Con Gas, Sin Hielo

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「映画クレヨンしんちゃん 新婚旅行ハリケーン~失われたひろし~」

2019年04月28日 15時59分51秒 | 映画(2019)
もっともっと大切をふやしてゆこう。


「クレしん」の映画も27作め。平成の始まりに嵐を呼ぶ5歳児として現れ、いまや押しも押されぬ国民的アニメへと上り詰めた。

高い人気がある背景にあるのは、大人たちに良さが理解されて次の世代へと引き継がれているからにほかならない。なぜ大人たちが支持するのか、それは野原一家に日本の家族の理想像を見るからである。

今年のテーマは夫婦愛である。「失われたひろし」という副題から「ロボとーちゃん」以来のひろしが主役かと思ったが、完全にひろしとみさえの二人の物語であった。

序盤は現実味がなかろうがどうであろうが話は強制的にさくさく進み、あっという間に舞台となるオーストラリアへ野原一家がやって来る。カスカベ防衛隊の面々ですら一瞬の台詞だけでスルーする潔さだ。

いつも出てくるこちらが恥ずかしくなるような下品な名前のキャラクターも出てこない。ひろしとみさえの新婚旅行の行方と、微妙にすれ違いを見せる二人の心情に徹底して焦点を絞った展開が続く。

ともに長い時間を過ごした二人はお互いの感情を理解し敬いながらも、慌ただしく過ぎ行く日々の中でなかなか感謝の気持ちを表に出すことができない。遅れてきた新婚旅行はチャンスであり、二人ともそれを分かっていてアプローチするのだがうまくいかない。

そうした中で突然ひろしが現地の先住民に誘拐され、みさえとしんのすけたちが奪還するため奮闘する。世界平和のようなスケールではない、日常の小さな幸せのために倒されても諦めずに立ち上がる。これまで幾度となく見てきた野原一家の物語が繰り広げられる。

大きく外さないながらも感動は中程度といったところ。いい話ではあるのだけれど。

良かったのはひろしとみさえの声優二人が歌った劇中歌。二人の思いが伝わるとともに本作の立ち位置がはっきりする好演出だったと思う。(もう完全にひろしは森川智之へ交代したんだね。)

周囲のキャラクターはあまりインパクトがなかったが、「インディジョーンズ」や「マッドマックス怒りのデスロード」を意識したアクションシーンは純粋な活劇として見応えあり。子供が多ければにぎやかな歓声が聞こえてきたかもしれない。

あいみょんの主題歌はハマっている。売れるひとはやっぱり才能があるんだね。

(70点)
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「ビューティフルボーイ」

2019年04月14日 13時28分14秒 | 映画(2019)
「みんなやってる」という絶望。


世の中に数多ある社会問題の中でも病巣が最も根深いと思うのが薬物問題である。

人の体をむしばむ直接的な被害に加えて、その売買で巨額のブラックマネーが反社会的組織へと流れることにより、おそらく世界の政治や経済が好ましくない方向へ動かされている。

それなのにハリウッド映画や音楽のPVを見ると、一般の人や学生までもが普通にドラッグを使用している光景が映し出されることが多く、なんでこんなに寛容なんだろうと不思議に思っていた。

本作はB.ピット率いるプランBエンターテインメントの製作である。先日の「バイス」とともに社会問題を提起する有用な作品を送り出す貴重な映画会社である。

主人公は父デヴィッドと息子ニック。デヴィッドはニックが幼い頃に離婚と再婚をするが、後妻のカレンと新たに生まれた弟や妹を含めた家族5人の仲は極めて良好であった。

デヴィッドは仕事に忙殺されることなく家族の一人一人を見つめることを忘れず、ニックもそんな父親の愛情をしっかりと感じ取って順調に成長していった。

しかしそこに割って入ったのがドラッグであった。

親のためのセラピー施設の壁に貼ってある標語に「本人に原因はない」と書いてあったが、家庭環境にすら問題はなかったのにニックは薬物に手を染めてしまったのである。

「みんなやってる」「ちょっとした息抜きは必要」と言いながら「昔はやってたんでしょ?」と逆に親に差し出す。

「昔はやんちゃしたもんだ」という台詞は昭和世代の冴えないニッポンのおじさんの専売特許と思っていたが、どうやらそうではないらしい。ちょっと悪いことをするまで育った息子を温かく見守る父親は、角度によっては美談に映ってしまう。病巣が根深いと思う由縁だ。

もちろん全員がドラッグ中毒になるわけではない。ただ手を出した瞬間にその可能性は跳ね上がる。本人が知らないうちにポイントオブノーリターンを越えると、更生する確率はひとケタ%台まで落ちてしまうらしい。

映画は、ニックが立ち直ろうとするたびに失敗する姿を何度も映し出す。何か月だろうが何年であろうが元に戻るのは悲しいくらいにあっという間である。その度に「今度こそ」と思っていた人たちは奔走し落胆する。

更生施設にもいろいろあるようだ。確かに患者が多ければ絶対数が足りず、中には質の悪い施設も出てくるのだろう。子供を正しい道へ導く方法はどこにあるのか。親の苦労は尽きない。

「君の名前で僕を呼んで」で一躍注目を浴びたT.シャラメが引き続き繊細で痛々しいニックを演じる。弟や妹と無邪気に戯れる姿とクスリの影響で感情が高ぶっている状況のギャップが強く印象に残る。

デヴィッド役はS.カレル。安定の演技で愛する故の苦悩を表現する。親の愛は薬物依存を防ぐことはできなかったが、愛の力こそがぎりぎりのところで踏み止まることを可能にしている。その事実は重い。

実話だけに安易なハッピーエンドは訪れない。家族はおそらく現在も勝ち目の薄い闘いを続けている。でもそれでいい。その姿を克明に伝えることだけが今後の希望へと繋がるのだから。

(85点)
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「バイス」

2019年04月07日 14時59分25秒 | 映画(2019)
やりすぎチェイニー。


この作品や先日公開された「ブラッククランズマン」への感想として言われるのは、この種の映画が自由に作れるアメリカの懐の広さということである。

それは一面的には正しいと思うが、ここまで分かりやすく現代社会や現政権への危機意識を喧伝しているにも拘らずトランプ大統領の支持率に明確な変動が表れていないことの方が、個人的にはもっとおもしろい現象に映る。

半数近くの米国民はバカなのか?いや、そうではない。この映画の主張はあくまで特定の立場の人からの視点に基づくものであると誰もが分かっているから、そうでない立場の人の考えを覆すには至らない。それだけである。

ラストで車座で議論をする一般の人たちがけんかを始める。「どうもおかしいと思ったら、この話はリベラルに偏り過ぎじゃないか」。反論された側もムキになって取っ組み合いを始める傍らで若い女性が口にする言葉が映画にオチをつける。

主張の方向は似ていてもS.リー監督と異なるのは、この辺りの斜に構えたというか諦めに近い姿勢である。こんなこと言っても岩盤支持層は崩せないんだよね。困ったもんだよねというところか。

まともにリベラルを訴えても多くの人に届かない現状に打つ手がなく、トランプ政権が後半を迎えても未だに民主党の有力候補が現れない点とも一致している。実はこれが彼らが声高に訴える多様性そのものでもあるのだけれど。

さて、映画に戻ろう。

ジョージWブッシュ大統領時代に副大統領として卓越した存在感を放ったディックチェイニー副大統領。

ブッシュ政権が行った政策は世界をぶち壊したが、それをすべて裏で操っていたのがチェイニーの存在だったと作品は語る。そしていかにして彼が怪物となり得たかを探るという仕立てになっている。

若い頃は取り立てて優れた成績ではなかったディック。酒浸りでイェール大学を中退した彼の尻を叩いて政治の道へ送り込んだのは、向上心の塊ともいえる妻のリンであった。

彼の業績を悪と言い切る映画なのだが、主人公ということもあってか彼の人間性については長所短所を比較的客観的に描いている印象を受けた。

共和党が政権から陥落し無職になった彼がワイオミング州の下院選挙へ出馬したときに、演説の苦手な彼に代わってリンが行った応援演説が勝利を呼び込んだという話や、末娘が同性愛者であると分かったことから大統領の座を諦めたというエピソードは、彼の極めて人間的な一面を物語っていた。

しかしここで歴史が彼を再び呼び寄せる。ジョージWブッシュの登場だ。

息子ブッシュの無能さというのは至るところで聞く。おそらく事実なのだろう。そんな人を大統領にしてしまっていいのか?

実はいいのである。そこで必要なのが大番頭なのだ。息子ブッシュの救いは自分ですべてを切り盛りすることができないと分かっていた点である。一方で大統領を諦めたはずのディックにとって、これは実質の大統領職が巡ってきたことにほかならない。

歴史というのは、運命というのは、何とも奇妙な縁を結び付けるものである。

チェイニーが行ったことの中で明らかな誤りはイラク侵攻である。結果として世界中にテロの恐怖が拡散してしまった。しかし当時、同盟国や共和党員だけでなく、あのヒラリークリントンも賛同していたという映像が映っていた。

その他はどうなのだろう。共和党と民主党の違いとして象徴的に描かれた中に自然エネルギーを利用したソーラーパネルの映像があった。しかし太陽光を巡っては、新たな利権や環境破壊といった問題が生じている。

副大統領と言えば、奇しくもオバマ大統領時代の副大統領であったバイデン氏が現在複数の女性から過去のセクハラについて追及を受けている。共和党支持者が同じような映画を作ることもできるかもしれない。所詮正しいのはどっちかなどと決めることはできないのである。

ディックとその周りの人たちは、C.ベールS.カレルといった実力派俳優が特殊メイクの力も借りて本人に成りきって演じている。特にS.ロックウェルが演じるジョージWブッシュの空っぽぶりは本作最大の見どころと言ってもいいかもしれない。

それにしても昔のオスカー俳優は演技での成りきりが評価されて受賞したものだが、ここまで見栄えで寄せることができてしまうと、演技をどう評価してよいものか難しい時代になってきたとも言えそうだ。

共和党の面々が演技なのに対して、ジミーカーターやバラクオバマは本人の記録映像が出るのみである。ビルクリントンに至っては1秒たりとも出てこない。8年も任期を務めたのに。

本作を観てのディックチェイニーに対する印象は、彼も時代に呼ばれた男だということに過ぎない。9.11に直面したのもそういうことだ。イラク侵攻で世界が混乱した失敗はあったが、他の選択肢がそれより良かったかを知る術はない。

2000年の大統領選挙で息子ブッシュがアルゴアに勝ったときは僅差だったが、その4年後、無能で失政を犯したはずの大統領はむしろ差を広げて再選を果たしている。

政権の誕生を決めるのは常に時代のニーズなのである。改めて現代社会は神経をすり減らす情報戦の真っ只中にあることを思い知る。

(75点)
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