這い回る世界が明確に分かれていた。

ストリックランドは強者側の象徴として極端な描写に終始する。更なる出世への腰かけとして研究所がある田舎勤務を受け入れた彼は、ステレオタイプな白人妻子を広い邸宅に住まわせ、いまや低燃費で誰も評価しないマッチョなアメ車・キャデラックを乗り回す。

時代の理不尽さが浮き彫りになると同時に、現代に生きる我々からすれば滑稽で哀れとも思えてくる。視覚的効果は抜群だ。

他方、イライザのいる光景は色の鮮やかさこそないが、常に水の潤いに満たされ、柔らかく温かい音楽が流れている。仕事を失った老人のジャイルズ、職場仲間の黒人女性ゼルダがいつも見守っている。

愛に身をゆだねた者と、それをねじ伏せようとした者の結末は、容易に想像ができたとしても心に小さな灯がともる。映画だからこそできる表現の豊かさに溢れた味わい深い一品に仕上がっている。

(80点)
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